【📰Int.5】自己が無ければ開示もできない -vol.2-
こんにちは。わくわくママ(妻)です。本記事はvol.2です。
vol.1をまだ読んでない方は、こちらからどうぞ。
周りが勘違いした自己を、自己開示で塗り替える
ーvol.1の続き
妻「今言った話に反してる気がするんだけど。」
夫「でも、俺のパターンの場合は、勝手にみんなが評価してくれたことが、良くなかったまでは言わないけど、結局は自己を知らないまま後々苦しんでるなって思う。」
妻「あ〜、そうか。他者から見て評価されるとか、この人はこれが得意なんだって思うことに関しては、周りが勝手に思うことでも良くて。でも、自分が自分を知るためには、ちゃんと自己知らなきゃいけないってことだね。」
夫「そうね。自分の自己を知らないといけない。自分の自己を探しましょうね。それが自分の幸せに繋がりますよ。って話だね。周りに認めてもらうためとかだったら、逆にやらない方がいい。
今巷で言われてる、人間関係リセット症候群(※1)になっちゃうのは、結局自己を開示できてない結果だと思う。」
妻「うんうん。」
夫「俺はサッカーで言うと、足が速いことが活かせるポジションだったけど、俺は本当は足が速いっていう要素がいらないポジションがやりたかった。
周りの人間は俺がそこのポジションをやりたい人間だとも知らないし、逆に言うと、俺は足が速い人間として、自己開示をした人間になっちゃってたわけ。そしたら、足の速さが1番活かせるポジションに置かれるのが普通。」
※おだやかパパ(夫)は元サッカー部です。
妻「はいはい。」
夫「『俺はここのポジションがやりたい』っていう自己開示ができれば、最初からそのポジションを目標にできたと思うんだよね。
でも、それができなかった理由は、俺が自己開示する前から、俺がどんなプレイヤーかっていうのを周りが勝手に認識しちゃってたってのが1つ。」
妻「そうだよね。」
夫「もう1つは、俺が本当に目指したいポジションが好きなのか、わかってなかった。だから開示ができない、本当にそのポジションをやりたいですとも言えなかった。」
妻「そうか。だから、そういう意味ではちゃんと自己開示は必要なんだ。」
夫「必要だと思う。だから会社に入った時も、この人はこれが得意だねって思われて、そのポジションに当てられちゃう。
けどそれって、自分が開示した自己を認知してもらったわけじゃなくて、相手が勝手に『この人が開示してきた自己』って勘違いしちゃってるわけよね。」
妻「うん、そうだね。」
夫「人間関係で苦しんでる人って、器用貧乏の人とか多いと思うんだけど、器用貧乏の人ってさ、自分が苦手なことでもできちゃうわけ。
だから、苦手なことをできたり、知識を持ってたり、 人より長けてたりすると、相手は得意なこと、つまり自己を開示してきたと勘違いする時がある。」
妻「確かに…」
夫「例えば、会話の中でどんな車が好き?って話になった時、車を持ってたり、選んだことがあるとさ、『この人は車が好きな人なのかもしれない』って相手に自己開示したかのように受け取られてしまう場合がある。」
妻「たしかに。SNSで車の写真あげた時とかだよね。」
夫「そうそう。SNSで車でドライブに行った写真をあげたら、たまたま暇だったから行ったとしても、『この人は車でドライブに行くのが好きな人なんだ』って相手は開示されたかのように受け取る場合がある。
でも実際は、全然SNSに開示してないけど、ダンスするのが好きだったり、もっと別にやりたいことがあったりする。」
妻「うんうん。」
夫「その自己っていうのを見つけて、初めて開示に繋がる。
そして開示できたら、ちゃんとその自己開示に対して認知をした人間が集まって、将来、人間関係をリセットする必要のない関わりができると思う。」
妻「あ〜そういうことね。
だから、コミュニケーション取る上でも、周りが勝手に受け取った情報だけで仲良くしてくれちゃってる場合があるってことだよね。
