京都の修学旅行のコース作りに役立つテーマ別の目次です。目的の学習ができるよう、組み合わせてコースを作ってみましょう。 登場人物 京都を中心にした人物に関する地歴ポイントを紹介しています。全国の関連する史跡も掲載しています。 第50代 桓武天皇 早良親王(崇道天皇) 第52代 嵯峨天皇 第55代 文徳天皇 第56代 清和天皇 秦 河勝 和気 清麻呂 坂上 田村麻呂 最澄 空海 藤原 冬嗣 菅原 道真 源 義経 祭・政・奉・祀(マツリ) 平安京では、先住の渡来人や大陸
737-806年[在位 781-806年] 父:第49代 光仁天皇 母:高野 新笠(和 乙継の娘) 弟:早良親王(同母弟)、他戸親王 妻子: 藤原 乙牟漏(皇后) ー 第51代 平城天皇、第52代 嵯峨天皇 藤原 旅子(夫人) ー 第53代 淳和天皇 他 酒人内親王・藤原 吉子 など (多治比 真宗との子孫などが臣籍降下し桓武平氏となる) ❶平安京 大極殿遺跡碑(京都市中京区聚楽廻東町) ❷平安神宮(京都市左京区岡崎西天王町) 1895年、内国勧業博覧会開催に際
750?-785年[皇太子在位 781-785年] 父:第49代 光仁天皇 母:高野 新笠(和 乙継の娘) 兄:第50代 桓武天皇 弟:他戸親王 早良親王は第50代 桓武天皇の弟。781年に皇太子となったが、長岡京造営の際、藤原種継暗殺に連座したという疑いを受け幽閉された。淡路国に配流の途中49歳で薨去。後に『御霊』という考えのもととなった。 ❶幽閉場所乙訓寺(京都府長岡京市今里) 早良親王は長岡京のそばの乙訓寺に幽閉され、無実を訴えて絶食したと伝わる。 811年第52
第52代 嵯峨天皇は兄の平城上皇(第51代 平城天皇)が平城京へ都を戻そうとして対立、賀茂大神に祈願して薬子の変(810年)で勝利した。約束通り皇女を奉仕させることとし、伊勢神宮に倣って斎王を選び『斎院』と呼んで以降承久の乱(1221年)で廃れるまで35名が仕えた。現在は、葵祭の斎王代に受け継がれている。 ❶斎院の御所 紫野院櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ) (京都市上京区大宮通盧山寺上る西入社横町) 斎王に500人の宮人・女官が仕えた。約150メートル四方の敷地規
【登場人物】 第65代 花山天皇 第66代 一条天皇(藤原兼家の孫) 右大臣 藤原兼家 兼家三男 藤原道兼 花山天皇が藤原兼家によって計略され、出家し一条天皇が即位する。兼家は外戚として摂政となる。藤原北家の中で兼家の流れが世襲摂関家となり、5男の道長は最盛期を迎えた。 ❶右大臣 藤原兼家の屋敷跡大将軍神社内 東三条社(京都市東山区三条大橋) 大将軍神社とは、桓武天皇が平城京鎮護のため都の四方に置いた神社。 ❷花山天皇が出家した現場元慶寺(京都市山科区北花山河原
1185年8月6日正午頃(西暦)後鳥羽天皇の時代 【規模】マグニチュードM7.4(諸説あり) 【震源】琵琶湖西岸断層帯 または 南海トラフ(諸説あり) 壇ノ浦の戦いから3ヶ月余りで起きた地震治承・寿永の乱の壇ノ浦の戦い(1185年4月25日)から3ヶ月余りの8月6日、京都を中心に大きな地震が起きた。京都では三十三間堂が倒壊し、岡崎にあった『六勝寺』のうち法勝寺の八角九重大塔が破損するなど、白河エリアを中心に甚大な被害が出た。 琵琶湖の水は北流して干上がり、比叡山も被害を受
786-842年[在位 809-823年] 父:第50代 桓武天皇 母:藤原 乙牟漏(藤原式家 内大臣・藤原良継の娘) 兄:第51代 平城天皇 妻子: 橘 嘉智子(皇后) ー 第54代 仁明天皇 交野女王(宮人)ー有智子内親王(初代 賀茂斎院) 他 多数(皇子17名・皇女15名が臣籍降下し嵯峨源氏となる) ❶離宮 大覚寺(京都市右京区嵯峨大沢町) 嵯峨天皇と皇后の離宮。親交の深かった空海が持仏堂として五大明王を安置し五覚院を建立。のちに第91代 後宇多法王がここで院政
775-826年(藤原北家・左大臣) 父:藤原 内麻呂 母:百済 永継 兄:藤原 真夏 子:長良 吉方 良房 他 ❶屋敷跡宗像神社(京都市上京区京都御苑) 冬嗣が父・内麻呂より与えられた東京一条第と呼ばれる邸宅に、795年桓武天皇の許しを得て平安京鎮護のため福岡県の宗像神社から勧請した。850年に曾孫の清和天皇が生誕した場所でもある。現在の京都御苑内にある。 ❷藤原北家の興隆祈願興福寺 南円堂(奈良市登大路町) 藤原氏の氏寺である興福寺に、813年父・内麻呂の追善のために
