先生は「夫婦別姓」だった
「夫婦別姓にすると、家族の絆が希薄になる」というような議論が昨今起きているようなことを耳にした。本当にそうだろうか。
今を遡ること約30年前、私が中学生だった頃のこと。入学して間もない頃に、朝の全校集会で校長から生徒にむけて何やら発表があった。上級生たちが「ヒューヒュー!」拍手大喝采だったのを記憶している。
校内の先生同士が職場結婚したのだった。
のちに、どちらの先生にも担任だったり副担任だったりでお世話になった。戸籍上どうなっているのかまでは知らないが、先生たちは職場では各々の姓を使い続けた。
女性の先生は姓のことについて、あっけらかんと言っていた。
「私の苗字って漢字を説明するのが難しいじゃない?だから、クリーニング屋さんとかではあの人の苗字をつかうの。だって小学生でも読めるものね。」
確かにそうなのだ。女性の先生の苗字は日本に何人いるのだろうというほど珍しいもので、画数にして30画くらいある。電話口などで、よくある二字熟語で説明できるような漢字ではない。平仮名にしても文字数が多いので、それを略したものが先生のニックネームとして生徒のなかにも浸透していた。
逆に男性の先生の苗字は10画もないシンプルな潔い漢字。略すところもなくて、読んで字のごとく生徒たちは先生を呼んでいた。
当時、突っ込んだ話までされたかどうかは記憶にないが、先生たちには先生たちなりの信念があってのことだと思う。女子校だったこともあり、なにか身をもって手本を見せてくれていたのかもしれない。
こういうやり方もあるんだってことを。
私たちが大学受験を控えた冬に先生たちのあいだに初めてのお子さんが生まれた。私たちの卒業するときに発行された校内新聞には、先生方から卒業生を贈る言葉と一緒に、生まれたての先生たちのお子さんのお披露目写真が載っていた。
卒業してからも年賀状のやりとりを欠かしたことはない。年賀状でお子さんがすくすくと成長していくのを見守っていた。
近年、同窓会で先生たちと再会する機会をつくった。先生が大病からご快癒されたことを祝うのと、私たち卒業生が大台の年齢に達したのを祝うため。遠方に住む同窓生を呼び集めるには前者の理由を告げる必要があったが、先生御夫妻には後者の理由で来てもらうことにした。
地元に残っている私は、先生が大病されたときの御夫婦支えあいを私は密かに知っていたが、同窓会の席では胸の中にしまっておいた。先生の気持ちを知っていたから。
お子さんも御年頃となって年賀状には登場しなくなっていたのだが、先生のスマホにある写真を同窓生みんなで拝見した。お子さんは、先生が若いころに着ていた服をクローゼットから引っ張りだして街にでていくのだとか。なんだか素敵なエピソードを聞いた。
先生たちはそれぞれ自分の姓のまま、今も教壇に立っている。
家族の絆が強いか弱いかなんて、人それぞれみんな違う。入れ物の器よりも、大事なのは中身だと思う。