この人は車の写真あげてるから、車好きなんだろうなって思って、車好きが集まってきちゃう上に、そのままその人達と付き合っていった結果、本当は好きじゃないのに…って将来リセットしなきゃいけなくなる。」
夫「いや、本当にそう。
自己がないまま自己開示やろうとした人は、何かに詳しくなって得意分野になりましたっていう誤った自己開示をしたり、 自分が手の届く範囲で、その人達とつるみ始めたりしちゃう。」
妻「うわ〜。」
夫「それを払拭するには、その誤解を解くだけの自己開示をしないといけない。そうなると、周りから認識された自己以上の軸を持ってないと、『私はこれが得意だけど、こっちがやりたいです』が、言えないと思う。」
妻「うわ〜それ必要だね。」
開示した時の『説得力』とは
妻「ただ、一度ついたイメージを払拭するにはその自己に説得力をつけなきゃいけないと思ってて。そうなると、やっぱり本当に自分が何が好きかとか、本当にやりたいことが何かっていうのを、丁寧に向き合わなきゃいけないんだろうな。」
夫「自己の説得力ね。それは確かに難しい。」
妻「SNSにめっちゃ良い車の写真あげてたら、『本当は車好きじゃないんだよね』って言っても、『いやいや、それで車好きじゃないとか嘘でしょ。』って言われちゃうと思ってて。
それに対して、『いや、でも本当はこういうのが好きで』とか『本当にしたいのはこれで』っていう言えるような自己分析をしないといけないよね。」
夫「本当にそう。でも、本当の意味で自己開示して自分軸で生きてる人たちは、そのロジックとか理論、知識を語る瞬間ってほぼないわけよね。」
妻「あ〜確かにそう。」
夫「逆に、日本人は自己の説得力を高めるために、説明力を高めたり、知識を深めてしまってるというか…。それが好きな人はいいんだけど。」
妻「人に説明するためにってことでしょ。開示するためには言葉にしなきゃいけないっていうのも、なんか違う気もするよ。」
夫「如何に表現できるワードをよく知ってるか、に委ねられちゃうよね。
俺の例で言うと、俺が前持ってた車も、結構ドレスアップしたけど、俺は車が好きなわけじゃなかった。
車じゃなくて、デザインが好きで。多分、駐車場に停めてるだけで良かったんだよね。自分が美しいと思う造形、色合い、その成り立ちとか歴史とかが美しいものを所有してただけの感覚に近くて。」
妻「うんうん。」
夫「俺はインテリアも好きだけど、テレビとか、時計とか、ソファーとか、その感性に全部に紐づいてるってわかって、『美しいと思う造形、色合い、その成り立ちとか歴史とかが美しいものが好き』っていう自己理解までは辿り着けた。」
妻「なるほど。」
夫「でも、造形が〜色合いが〜っていう話って、じゃあその色が何色って言うかとか、造形は角ばったものなのか丸いものなのか、って言語化されるものじゃなくて。
『見た中でこれを美しいと思った。』とか、実際はそう言う話だよね。」
妻「うわ〜難しいな。確かにそういう自己は、別に言葉にしたり表現しないで自分で持っとけばいいと思うんだよ。自分の中で納得できてればいいと思うんだよね。」
夫「うんうん。」
妻「でも、開示しなきゃいけないってなった途端に、言葉とか何かが必要になるっていうのが…なんか自己開示ってなんだろう。って思ってしまう。」
夫「でもそれをやらないと、人間関係リセットに繋がっちゃったりするわけじゃん。」
妻「めんどくせぇな、人間って(笑)」
夫「めんどくさいよ〜。かといって、説得できるだけの語彙力を身につけるのも無駄だし。」
妻「なんか自己開示をしなくていいような世の中になるのが1番いいんじゃない?(笑)」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きはvol.3で!
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