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八百万の国の「仏教」とは何か?(中編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㊺ー

こんにちは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回も引き続き、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

「仏教」に焦点を当て、

「神社」と「お寺」の違いとは?

「仏教」とは何か?

日本国の歴史の中で「仏教」がどのように取り入れられたのか?

天皇と「仏教」とのつながりとは?

などの視点から、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



【今日の内容】
八百万の国の「仏教」とは何か?(中編)~先生のための『和の国・日本国』講座㊺〜 

1)「仏教」はどのように日本に伝来したのか?
2)「仏教」はどのようにして日本に根付いていったのか?
3)宗教浸透の明暗を分けた「仏教」「キリスト教」



前回の記事では、

「神社」と「お寺」の違いや、

「仏教」とは何か?

皇室と「仏教」との強い結びつき

についてお話してきました。


今回は、

もともと「神道」があった日本国に

どのように「仏教」が取り入れられきたのか?

についてお話していこうと思います。




1)「仏教」はどのように日本に伝来したのか?



538年。


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宣化天皇の時代に公式的に「仏教」が日本に伝わってきました。

(これを『仏教公伝』と言います。)

それ以前から、「仏教」は入ってきていたのですが

公式的に入ってきたのはこの時期だと言われています。


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中国大陸から「金の仏像」が送られてきたのです。

これを見て日本人は

『これは何だ?!すごいぞ!!』

と非常に驚いたそうです。


なぜならば、

当時の「神道」は、

何かものをつくって拝むという習慣がありませんでした。

「仏教」は、御神像を目にすることができますが、

「神道」では、御神体を目にすることは絶対にできません


そして、

「仏教伝来」というのは、

単に「仏教」という宗教だけが入ってきたわけではありませんでした。


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「見たこともないきらびやかな仏像」

「金ぴかの袈裟などの仏教の服装文化」


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「仏教音楽」

「法律」

「人としての正しい生き方の知恵」

「暦」

などなど


当時の日本の「神道」は大変質素なものだったので、

黄金に輝く仏像や服装を目にして、

『拝んだら何かいいことがあるかもしれない!』

と思わず思ってしまうような目新しいものばかりだったんですね。


このように、

この時期は「仏教」だけではなく、

新しいものが『文化』として大陸から日本に入ってきていたんです。


普通だったら、

例えばキリスト教の国に仏教が伝わったとしても

直ちに禁止されて終わるようなところ、


日本の場合はそのようになりませんでした。


「仏教」


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ゴータマ・シッダールタ


という釈迦族の王が伝えていた

インドの「新興宗教」であったのですが、

徐々に東西南北に広がっていきました。


日本には、


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「大乗仏教」
(拝んでいる個人だけが幸せになるのではなく、
 拝んでいればみんなが幸せになるという考え方)


という仏教の宗派が


インド⇒ネパール⇒チベット⇒中国⇒朝鮮半島⇒日本


という流れで、


「国家として仏教を拝むことで、国が栄え、人々が幸せになる。」


という考え方のもと入ってきました。


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当時、中国と言えば

世界最大の経済大国でした。

その中国では、国を挙げて「仏教」を取り入れていました。


そして、

朝鮮半島から日本にその考え方が伝わります。


日本からしたら、

当時最大の先進国である中国では

当たり前のようにみんながやっているものだったので、

『効果があるかもしれない!!』

と思ったのかもしれません。


そこで

第28代宣化天皇

第29代欽明天皇の時代に

『なんかすごそうだから、拝んでみようか!』

ということになります。


ここが日本のすごいところで

他の国では、

外国から来た宗教を

『とりあえず、効きそうだから拝んでみようよ!』

というようにはならないのですが、

日本では、

『八百万の神』と言われていて、

全てのものに神が宿るという発想があったので、

他の宗教に対して

あまり抵抗がなかったのかもしれません。




2)「仏教」はどのようにして日本に根付いていったのか?



