賀茂斎院
第52代 嵯峨天皇は兄の平城上皇(第51代 平城天皇)が平城京へ都を戻そうとして対立、賀茂大神に祈願して薬子の変(810年)で勝利した。約束通り皇女を奉仕させることとし、伊勢神宮に倣って斎王を選び『斎院』と呼んで以降承久の乱(1221年)で廃れるまで35名が仕えた。現在は、葵祭の斎王代に受け継がれている。
❶斎院の御所 紫野院
櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)
(京都市上京区大宮通盧山寺上る西入社横町)
斎王に500人の宮人・女官が仕えた。約150メートル四方の敷地規模だったと伝わる。
❷斎院が仕えた上賀茂神社
(京都市北区上賀茂本山)
❸斎院が仕えた下鴨神社
(京都市左京区下鴨泉川町)
斎王が葵祭などの祭儀で滞在した賀茂斎院御所があった。現在は大炊殿などが再興されている。
❹初代斎院 有智子内親王墓
(京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町)
初代賀茂斎院 父:第52代 嵯峨天皇(第八皇女)母:交野女王
807-847年[斎院 810-832年]
関連史跡❶ 伊勢斎王(斎宮)の潔斎所
野宮神社(京都市右京区嵯峨野々宮町)
伊勢斎王が伊勢に行く前、1年間潔斎した場所
関連史跡❷ 伊勢斎王(斎宮)の潔斎所
斎宮神社(京都市右京区嵯峨野宮ノ元町)
伊勢斎王が潔斎をした場所
関連史跡❸ 伊勢斎王(斎宮)が禊をした川
有栖川(京都市右京区)
【全国の史跡】
● 斎宮跡(三重県多気郡明和町)