自称明石出身の語る明石
今日は自分の原点でもある明石を語ろう。
兵庫県加古川市に生まれたらしいが、すぐ明石市に引っ越したみたいで意識の中に加古川はなく、自称明石出身。
海鮮の町・明石
明石といえばのタコ、タイ、アナゴ、ノリに囲まれて育った。
町の真ん中を東西に走る魚の棚(うおんたな)商店街では、各店から脱走したイキのいいタコがあちこちウネウネと散歩していたのを思い出す。
高価な品というのに、店の人もタコの自由を許していた古きよき時代。
魚の棚に今やこんな垢抜けたPR動画があると知ってちょっと驚いた。
タコを使った明石焼は有名だが、地元では玉子焼と呼ばれる。
一般の卵焼きとどう区別して呼んでいたか今となっては思い出せず、「今日の昼、タマゴヤキやで」で思い浮かべてたのはどっちだっけ。
ダシにつけるのが特徴とは知られていても、生地は大阪のたこ焼きと同じと思っている人が多いらしいが、玉子焼というだけあって生地には大阪比3倍ほどの卵が入って黄色く柔らかで、マカロン形に仕上がる。
トップ画を見ていただけると分かるが、いらすとやさんの玉子焼は幾分たこ焼き形だったので、一つだけ玉子焼形に描き直してみた。
明石で語られる由緒は、まず明石で玉子焼が誕生し、大阪が真似ようとしたがタコが手に入らないのでコンニャクで代用して作り、後に大阪でもタコが入手できるようになって今のたこ焼きになったというもの。
こういうの諸説あるし、それぞれが地元びいきの説を信じればいい。
ちなみに明石のタコは弾力が強く、今どきの玉子焼は、アゴの弱った現代人に合わせてモロッコあたりのへなちょこタコを使っているとかいないとか。
毎年、運動会に来た加古川の祖母と「こだま」に寄るのが楽しみだった。
今は駅ビル改修でこぎれいな店になってしまい、色気づいてお好み焼きなどもあるようだが、当時は狭い階段を上がる窮屈な店で、そこで食べる玉子焼が大好きだったのだ。
高級魚のアナゴも当時は日常魚で、押し寿司が自販機で買えた。
お金を入れてボタンを押したら、ドスン!と寿司とは思えない音を立てて落ちてきて、いつの製造?と首をかしげながら頬ばったものだ。
三つ子の魂百まで、今でもあらゆる寿司の中でアナゴの押し寿司イチオシ。
子午線の町・明石
明石は東経135°の子午線が通る町としても有名だ。
世界標準時がイギリスなら日本標準時は明石、という響きに誇らしいものを感じていたし、子午線直下の天文科学館には当時日本にまだ3か所しかないプラネタリウムがあって、これがまた誇らしさを増幅させていた。
館内にある月面体重計は、単に体重の6分の1の値がきっぷのようなものに印刷されて出てくるのだが、毎年それに乗るのが楽しみだった。
明石天文科学館(©明石観光協会)
原人の町・明石
明石にはそういえば明石原人という名物もあった。
小学生向けの郷土史教材には明石原人の記述があったし、中学の宿泊訓練でその発掘現場も見に行った。
今では原人説は否定され、古くても7万年前の旧人とされているようだが、その名をポップに「明石原人まつり」や「明石原人バーガー」に伝えているらしい。
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チクワで田んぼのザリガニ釣ったり、明石城の石垣をよじ登って落ちたり。
ごちゃごちゃの町の、ごちゃごちゃの10年。
海がすぐ近くだから常に船の音が聞こえていた。
後に神戸で聞くことになる国際客船のボーーッという汽笛ではなく、淡路島へ向かうポンポンポンというかわいい汽船のエンジンだ。
明石の音が、今も耳から離れない。
(2021/4/10記)