『一回転して気づいたこと』第61言
エビスビールのCM、あのシリーズ、結構スキ。
さっきやってたCM、妻夫木くんの「引退して後悔したことはない?」の問いに「ないです……たぶん」と返す内田元サッカー選手を見て、「あぁ、こんな風に肩の力ぬけてたら」なんて思ってしまった。
わたしは絶対「ないです」と言い切ってしまう強がりで負けず嫌いで頑固だからだ。(いや、前向きポジティブと言ってくれ)
人生で初めて味わった「挫折」といえば、大学受験だ。まぁ受かるでしょと鼻高ヤローだったわたしは8校中1校しか受からないという鼻高ポキンをくらう(涙と鼻水で、床にはティッシュの海ができてたっけ)
高校生のわたしは「大学」の中に、その先につながる「大きな価値」を見いだしていた。だからどうしてももう1度チャレンジしたかった。とは言え、浪人は許されず、受かった1校に通うこと、そこで「優」の成績をとること、この2つを条件に再受験を許してもらった。
仮面浪人して1年後、晴れて受かる。
さて、その後もいろいろ起きた。卒業後、就職後、転職して海外にも行って、帰国してまた就職して…という風に。
失敗は成功の糧にすればいい、失敗はじぶんが失敗だと思うから失敗なんだ、じぶんが足さえ止めなければ、失敗はかならず成功のもとになってくれる(昔から鼻息あらいな~)
あの時のアレがあったから今のコレがある。あの時の「点」がその後につながって「線」になっていく(これは確かにそう)
「起こることは常に最善」これが生きていく上で最強の信条になった。
ただ、つい最近、
その意味合いにもう一つ何か違うものが加わった。
あの時、『あきらめない』という選択をしたけど、もしかして『受かったA大学で頑張る』ことが大事なことだったんじゃないかーーー
確かにあの時、あきらめずに仮面浪人をしたおかげでB大学に行き、B大学に行ったからスペイン語を学び、そのおかげで海外での仕事にも就けて、それが自信になって帰国後も好きな仕事に就けて・・・なんて続く。
「だからあの時A大学しか受からなかったのは良かったことなんだ」にしてきた(もはや意地でも)
でも歳を重ね、いろいろな経験をし、一回転したのか、ふと……
「与えられた環境で最善を尽くすこと」
本当はこれが大事だったんじゃないか、と思いめぐらす。
あの時のわたしには「あきらめる」「あきらめない」の二者択一にしか見えてなかったけど、実は「受かったA大学で最善を尽くす」選択であって、本当はそれがあの時の『正解』だったんだろうか、なんて思ったり。
『正解』かどうかなんてわかんない
結局どうやっても「あきらめずもう一度チャレンジする」を取る性分だろうし(笑) 今も後悔しているわけでは全くない(頑固)
ただ、今日の内田選手の「(後悔して)ないです……たぶん」の「たぶん」くらいのおだやかな鼻息だったら、A大学で頑張るってのもアリだったのかもな〜「起こることは常に最善」なんだし。。
まぁ…それでも『納得したかったんだろ?』という自分の心の声がきこえてくるもので。あの時はあの時で「もう一度チャレンジする」を選択しないと自分が納得できなかったんだから仕方ない。
あの時チャレンジしてなかったら今度は「頑張ってたら〇〇になってたかもしれない、△△できてたかもしれない」と悶々としてたかもしれない。
だから、何ともいえない
人生に『タラレバ』はない
だけど、こうして「A大学しか受からなかったおかげで」だけじゃなく、「A大学が受かったおかげで」な人生も実はあったんだろうことに1回転して気づけたのは、これまた「起こることは常に最善」なんだろう。
どちらにせよ、
【どんな状況下でも】最善をつくすこと、それプラス、【与えられた環境の中で】最善をつくすこと、両方の大切さを学ばせてくれた父と母、家族に劇的なる大感謝を申し上げたい。。。
「自分が頑張っている」つもりでいて……「それ」をやらせてもらってたんだから……100万回感謝しても足りんばい。
*まとめ*
【挫折】は「わたしが気づかなきゃいけないこと」に気づくための【学び】だっただけなのかもなー。
努力することは多く美徳だけれど、はき違えていたものも一部あったのかもしれない。
【ないものねだりが発端にある努力】
それが大事な時もあるけど、
【あるものさがしの中にある努力】
それだっていいじゃないか。
きっと、それこそが大事な時もある。
そんなことを想いながらビール飲むのも悪くない(ぷはぁ)
今日もここまで読んでくださってありがとうございます!
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