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自分は自分のものじゃぁない☆ワンネス☆諸法無我これからの因果応報シリーズ⑤


☆これからの因果応報シリーズまだ続いてます!

https://youtu.be/GLXbdfRjW6o  YouTube版


その前に!昨日は新月でした。
イベントにご参加の方々ありがとうございました。

結局、昨日のコネクトはワンネス意識に
ただただコネクトしておりました!

そこが、私達のホームであり、
絶対の安心のフィールドであり、全てです。

そして、その直前の龍音クラスでは
月礼拝と、セルフヒーリングを行いましたが
昨夜のセルフヒーリングは
体の全ての部位、ひとつひとつをヒーリングしながら
「ありがとう」の周波数を送るというヒーリングをしました。

精神世界の学びという、目に見えないことをやっていますが
この身体があってこそ、今世このフィールドで体験が出来ます。

普段は、ひとつひとつの部位が、どんな役割をして、全体の動きを
サポートしているか?いちいち気にしていません。
元気な時ほど、そうかもしれない。

病気やケガをして、はじめて
その部位の有難さを感じたりします。

部分、部分
いつもどんな働きをしてくれているか、理解していくと
自ずと感謝がでます。

身体は借り物と、日本人はよく言いますが
まさにそうですよね。
これは、私のものではありません。

誰かに何かを借りたら、傷つけないように大事に扱うし
感謝して使わせてもらいますね。
同じだ。この身体は、私のものではない。


☆そして、身体だけではなく、
この「私」自体、私のものではありません。



今日のテーマになっていきます。よ。

そもそも、誰も何も所有などしていない。
所有という意識が、人のエゴを産み、分断意識を産んでしまう。

身体のパーツのように、部分部分で各自働いているようでも
この身体は、それぞれが連携して、成り立てているのと同じです。

身体の氣が流れる仕組みもそうです。
要の三脈、12経絡・・と
次々に連携され、真氣もまた、それぞれの部位に入っていくことで
役割を変化していきます。

気功師や、鍼灸師さんは個々の問題に見立てができるのも
全体の連携の仕組みがわかるからです。

どこかの働きが滞れば、全体に影響を与え
別の場所がバランスをとろうとします。

それは、この宇宙そのものです。

これは縄文的生き方かもしれません。

縄文的な生き方は、
誰かの問題は、皆の問題として、みなが向き合い、
個人の所有という概念がない。

☆ホピの預言でも、何度も人類が滅びに向かった最初の問題には
いつも「所有」の心が生まれることにあると言っています。



今の私たちは、所有があたりまえなので、これを理解するのは
難しいことではあります。

物だけではありません。

例えば、自分の子供、パートナーなど、人のことさえ自分のものだと思ってしまう。
これってもはや、当たり前になっている感じです。

しかし、精神世界では、
自分さえもが、自分のものではないのです。

仏教哲学用語では
「諸法無我」と言います。

全ては、繋がっていて、因果の関係で成り立っている。
「個」というものは、実体ではないのです。

この私は、私のものではなく「全」のもの。
同じく、あの人も、誰のものでもなく「全」。
そうすると、「我が我が」という分断はなくなり、
無我になるわけです。

だからこそ、個々の尊厳も生まれる。

自分も、あの人も、あれもこれも、全の為には尊く大事な存在です。
何かひとつでも欠ければ、この宇宙の構成は崩れ、真空に戻り消えてしまう。
そこに落ちてる、ゴミひとつでもです。

それぞれの尊厳というと、個々がセパレートしているように勘違いしそうだが
そうではなく、
全てのことが全てのためであるからこそ、全ては平等に尊い。

相手を信頼して見守ることが出来るのも、その繋がりのもとの尊厳があるから。
ソーシャルディスタンスーっつって、本当に分断されるわけではない。

☆と同時に、全てには責任がある。
なぜならば、その全ては因果の関係で成り立っているから。



たった今、私が生きている瞬間は、因子による「結果」です。
と同時に、今は、何かの「因子」にもなっている。

これをダヴィンチは、このように言い表している。

「川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、
また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである。「」

In rivers, the water that you touch is the last of what has passed and the first of that which comes; so with present time.

