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不安時々ふつう

感情の起伏を出来る限り減らしている。
その方が楽だから、というのが一つ。
もう一つは、そうしないときついから。

言っていることは同じかもしれないが、気の持ちようとはこういう所からなんだろうなと思う。
今できる範囲での最善を尽くすという話と、これしか選択肢がないというのでは、天と地くらい差がある。

ふっと気を抜くとすぐにネガティブなことが浮かぶ今だからこそ、できる限りニュートラルに寄せた考えを持つようにしている。
ポジティブだときつい。
だから、平常に近い状態を保ちたい。

もちろん毎日悲嘆しているわけじゃない。
それなりに楽しいこともあるし、この時間は自分の人生を生きているなと思うこともある。
けれど圧倒的にそれ以外に使うリソースが大きくて、ちょっとの楽しいことでは相殺されるか、むしろマイナスだ。

介護をしながら、金銭問題やその先のことを考えると気が滅入る。そもそも私は、こんなことをするために生まれてきたんじゃない、とも思う。
怒りも失望も、絶望もした。

その先にあったのは、無気力と呼んだらいいのか、感情に色のつかないものだった。
受け入れるしかない、と諦めた時からずっと、私の周りは靄がかかった状態だ。

まだ若くて体力がある内でよかったじゃない、と言われたこともある。その時間を介護に充てることが本当にいいことなのか。
私には判断がつかなかった。

もう数年すれば、両親の介護も始まるだろう。
そうなれば、いよいよ自分のために生きていくことが難しくなる。全て終わったときに、後悔と孤独が残るかもしれない恐怖とは、未だ背中合わせだ。

両親は私に迷惑をかけないようにするから、と何度も言う。迷惑ってなんだろうなと思う。
身元保証人や引受人になることも、迷惑に入るだろうか。全く迷惑をかけずに生きていくのは不可能だと分かっているのに、そう言うのはずるいなぁとも思う。

気持ちは分かるので、今は言葉通り受け取っている。けれど本当は不安でいっぱいだ。

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小春ゆら
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。