自分が望めば空腹も空虚も埋めることができるのだと気づいた
人づきあいがあまりうまくいかず、もがき苦しんでいた時期がある。
大学2回生の秋も深まった頃のことだ。
2回生といえば、所属していたサークルの運営を任されていた頃。
なかでも僕は、前年の新歓コンパでへべれけになったことから、サークルの決まりで代表になり、いろんな面倒も舞い込んでいた。
体重も10kg減って50kgを割り込んだ。
どんより曇った午後、僕はあてもなく自転車をよろよろと漕ぎだした。
どれだけの時間が経ったのか分からない。
吉田からどう走ったのか、気がつくと僕は寺町二条の角にいた。
途中、鴨川を渡ったことさえ記憶になかった。
***
僕は寺町通が好きだった。
寺町通は、平安京の東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)のこと。
つまり都のいちばん東の端という意味だ。
秀吉が寺を強制的に移転させてこの通り沿いに集め、寺町通となった。
今はナショナルブランドのアパレル店が次々と進出し、まるで東京の一角のようになってしまったが、当時は古書や古美術の店が集まっていたり電器店が並んでいたりと、場所によっていろんな表情があるのが好きだった。
***
その寺町通によろよろ行き着いたのだった。
これからどうするん――
ここから次どこへ行くのかという問いは、そのまま人生どこへ向かうのかという重い問いに重なった。
それが分からないから鴨川の西まで迷い込んだのだ。
堂々巡り、行くあてのない彷徨は虚しさをいっそう募らせる。
…ふと香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
顔を上げるとそこに焼き芋店があった。
当時は全然知らなかったが、百年続いた名店だったらしい。
焦げた匂いは、甘くホクホクの芋をたちどころに想像させた。
いてもたってもおれなくなった僕は、迷うことなく焼き芋を買い求めた。
熱っ! 手渡され、あまりの熱さに落としそうになる。
これを冷ましてしまうなんてありえない!
来た時とは別人のような機敏な動作で自転車を漕ぎ、鴨川べりに出た。
自転車のスタンドを立てるのもそこそこに、川のほとりの地べたにペタンと座り、包み紙を引き裂いて芋を一口かじった。
うまい!
実は焼き芋なんて僕はそれほど好きではないのだ。
でもそんな自分の常識はもうどこかへ吹き飛んでいた。
寺町に行き着いたのは、この芋に出会うためだったと確信した。
どんなスピードでむさぼったのか、最後まで変わらぬ熱さで食べきった。
何度も喉を詰まらせ、むせながら、嗚咽を漏らしながら。
気がついたら僕は泣いていたのだ。
目の前に現れた幸をためらうことなく求め、満たされた自分。
自分が望めば空腹も空虚も埋めることができるのだと気づいた。
雲の切れ間はまだどこにもなかったけれど。
出会うべくして出会った焼き芋。
この日から、焼き芋は僕の好物になった。
寺町二条の焼き芋店。
2005年に店主が亡くなり、百年の歴史に幕を下ろしたそうだ。
できることならもう一度買い求め、店主にお礼を伝えたかった。
残念だけど、形あるものはいつかはなくなる。
でも焼き芋から受け取ったぬくもりは今もまだ僕の心にずっとある。
(2022/8/30記)