現実を知り決断へ
弟は札幌のメガネ店で働くサラリーマンでした。
私と弟はお互い大人になって家庭を持ってからは、一年に一度か二度顔を合わせることしかなくなっていました。
ALSという非情な病気の宣告を受けて、動かなくなるのが利き手の右手から始まり少しずつ左手も動かしにくくなってきたころ
『ネクタイを締めることができなくなった・・ワイシャツのボタンをはめることができなくなった・・』
そんな話を聞いた母親が心配し、締めなくてもいいように初めから結んでただ差し込むだけにしたのネクタイを作っていました、泣きながら...
そしてスナップボタンや、マジックテープでワイシャツを止められるように、新しいワイシャツを買っては、弟が生活しやすいようにいろいろ工夫していました。
そのころ弟はタクシーで病院に通い、点滴をし、そのあと午後からまたタクシーで出勤するというハードな日々を送っていました。
職場の方たちが本当に本当に親切で、ブログの中にも著書『生命あふるる日々』の中にも書いてありますが、どれほどお礼を言っても足りないほど、面倒を見ていてくれました。
ある日私は弟が心配でメガネの調整のために弟のお店に、何気なく立ち寄りました。
その時弟は、パソコン作業をしていて、私に気が付くと、立ち上がりましたが、机に乗っていた書類とか、様々な小物たちが勢い余って全部散らばってしまいました。
職場の女性たちは、ささっと来てくれて、何気なく片付けてくれましたが、
私は、見たくないものを見てしまったような気がして、なぜ今日店に行ってしまったのだろうと少し後悔しました。
毎日、正社員として働くのは無理ではないか?時間を減らしてもらうように会社に掛け合ってみたらどうなんだろう・・
親と相談し、仕事を休んで治療に専念するように話に行きました。はじめは全く受け入れられませんでした。
弟のプライドや、仕事への考え方はまじめであり、
『俺のことに口出しをするな!』そう言われました。
それまでいろいろな民間療法やいいと言われるもの、ヒーラーやサプリなど紹介しましたが、一向に効果は見られず、弟は『難病だからすべて無駄だ。無理なんだ』と言うばかりでした。
ただ、その時、私は弟の場合の唯一の心の支えは一人息子のゆうとだけだということに気が付きました。
泣きながら『ゆうとに父親として闘う姿をみせないのかい?』と私が浴びせた言葉で、ハッとさせられたといいます。
親のためでもなく自分のためでもなく弟はゆうとのためだけには『生きたい』と思えたのです。
その後つらい選択ではあったと思いますが『仕事を辞め、ゆうとと離れて実家で治療に専念する』ということを決めたのです。
『父ちゃんもがんばるから、おまえも頑張れ!』そうゆうとに伝え、家族ぐるみでの闘い?
が始まりました。
私も覚悟を決め、仕事も辞めて、実家で暮らすことに決めました。
今思うと、随分と私も思い切ったなぁとおもいます。
でもね、その生活は結構楽しかったんです。
大人になってから、親や兄弟とあんなに一つの目標に向かって団結することなどなかなかできないなぁと今では弟に感謝しています。