聖フィーナの物語(1)中世の町サン・ジミニャーノの少女
自分が好きなルネサンスの美術について、すこしづつ書いてみましたが、もうひとり、ルネサンス期のドメニコ・ギルランダイオという画家と
彼が絵に描いた、あまり知られていない聖女について書いてみます。
・・と書き始めてから、少々時が経ってしまいました。
イタリア語の冊子をちょっとづつ(翻訳サイトで)読みながら書いているからなのですが、ふたつに分けて前半を今日投稿してしまいます。
なぜかというと、今日3月12日はフィーナという聖女が亡くなった日だから。
彼女の死を予告しに現れた聖グレゴリウスという聖人の祝日でもあります。
というわけで、私が好きなトスカーナの小さな町サン・ジミニャーノのことから。
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イタリアのトスカーナ州にサン・ジミニャーノという小さな町があります。
フィレンツェの駅前から青い中距離バスに乗って、ポッジボンシという町でまた違うバスに乗り換えて行きます。
この行き方はいまだに変わっていないようです。
駅から電車に乗るのと違って、
バスからまたバスに乗り換えるって、ちょっと緊張するのですよ。
このバス停でいいのか、バスはちゃんと来るのかな、って。
今だったらスマホで時刻が調べられるのかもしれないけれど
昔は前もってそれぞれのバスの時間をフィレンツェで調べて出かけました。
フィレンツェからバスで日帰りできる町としてはシエナがありますが、
私はこのサン・ジミニャーノのほうが断然好きでした。
こじんまりとした町なので、ぶらぶら町歩きが楽しいのです。
サン・ジミニャーノには塔がいくつもポコポコ聳えています。
その数、いまは14だそうですが
権力の象徴だった昔は、多いときで70もあったのだとか。
13世紀、この町にフィーナ・チャルディという少女がいました。
彼女の家は没落貴族で、とても貧しかったそうです。
生家がいまでも町に残っています。
フィーナは10歳ですでに背が高く、顔も姿も美しかったそうで、年齢よりも上に見られたようです。
フィーナが公衆の泉に水を汲みに行ったときのこと。
ある青年が彼女を見て恋に落ち、告白しようと近づいてきました。
しかし彼は、フィーナの瞳があまりに無垢で光輝く透明感で溢れているのをみて、言葉を失ってしまったのでした。
そして、意味するところをわかってくれるよう願いながら、
彼女にリンゴを差し出しました。
まだ幼く素直なフィーナは、何もわからず、受け取ってお礼を言い
家にいる母親へもって帰りました。
母は動揺し、起こったことはとても危険なことで、おきた事自体を忘れなさいと諭しました。
10歳になったばかりの娘は、求婚されるには早過ぎたからでした。
事の次第を理解した彼女は、もともと信仰心が篤かったこともあり
自分の姿が危険なことを引き起こしたと考え、断食など苦行をするようになります。
それだけでは満足せず、
「神よ、どうか私の顔から愛らしさを取り去ってください。そして、私の肉体を苦しめ、もはや誰の称賛の対象にも、罪の機会にもならないようにしてください」と祈りました。
フィーナは手足が麻痺して動かなくなる病気にかかり、顔は変形し
動かせるのは頭だけになったそうです。
さらに、心地よい寝台に寝ることを拒否し、むき出しの樫の木の板の上に寝るという苦行をしながら、5年間過ごしました。
フィーナの身体は床ずれのところが腐り始め、蛆が沸き、ねずみまでが彼女の肉体を漁ろうとします。
フィーナはこれに「喜ばしい忍耐」を持って、耐えたといいます。
彼女のこの生き方は町の城壁の内外の人々に知れ渡りました。
彼女を小さな聖女と呼ぶ人が増え続け、
家には捧げもの(施し)がたくさん届くようになります。
それがあまりに多いので、それらを今度は貧しい人たちに分け与えるようにして、彼女の家は一種の慈善センターのようになったのだとか。
フィーナの父は亡くなり、母も突然の事故で亡くなってしまいますが、
多くの敬虔な人々は、ひとりぼっちになった彼女を、それまで以上にサポートしようとします。
それに対しフィーナは、「忍耐力、霊感に満ちたアドバイス、天使のような祈りや聖人のような振る舞いによって彼らに模範、強さ、永遠の命を追求するために必要な手段を示し、彼らを啓発し、慰め」ました。
*
あらためて書いてみると、聖人になる人たちがここまで自分を痛めつけることが理解できないな、と感じるようになった自分がいます。
聖人伝というのはプロパガンダ的な部分も多いと思うので
完全に鵜呑みにはできないですが、
以前は「このくらいのことをする人が聖人になるわけだ」と単純に思っていました。
そう受け入れてた自分もそうとう「修行者」だったようです。
でもいまは、キリスト者ってどうしてそう身体を痛めつけていたんだろう、と疑問に思います。
むしろ身体は神が宿る神殿だ、という考え方があるし
そちらの方がしっくりきます。
フィーナの死と、ギルランダイオの絵画については、次回。