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無関心ほど辛いものはない

どしんと響く、父親の無関心さ。
両親がいるのに、なぜ私が全て背負ってやっているの?と不思議そうに尋ねられる度に、板挟みになったようで苦しくなる。

色々と重なってしんどくなった時、ふと実家に帰りたくなった。
私の中の空想の両親は優しい。
でも現実は、お互いに責任を押し付け合う子どものような親で、帰っても余計に疲れるだけだ、と自分を鼓舞して帰宅した。

父は自分の家族ではない、自分には関係ないといって、極力家族と関わらないようにしてきた。家族が元気なうちはそれでもよかったが、今の状況でもそのスタンスは変わらない。私だけではどうにもならないことでヘルプを求めても、どうして今じゃないとダメなのかとイライラされた日にはぐったりしてしまった。

各種手続きの中には、3親等ではできないこともある。
伯父と姪という関係性でできることには限界があって、それ以上のことは父でないとダメなのだ。けれども父は、自分には関係ないと言い張る。
父が幼少期から辛い思いをしてきたのは知っているが、それならば私が背負うことはどうでも良いのだろうか。
自分の娘のことも、家族だと思っていないのだろうか。

そんな風に思うと、どんよりとした気持ちになる。
好きでも嫌いでもない、無関心が一番傷つくというのはこういうことなのだと身をもって知った。そして、父にとって祖母や伯父はその程度の人なのだと思うと、どうしようもなく苦しい。

年に数度、誰かの誕生日の度に集まってささやかな食事会を開いていたあの時間はなんだったのか。祖母の米寿のお祝いに皆で写真を撮ったあの瞬間も、父にとってはどうでもいい苦痛な時間だったのか。
私が現状を報告する電話をかけても、スマホゲームに夢中になっていて全く話を聞いてくれないのは、関わりたくないという合図なのだろう。そんな父をみて、母が愚痴をこぼすのも、喧嘩になっているところも見聞きしたくない。

そんな風になるくらいなら、私1人で背負ったほうがましだ。
頼る相手を間違えた、と思った。
せめて両親くらいは、私の話を聞いてくれてもいいじゃないかと期待したのが間違いだったのだ。背負うと決めたのだから、血のつながった両親であっても関係ない。関わりたくない人を巻き込んだ私が悪い。

そう思わないと苦しい。 
気持ちの落とし所がない。

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小春ゆら
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。