そして、

『とりあえず「仏教」を拝んでみよう!』

という考えが日本に広がり、


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『「仏教」を進んで取り入れるべきだ!』
と主張する「蘇我氏」



『外国の神様を拝むのは、よくないのではないか?』
と主張する「物部氏(もののべ)」


との対立になりました。


そこで困った欽明天皇


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『とりあえず、蘇我氏が拝んでみてそれから決めようよ』


ということになりました。


そして、蘇我氏が拝んでみるといいことがたくさん起こりました。


『これは、「仏教」のおかげにちがいない!』

というようになっていきます。


ところがそのあとの、


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敏達天皇は、大の「仏教」嫌いでした。

その時代に、疫病が流行るんです。

そして、その原因が「仏教」を拝んでいるからではないか?

として、蘇我氏に拝むことをやめるように言います。


こうして、一時期、「仏教」は禁止されます。



しかし、


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用明天皇の時代。

蘇我氏の娘との間にできた蘇我系の天皇でした。


この時に、


公式に『「仏教」を認める』という詔


が出されます。


この後天皇3代。43年間にわたって蘇我系の天皇が続くことになります。


この間に、

『「仏教」を受け入れよう!』

という気運がますます高まり、


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推古天皇の時代。


蘇我氏によって、

「仏教」否定派の物部氏が攻め滅ぼされることによって、

「仏教」を本格的に取り入れることになっていきます。


推古天皇の時代は、

「仏教」を公式に認めるだけではなく、


『「仏教」交流の詔』


というものが出されます。


これは、

「仏教」を認めるというだけでなく、

『国を挙げて「仏教」を盛り上げていこう!』

というものでした。




3)宗教浸透の明暗を分けた「仏教」と「キリスト教」



ここが「キリスト教」との決定的な違いなんです。


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「神道」はもともと日本にあったもので48%
一方、外国の宗教であった
「仏教」46%に対して、
同じく外国の宗教であった
「キリスト教」はたったの2%


この「キリスト教」の数値。

先進国ではあまりに低すぎるんです!!


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例えば、

『韓国』のキリスト教徒は、約30%

『フィリピン』のキリスト教徒は、約90%

『アメリカ』のキリスト教徒は、約80%

『フランス』のキリスト教徒は約70%

『イギリス』のキリスト教徒も約70%

『台湾』のキリスト教徒は約20%


というように

どこの国も少なくとも20~30%はいるものなんです。


ところが、


日本は1~2%


100人いたら、1人か2人しかいない。。。


だって、

キリスト教徒は世界で20億人もいるんですよ!!


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フランシスコ・ザビエルに始まって

これまで多くの宣教師が日本に来て、

キリスト教を広めているのに

未だに1~2%の信仰率。。。


一方、

「仏教」はこんなに広がって

今では、お葬式と言えば「仏教」と言われているように、

日本人のほぼ全員が「仏教徒」と言ってもいいほど

広がっていますよね。



お互いに古い時代から広めているのに、
どうしてここまでの差があったのでしょうか?




その最大の理由はただ一つ。



『天皇が拝むように言っていないから。』


ですよ!!


用明天皇時代

「仏教」を公式的に認め


推古天皇の時代

「仏教」を積極的に拝むように言い


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聖武天皇の時代には、

大仏を造り、

現職の天皇自らが出家しました。

そして、仏に向かって拝みました。


もし、

これが「キリスト教」だったとしたら、

現在は「神道」と並んで「キリスト教」が栄えていたかもしれません。


このように、

天皇の信仰なくして、

「仏教」がここまで日本国に定着することはあり得ません!!

天皇も「仏教」の力を借りながら

日本国を一つにまとめていったのです。


もちろん、

「キリスト教」は一神教であるということも

要因の一つではあります。



「キリスト教」や「イスラム教」というのは、

もともとあった日本の土壌にはなじまず、

「仏教」だけが外国の宗教としては

日本に根付き、日本の歴史の中で大きな役割を

果たしていくことになったのです。




次回の記事では、

「神仏習合」と「神仏判然令」とはなにか?

現在の「神道」と「仏教」の関係とは何か?

ということを中心にお話していきたいと思います。




これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。


しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。


じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!


まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」


わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?

自分の生まれた国を誇りに感じることは、

きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。


一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。




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