光る君と一年
週末にご馳走(というほどでもない)とケーキを食べたら、すでにクリスマスは終わった気になってしまい、
まだチキンの写真が載っているチラシを見ては、変な感じになっています。
ご馳走といってもクリスマスではなく、家族の誕生日なんだけれどね。
「光る君へ」も終わって、1週間以上たってしまいました。
1年間かかさず大河ドラマを観たのなんて、たぶん子供のころ以来です。
視聴率はワーストは逃れたらしいけど、下から数えたほうが早いのかな。
でも配信(NHKプラス)では歴代一位だとか。
配信というもの自体が何年前から始まったものなのか、
大河ドラマの歴史に比べたら、たいしたことはないですよね。
とはいえ、視聴率ってランダムに抜き出しただけの数字でしょうし、
SNSでの盛り上がり方を見たら、かなり話題になっていた気がします。
自分がフォーカスしていたからなのかな?
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ふんわり感想を書いてみると、
平安時代の風俗や文化を毎週観られたのは、とても楽しかったです。
特に今回、書というものの美しさをあらためて感じることができたのが良かった。
そのおかげで、タイトルの字や書の指導をされていた根本知さんの個展にも行きました。
他の大河ドラマとちがって、ストーリーを追うことの他に日本文化のひとつに興味を持たせてもらえたのは収穫。
当時の紙についても知ることができました。
安倍晴明の「大雨だ」から始まり、
まひろの「嵐がくるわ」で終わったストーリー。
印象に残ったのはどこかな、と思い返すと
清少納言の「枕草子」が誕生したところは美しかったなあ、と。
それから、一条天皇のために源氏物語を特別な紙に書いて皆で製本するところは、録画をとっておこうかと思いました(でも消しちゃった)。
上記の記事でも書きましたが、見出し写真は、京都の唐紙のお店で雲母を使って私が刷ったものです。
源氏物語もやはり雲母を使った紙に文字が書かれていて、「読みにくそう」と思いました。
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「光る君へ」の放送のはじめのころは、
紫式部と藤原道長はソウルメイト、という書き方をよくされていました。
いいたいことはわかるけれど、時代劇の宣伝で「ソウルメイト」という言葉が使われるのにはどうも違和感がありました。
ソウルメイトというのは必ずしも男女の仲をいうわけではなく、
ある意味、縁のある人たちはみんなソウルメイト。
執筆を依頼し、源氏物語の紙を提供したのが本当に藤原道長であれば、たしかにソウルメイトだろうな、と思います。
まひろと道長のシーンで一番好きだったのは、宇治川で語り合う場面。
宇治で療養している道長をまひろが訪ね、宇治川まで散歩にでたところです。
子供のころの出会いも川辺でしたね。
「おれより先に逝くな」という道長の言葉と涙が、しみじみ印象的でした。
いっぽうで、まひろと従者の乙丸もソウルメイトだな、と思います。
最終回、旅の途中でまひろが何か書いている時、
すこし離れたところで年とった乙丸が見守っているという場面がありました。いいシーンでした。
あれ見てまさに、これもソウルメイトだよね、と。
(二人で旅しているのは夢のシーンだという説を見るけど、どうかな)
最後に、鳥かごが朽ちて落ちたのも印象的。
いろいろなしがらみから解き放たれて、自由になる年代まで到達したことの象徴のようです。
乙丸が木彫りの仏様を彫っていて、きぬが見当たらないというのも
連れ合いの死を暗示していて、この先年老いていくばかり、という寂しさも漂よっていました。
だからなおさら、まひろの、おそらく最後の旅にお供したいと強く願ったのもわかるな、と思いました。
そのあたりの感じ方は、自分の年齢によるものかも?
「光る君へ」の放送中に京都にいきたいと思っていて
この秋に行くつもりでしたが、また行きそこなってしまいました。
行きたいカフェなどもメモしてあるのに(そっち?)。
今年は陰陽師や源氏物語など、平安時代が旬で楽しかったです。
来年はツタヤですね。
面白そうだったら、観てみようかなあ。