1159-1189年 父:源 義朝 母:常盤御前 ❶生誕地胞衣塚(京都市北区紫竹牛若町) ❷修行地鞍馬寺 不動堂・義経堂(京都市左京区鞍馬本町) ❸旅立ち首途八幡宮(京都市上京区桜井町) 番外編❶ 母:常盤御前の屋敷跡 常槃井(京都市北区紫野下築山町) 番外編❷ 弁慶と出会ったエリア 雲林院(京都市北区紫野雲林院町) 番外編❸ 後白河天皇御所跡 法住寺(京都市東山区三十三間堂廻り町) 番外編❹ 源氏の拠点 六孫王神社(京都市南区八条町) 【全国の史跡】
766-822年 父:三津 百枝(正八位下) 母:藤原 藤子(藤原 鷹取の娘、魚名の孫)※諸説あり ❶比叡山の西麓に生まれる生源寺(滋賀県大津市坂本) 誕生した三津氏の館に、最澄が自ら建立した寺。最澄は14歳で近江国分寺で得度して、奈良の東大寺戒壇院で受戒し僧になった。 ❷比叡山を拠点にする延暦寺(滋賀県大津市坂本本町) 最澄は20歳で比叡山に草庵を結び、一乗止観院と名付けた。遣唐使で渡った唐から帰国した後も、第50代 桓武天皇の許可を得て比叡山を拠点に、唐から持ち帰っ
567年(第29代 欽明天皇の時代)国内で風水被害と飢饉が起こり、占いの結果、賀茂大神の祟りとされた。勅命(天皇の命令)で盛大に祭礼を行ったところ収まり豊穣になったことから、朝廷の祭祀に準じた祭として催行されるようになった。 ❶葵の葉❷賀茂競馬(5/5)上賀茂神社(賀茂別雷神社:京都市北区上賀茂本山) 宮中で行われていた競馬会が上賀茂神社で毎年5月5日に行われる(かもくらべうま)。現在では葵祭の前儀のひとつとなっている。 ❸御蔭祭(5/12)御蔭神社(京都市左京区上高野東
845-903年(従二位・右大臣) 父:菅原 是善(参議) 母:伴真成の娘 子:菅原 高視 菅原 衍子(第59代 宇多天皇の女御-斉世親王) 第59代 宇多天皇・第60代 醍醐天皇の代に文官を務めた。右大臣を務めるが、昌泰の変で大宰府外帥に降格され、九州で亡くなった。同時に菅原一門も流罪とされ、古代から官職にあった菅原氏は、鎌倉時代まで中心的な官職には就くことがなかった。 ❶住んでいた場所菅原院天満宮神社(京都市上京区堀松町) 菅原道真の曾祖父から4代にわたって住んだと伝
【登場人物】 第56代清和天皇 大納言 伴善男 左大臣 源信 太政大臣 藤原良房 朝堂院の正門・応天門が放火され、藤原良房は第56代清和天皇に奏上し、伴善男に犯人とされた源信を擁護する。その後、密告から伴善男親子が逮捕され、伴氏・紀氏らが流罪となった。官職に携わってきた伴氏・紀氏が排斥され、藤原北家に権力が集中するきっかけとなった。 ❶再現された応天門(京都市左京区岡崎西天王町) 平安遷都1100年で創建された平安神宮に、8分の5の大きさで復元された応天門
平安京ができてちょうど70年経った、第56代 清和天皇の貞観年間には、全国的な大災害が多発した。 ❶貞観大噴火864年富士山で記録に残る中で最大の貞観大噴火が起こる。北側にあった「せの海」が溶岩流で埋まって西湖と精進湖となり、溶岩流が青木ヶ原樹海となった。東海道が通れなくなり迂回路が造られた。延暦大噴火(800-802年)の際、朝廷は富士山に正三位の神位を与え鎮謝し駿河国に祀ったが、貞観大噴火で新たに甲斐国でも祭祀を始めた。噴火は2年に渡った。 ❷貞観大地震869年7月9
昌泰の変901年、宇多上皇に近侍していた右大臣の菅原道真が、娘婿にあたる斉世親王を次の天皇に立てようとしているという噂が流れた。政治的に対立の立場であった第60代 醍醐天皇や左大臣の藤原時平らによって、道真は大宰員外帥に降格させられ、903年に九州で亡くなる。 ❶ 菅原院天満宮神社 (京都市上京区堀松町) 菅原道真の曾祖父から4代にわたって住んだと伝わる邸宅跡。 清涼殿落雷事件909年 藤原時平は39歳で他界。930年 都は干害になり、清涼殿で雨乞いについての会議中に愛
貞観時代(859-877年)全国で噴火や地震などの天災が相次ぎ、第56代 清和天皇によって御霊会が始められた。869年疫病が流行り、この年の御霊会で当時の国の数66本の鉾を立て八坂神社から神泉苑に御輿を送ったことに由来し、祇園祭が始まる。 ❶山鉾町で立てられる山鉾(京都市中京区・下京区 南北/姉小路通~松原通、東西/東洞院通~油小路通の間) 毎年7月10日より、点在する山鉾町30数か所で山や鉾が立てられる。釘を使わず木と縄で組み立てていく。 ❷宵々々山、宵々山、宵山前祭(