【📰Int.5】自己が無ければ開示もできない -vol.1-
こんにちは。わくわくママ(妻)です。
インタビュー記事、第5弾です。ゆっくりしていってね♡
自己開示という言葉は、「開示」にフォーカスされている
妻「では、今回は『自己が無ければ開示もできない』というタイトルについてお伺いしたいと思います。」
夫「はい」
妻「これはズバリ、自己開示のことですよね。
自己開示をするにあたって、自分自身がなければ周りに示すこともできない。そんな感じですか?」
夫「そうだね。世の中で自己開示自己開示って言われてるけど、そもそも、開示する前段階の何かが必要だと思ってて。
『自己開示すればいいんだよ』って容易く言える人は、そもそも自己を持ってて、それを開示するかしないかっていう次元しかないと思ってる。その言葉を言われて、俺も苦しんだ過去があるわけだけど。」
妻「うんうん。」
夫「でも、社会人や大人になってから、親しい仲の友人ができなくて苦しんでる人たちって、自己を開示するかしないかの次元じゃなく、自己がよくわかってないんだと思うんだよね。」
妻「確かに。」
夫「それが、自分のキャラクターを知らないとか、世間で言われてることだと思うんだけど。
自己開示をすればいいのに、なんでこれができないんだって苦しんでる人に言いたいのは、自己を開示するしないじゃなくて、自己がないことに気づいてないんじゃないの。って思ってる。」
周りが評価した得意なものは自己にならない?
妻「なるほど。そういうメッセージ性があるんだね。
さっき、自己がある人は自己開示すればいいじゃんって簡単に言えるって話してたけど、結局自己がある人とない人って何が違うと思う?」
夫「うーん。何パターンかあると思うけど。
小学校の頃くらいからもう自己があって開示した結果、注目を浴びちゃってる人は多い。例えば、絵が好きで教室で漫画描いてて、『見て見て』『これどう?』って言ったりしてる人は、既に自己があるよね。
注目を浴びる機会がなかった人は、自己がわかってない人かも。」
妻「そうね。でも、機会がなくても、例えばふと気づいたら絵を描いてる、落書きしてるっていう状態から、『自分は絵描くのが好きだ。』ってなる人もいるよね。」
夫「いるいる。」
妻「自己を持ってて、周りが自分の自己に気づくタイミングがあった人は、もちろん自己を確立できてるけど、自然に確立された自己っていうのもあるよね。」
夫「確かに。
それでいうと、俺はちょっと特殊で、自然にできてしまった自己と、これが自分なんじゃないかと思って表に出した自己があって、その2つの自己をそれぞれを精査するタイミングがなかったかも。」
妻「あ〜。」
夫「人の注目を浴びたくて、『私こんなのできますよ。こんなの好きですよ。』って自己を出してる人がいる。対して、それをやる前から注目を浴びてる人がいる。」
妻「はいはい、それはもう開示してない人ってことね。」
夫「開示もしてないのに、すごい人として認識されてる人。」
妻「そうなると…なんて言うんだろうな。開示することが良いことじゃないんじゃないかとも思う。」
夫「うわあ、でもそこ、どうなんだろうな。」
妻「表に出た得意なことに対して、みんなが勝手にすごいと思って、勝手に成り上がってったみたいな感じに近いのかなって思ってて。」
夫「俺みたいな人間がってこと?」
妻「うん。小学校の頃、誰よりも足が速かったでしょ?」
夫「そうね。『50m走』って2人で競ってタイム測るから、隣の人には勝ちたいな〜くらいは、ちょっと思ったりしちゃうわけじゃん。で、バーって走ったら学年で1番速かった。でもそれ自己開示じゃないもんね。」
妻「そうそう。
勝手に自己開示されてしまった場面が出てきただけで、そもそもそれが自己として得意っていう認識もないわけだよね、それ。」
夫「俺は足が速い人間になりたいとも思ってなかったからね。」
妻「それって、周りがこの人の得意なものっていう部分で評価してくれることに対しては自然な流れだと思う。
だけど、その自己開示っていうのは、まず自己を認識することもそうだし、それを開示することもしないといけないっていう、今言った話に反してる気がするんだけど。」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きはvol.2で!
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