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じぶんよみ源氏物語 9 ~人生は思い通りになる?~

Something great

自分の身に起こるすべてのことを
神のしわざだと仮定した瞬間、
哲学はいらなくなってしまいます。

私の大学時代の哲学の先生が、
「哲学とは名詞ではなくて、動詞なのだ」
と力を込められたことが今なお残っています。
「哲学する」という言葉。

与えられた世の中をよりよく生きるために、
自分の頭で考えて、行動に移す。

そしてまた、行動したことについて、
自分の頭で軌道修正を図る。

この連続が「哲学する」ことであり、
自分らしく生きる根源だと思います。

この意味において、
「人生は自分が考えた通りになる」
と私は思っています。

とはいえ、それだけで、
自分の人生の説明がつくと納得した途端、
再び思考は停止して
哲学できなくなってしまう
という事態に陥るのもまた事実です。

私たちは、もうひとつ、
人生において大切なエッセンスがあることに
気づいています。

いくら自分で考えて行動しても、
人生とは予測不可能なことがたくさん起こる。
だからせめて自分の運気を上げるべく、
神様どうか見守ってくださいという感覚です。

たくさんの方々が初詣に参拝されるのは
そのためではないでしょうか。

人間には考えるための頭と、
感じるための心と魂があることを、
私たちは経験から感じ取っています。

古典の中の人々は「宿世すくせ」を感じていました。
前世からすでに決まっていたこと。
自分の力ではどうしようもならない因縁。

平安貴族たちは、
今の苦悩は前世で自分が犯した罪のせいと捉え、
来世では苦悩を回避すべく、神仏にお祈りし、
今の自らの行いをただそうと勤めたのです。


人生は思い通りにしかならない

話を源氏物語に戻します。
藤壺は桐壺更衣にそっくりな女性。

光源氏は、この義理の母に、
亡き母の面影を見ただけではなく、
あろうことか、恋をしてしまいます。

彼は、一度心を燃やした女性は、
何としてでも手に入れるのです。

人目すらはばからずに
紫の上を自分の邸に連れてきた背後にも、
藤壺の大きな存在があるがゆえ。

そんな時、吉報(?)が入ります。
藤壺が体調不良になり、
父帝の元をいったん離れ、
里下りをするというらしいのです。


「あくがる」

光源氏と藤壺の逢瀬には
不思議なパワーが作用していました。

藤壺の里下がりを知った光源氏の心は、
完全にセルフコントロールを失いました。

かかるをりだにと、心もあくがれまどひて

(訳)
せめてこの機会にだけでもお会いできればと、
心が上の空になってしまって

「あくがる」は「憧れる」に通じる言葉で、
「心が体から抜け出して宙をさまよう」
というニュアンスです。
わが身を超えて心と魂が勝手に動き出すのです。

宮中のネットワークを持つ光源氏は、
藤壺付きの女房である王命婦おうのみょうぶに詰め寄ります。
王命婦はどうやって調整したのか、
一夜限りの逢瀬を実現させたのです。


男の側と女の側と

宿願を果たした光源氏の心は
完全に晴れたわけではありませんでした。

(光源氏)
見てもまたあふよまれなる夢のうちに
やがてまぎるるわが身ともがな

こうしてお逢いできても、
再びお会いすることはできそうもないですね。
このまま夢に紛れ込みたいわが身です。


ずっと夢の中にいたい、現実に戻りたくない、
という切実な想いを訴えます。

(藤壺)
世がたりに人や伝へんたぐひなく
うき身を醒めぬ夢になしても

(訳)
世の語り草として伝えられないでしょうか。
この上なくつらい私の身が
覚めることのない夢の中のものとしても。


一方の藤壺は光源氏とは対照的に、
世の人々の目を恐れます。

恐怖におののく藤壺のそばで、
逢瀬を手引きした王命婦は、
光源氏の脱いだ着物を集めて持ってきています。


あさましき宿世

さらに悪い予感は的中します。
藤壺は光源氏との子供を懐妊したのです。

(藤壺)
あさましき御宿世のほど心うし。

(訳)
思いもよらなかった
前世からの因縁のほどが嘆かわしい


「あさまし」とは「驚きあきれるばかりだ」。
古文ではよく出てきますね。

藤壺の嘆息に対して、王命婦もこう漏らします。

なほのがれががたかりける御宿世をこそ、
命婦はあさましと思ふ。

(訳)
やはり逃れられなかった前世からの因縁だと、
命婦は嘆かわしいと思う。

彼女が2人を会わせたのは、
何かを察知してのことだったのでしょうか?

この後、藤壺は皇子を出産します。
帝の歓喜はまた次の機会にお伝えするとして、
彼女は生涯、罪の意識と恐怖感を抱えながら
生きていくことを約束されたわけです。

それは同時に、
天皇になれなかった光源氏が、
何と天皇の父になるというミラクルを
決定づけることにもなりました。

「源氏」とは敗者を表す。
ところが光源氏には、
この先、栄華が用意されているのです。

誰にも予測できたかった、
宿世のパワーが作用したのかもしれません。


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