移ろう心と頭
久しぶりに何も知らない人に会って数時間過ごした。
たったそれだけのことなのに、想像以上にリフレッシュできた。
そういえば私はこんなにも身軽で、のびのびと過ごせていたのだなと思うと懐かしくもあり、切なくもあった。
逃げられないのであればせめて最善の策を。
と考えてこれまで動いてきた。
私が家族のことで荒波に揉まれている間も、外側ではこんなに穏やかな時間が流れていて、何も変わっていなかったんだと思うとなんとも言い難い。
嬉しいような悲しいような。
どちらかといえば、この感情は寂しいに近いかもしれない。
子どもは生まれてくる家を選べない。
だから毒親と呼ばれるような親にあたったり、私のように機能不全家族の中で育つ子だっている。逃げたくたって、それが当たり前だったならば逃げようと考えることすらできないだろう。
そしてどんなに毒があったとしても親や家族に愛されたいと思う気持ちには抗えない。どこかで無条件の愛情を求めてしまう。
諦めて自立するしかないのはわかっていても、酷な話だなと思う。
私は今、家族のケアと共に自分との対話を続けている。
家族をケアすることだけに依存しないこと、自分の存在価値を誰かに必要とされることだけに見出さないこと。
この辺りの境界線がゆるくなりやすいので、気づいたときに線を引き直す。
そうしないと、私はとても不安定になるのだ。
少し精神的な距離がとれたことで、冷静に今の自分の状況が見えてきた。
ストレスが原因だという謎の病も増えていく一方なので、まずは健康を取り戻すところから。そして、依存されているきつさを別の誰かに依存して和らげようとするのをやめること。
いつもご機嫌でいる必要はないが、何もできなくなるほど不安定になるのは避けたい。ここなら大丈夫と思える居場所をいくつか持っておくだけでも安心できるので、自分の足元をみて立て直すところからだと再確認できた。
家族の介護やお金の問題を扱っていると、どうしても話の内容の重さや体裁から一人で抱え込みがちだ。けれど、そうしている内にケアを担っている人の心も蝕まれてしまう。気づけば孤独感と無力感が強くなり、死にたいとまでは思わないが、この家族の中に自分が存在していなければよかったのにと思うことが増えていた。
このままでは私まで倒れてしまう。
前のめりに関わるのはやめて、私は私のできる範囲内でおさめようと思う。
少し冷静になれたのでよかった。
日によって変動するだろうけれど、今日のところはこんな感じ。