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きっとこれが最終警告

利き手を痛めた。
スポーツ選手なら故障者リスト入り待ったなし。
一方こちらには、控えの選手はいない。

強制的に試合終了である。

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もう潮時だったのだと思う。
体からのSOSを何度も無視し続けた結果、とうとう動かなくなった。
これが今やっていることの答えなのだとしたら、受け入れるしかない。

…受け入れたくはない。

徳を積めば報われる。
そう信じていた。
でも、結果的に私がやっていたことは間違いだった。

それを認めるのが怖かったけれど、やっぱりもう潮時なのだ。
この最後の声を無視したら、孤独の海の中でひとり溺れてしまうだろう。
そうなったら、もう二度と自力で這い上がってくる自信はない。

♦︎

手が思うように動かせないというのに、リビングと寝室の時計が同時に止まっている。なんてことだ。
私の部屋が勝手に自然に還ろうとしている。
そのことに妙な恐怖心を抱いた。

どんなに抗って生きていったとしても、ほんの少し歩みを止めるだけで元に戻ってしまう。それはまさに今やっていることと同じであり、私の力だけでどうにかなるものではなかったのだ。

私には誰の孤独も救えない。
そのことに絶望して、そして受け入れることにした。
私はヒーローにはなれない。

悲しかったけれど、気は少し楽になった。
勝手に背負っていただけで、本当は誰のことも救わなくてよかったのだ。

あとはどうやって、この思考を手放して自由に生きていくか。
そんなことを考えていたら自分の足元が崩れていくような感覚になって、ものすごく怖かった。今やろうとしていることは、そんなに簡単ではないことを知って、ようやく事の重大さに気づく。

そういうところが自分らしくて、間抜けだなぁと思う。

それにしても利き手が使えないというのは実に不便だ。
今は痛み止めが効いているので、文字も打てる。でも、ひとたび切れると動かすことも、じっとしておくことさえ苦痛を伴う。
なんだってこんなに痛むのだ、折れていないと辻褄が合わないと思ったけれど、折れてはいないらしい。ただの使いすぎ。
それのちょっとひどい版といったところだろうか。

♦︎

色々なものが、首の皮一枚で繋がっている今。
自分の腕さえ思い通りに行かない。
まさにどこを向いても地獄。

なんとも救いのない話だ。
自分のことながら情けなくて嘆く気にもならなかった。



そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。