☆宇宙には、時間という概念はないので
因果は、同時に起こっている。



つまり、
自分のたった今の在り方は、
宇宙全ての過去・現在・未来に同時に影響を与える。

たった今の自分の「因」は同時に、
この宇宙全体の構成の「果」を産んでいる。
なぜなら、ワンネスだから。

何一つ、この宇宙の中に起こっていることに、
自分に無関係なことはない。

近いも遠いも関係ない。

全て繋がり、
全て同時に連結し、
全ての今という「因」が、
全ての今の「果」を産む。

だから、たった今の自分が、
「どんな意識で、どんな周波数で在るのか?」
大事なのです。

それを今、問われている。
「時代は変わるが、どのタイムラインを選ぼうか?」と。

☆今日、自分が、腐った心で誰かを傷つけたとしよう。



その周波数、その影響は、この宇宙全体に
ただちに影響がある。

「ただちに」だ。

それがカルマだ。
それくらい、自分の一瞬の在り方は、大事だ。

もちろん、人間だもの。
腐るときもある、怒ったり泣いたり、欲望が出たりする。
人間だからね。

でも、いつまでも、今のままの人間でよいのか?
もちろん、それは個々の選択だ。

しかし、覚えておかなければならないのは
どう生きようと個人の勝手のようではあるが、
実は、全体への責任があることは、覚えておかねばならない。

そして、それは、周りまわって、
自分の「結果」に戻ってくる。

☆シャンティな世界をクリエイトしたいなら
シャンティにいれるように、心がける。
それを見出すように努めている。



でも、確かに難しい。
人間だもの。ちょいちょい腐る。

でも、立ち戻る場所を見出し、
なんとかそこに戻る。

その繰り返しによって、自分は磨かれていく。
それがこの人間界。

世の中の、悲しいこと、腹だたしいことを見て
泣いたり怒ったりしないのは、
無情な人のようにも感じるかもしれない。

もちろん、人には共感という大事な機能がある。
でも、いつまでも
そのままでいることは、やはり人間すぎる。

落ちる時は落ちたらいい。
けど、いつまでも、そこに執着せんごとなのだ。
これまた、潜在意識に、ドエライ昔のがいるからね。

それを、何度も
追体験させるようなことが、起こる。
魂は、そのカルマを昇華したいわけだからね。

だから、それを感じたからこそ、
次に意識を何に昇華させるのか?

それが、先日から記事にした
反応のパターンを変えて行こうっていうお話だ。

今までどおりの、悲しみや怒りを感じ続けたいのであれば
それをたっぷり体験し続けられる世界線はクリエイト出来る。
抜け出せないカルマとは、そういうことだろう。

でも、パターンを
「えいや!!っ」て変えることで
新しい歯車というカルマに、ピョンって、ジャンプできるのだ。

どんな世界線も、その瞬間に産む周波数という、因果次第だ。

新しい歯車は、
「シャンティな因による、シャンティな果」は
いかがかな?

☆私さえ、私のものではない。
私もあの人も、あれもこれも、全てのもの。



そう見出していると、分断意識は生まれない。

人の心の苦悩を生み出す原因は、
この分断意識によるものが大きい。

これは、私の。あれは、あの人の。
あれが欲しい、あれはいらない。
あれは、私のより凄い。これは、あれより劣っている。

そんな分断意識はやがて、
ジャッジ、嫉妬、批判、虚栄、果てしない欲望を産む。

全ては、全て。

このワンネス意識にとどまれていると、本当に気が楽なのだ。
そして、自分という存在が、いかに、全の為に必要かもわかってくる。

分断意識がなくなれば、多くの人がよく悩んでいるような
自己卑下だとか、自己肯定や自己否定だとか、そういうことを気にする誤認知は
起こらないはずだ。

☆以下は、ダヴィンチの言葉である。



「すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。
すべては、すべてに包み込まれる。」


これ、結局は、ヴェーダやヨーガ、仏教で言っていることと
同じである。西洋のような二元的な思想の中で、なぜダヴィンチはここに気づけたのか?

私は、ミラノでダヴィンチに恋をした。最後の晩餐を見て、とたんに彼を知りたくなった。
フィレンツェでもダヴィンチを追った。

そして、ダヴィンチはこうも言っている。

「我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。」

このどちらも、私の旅のブログに、ヨーロッパで書き記したのを転載しているが、
今見てもウットリ。
何年か越しに気づいたが、「所有しない」ってワード、ここに出ている。

私が、ヨーガやヴェーダ、ブッディズムの学びによって
二極の対立を克服し、調和を見出すことを学びだしてから
さらに「調和」について、フォーカスしたのも、
ダヴィンチにヨーロッパで出会ったおかげである。

この詩を引用するのに、その日の自分のブログ記事をサラッと読んだら
自分でこう書いてあった。
この世の中は 、
一見相反する二極のものを融合させていくことが、
全ての調和への糸口なのかも。

今も、結局は、ずーーとここに、向き合っている。

☆先日の記事では
思い切ってパターンを変えてみようということを提案した。



私自身、自分の選択で、いつも通りになりそうなところを
グイっと、意識のフォーカス先を変えてみている。

難しいよね、修正。
いつものマインドは、癖でありパターンだから。

でも、変えるの。

なぜならば、まじで時代は問うてきているから。
「で、どの周波数の世界を選択するんだい?」って。

いつものコンフォートゾーンから飛び出すのは、こわいよ。
でもね、えいや!!って、
自分と全てを信頼するのだ。
その世界線を信頼するのだ。

一人じゃない。繋がている。
その世界線にいけば、その世界線を一緒にクリエイトしてくれる
全である仲間と繋がっている。
そこに安心して、飛び込むのだ。

☆そうそう、問うてきているといえば
宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか」の上映が始まりましたね。


今回は、一切の事前プロモーションなしでの封切という
異例の上映開始。

普段、映画なんて見に行かないのだけど
「君たちはどう生きるのか」なんて、問われたら、行くしかないよね。

いつも、映画の大事なメッセージぶっこんでくる宮崎駿先生ですから
まさに、この時期に、合わせて持ってきてますよね?

時代も、駿も、問うてきている。
「君はどう在る?どう生きる?」と。

さて、みなさんはどう生きる?

私は、ブレない。
レインボーな世界線。

TTTに
そしてこの、シャンティモンキーのような
ナギの微笑みでいれるように、これからも
ブレては戻り、ブレては戻りの修練です。

バリで宿泊したホテルのロビーにいた、シャンティモンキー師匠に一目ぼれ。


よろしければ
Shall we シャンティ!

引き続き、TTTで
どうぞよろしくお願いいたします!(*‘∀‘)

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