雨が連れてきたアンティーク食器との出会い
噂に違わず、ロンドンの天気は変わりやすい。
一年近く住んで少しは慣れたつもりでも、予報外の雨に遭って戸惑うこともしばしばだ。
しかし、時にはその雨が思わぬ出会いをもたらしてくれることもある。
隣町のHampstead(ハムステッド)は高級住宅街で、それにふさわしい洗練された店々が軒を連ねている。
そんなエリアにも住民たちによる質素なコミュニティセンターがあるのは、どこか素朴な香りが残るロンドンらしい。
狭い間口に似合わず奥行きのあるそのスペースでは、月に二度アンティークマーケットが開催される。
ある日、母と通りがかりに覗いてみた。
種々雑多なモノが集まるマーケットの出店者はお年寄りが多く、週末のお客さんの多さもその長閑な雰囲気を壊すことはない。
お茶を飲んだり、何かをかじったりしつつ客をあしらう彼らは、とてもリラックスしてみえる。
じっくり見て回ったが何か買うまでには至らず、帰ろうとしたところで雨が降り出した。
ただ止むのを待つのも手持ち無沙汰なので、もう一周見て回る。
一巡目も真剣に見たはずなのに、二巡目でもまた目新しいものが見つかるのは不思議だ。
先ほどはよく見ていなかった陶磁器の棚に、可愛らしい動物の人形が並んでいた。
私がその人形を手にするのを見て、どこからともなく店主が現れた。
杖を手にした、やや太り肉の、白い口ひげを蓄えたご老人である。
彼の店ではそのほかに、ティーポットと皿が目を引いた。
皿の方は、波打つような縁が楕円形を描いており、細かな青いドット状のプリントと果物の絵が施されている。
店主に値段を尋ねると、
「こちらのポットは1900年頃に作られたウェッジウッドのもので、90ポンド。この皿はええっと、8ポンドだったかな」
と言って、皿を裏返して値札を読んだ。
「おや、25ポンドだったか。でも8ポンドだと言ってしまったから、それで構わないよ。私のミスだからね」
と、真面目な顔で頷いて見せた。
8ポンドといったら、この物価高のご時世ではスーパーで中国製の皿も買えるかどうかという値段だ。
私はもちろん買うことにした。彼は丁寧に皿を包み、
「すまないね、病気のせいなんだ」
と、震える手で1ポンド硬貨二枚のお釣りを返してくれた。
迷ったが、断るのも失礼かと思い受け取る。
母が今だけ日本から来ていることを話すと、
「ぜひこの皿を使って楽しんで。きっと思い出に残るだろうよ」
と言ってくれた。
我が家のダイニングテーブルに腰を落ち着けたその皿は、古びた色合いと、とりどりの果物を手描きで彩った絵柄が愛らしい。
その雰囲気の良さだけで十分だとは思いながら、ついネットでその価値を調べたくなるのは庶民の性というものか。
今はGoogle の画像検索というものがあって、皿の写真を撮るだけでそれに似た画像を調べ出してくれる。
皿の底には、有名な老舗窯元である「Spode(スポード)」の裏印があった。
調べた結果、皿の裏印から推測するにこの皿は遅くとも1900年までに焼かれたものかもしれないとわかる。
取引価格も相応に、安くても30ポンドは越えるようだ。
サイトによっては同年代、同じメーカーの皿に数百ポンドの値段が付いていたりもして、母と私は紅茶を啜りながら目を丸くした。
さて、値打ちモノかもしれない皿をどうするか。
気に入って買ったのだから転売するつもりは毛頭ない。
また、高価かもしれないからといって飾っておくのもかえってもったいない。
この皿がどのような来歴を経てきたのかは、知るよしもない。
長い間あのおじいさんの店に出ていたのか、倉庫に眠っていたのか。あるいはアンティーク市場を転々としてきたのか。
百年のうちのある時には、どこかの家庭の食卓でご馳走を載せたこともあったかもしれない。
たっぷりとしたオーバル型の深皿にとっては、そうして人々に囲まれることが幸せではないか。
実際、年季が入った味わい深い乳白色のその皿は、我が家の食卓に上った時とてもくつろいで見えたのだ。
推定百二十三歳の皿は今、娘の好きな蜜柑や黒くなったバナナなどを乗せられて、食卓に出しっぱなしになっている。
もしも本当に希少で高価な皿だとしたら、彼女は不服だろうか。
あるいは、こんな老後も悪くないと微笑んでいるだろうか。
十一月も半ばの今になっても、来年どこにいるかいまだにわからない我が家であるが、もしまた日本や他の国に引っ越すとしたら、イギリス生まれのこのレディには船旅を願うほかない。
私たちに数ヶ月遅れて到着するであろう彼女が寛げる住まいが、その頃には整っていると良いのだが。
来月のアンティークマーケットにも、あの老人への挨拶がてら出かけるつもりだ。
十二月に入ればいよいよ寒くなるだろうから、お釣りの2ポンドで温かい紅茶でも差し入れようか。
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