母にならない私の願い
友人の妊娠の報告に、気づけば動じなくなっていた。
結婚報告もすっかり落ち着き、続いて出産ラッシュ、そして今子育てに奮闘する友人の様子は、どこか遠い国で起きていることのように、自分にとっては他人事だ。他人には間違いないのだが、そう言う意味ではなく。
最近どう?と近況を聞かれても、私は伯父の介護認定やら破産の手続きやらに奔走していて、自分自身はあちこち病院通いしながら仕事をしているなんて話、誰が聞きたいのだと思って、ただヘラヘラしている。
前はなんでも相談できると思っていたのに、今は誰にも相談できないことが増えた。共通の悩みだった進路や恋愛の悩みとは違うから、相手にも想像しづらいだろうと思う。それに、私としても、家の事情を事細かに話したいとは思っていない。というか、あまり聞かれたくない。
こんなとき、母くらいは味方だったらなと思うが、それは淡い期待にすぎない。母に話せば、うまく進みそうだった話も全てひっくり返ってしまうだろう。その後始末とまた最初から積み重ねていく過程を思うと、喉まで出かかった思いは何も言わず引っ込めた。
祖母にも伯父にも母には言うなと口止めされている。
でも私だって、誰かに頼りたいときもある。せめて母じゃなくていいから、母のような存在がほしい。そうしたらもう少し気が楽になりそうなのになぁと思った。
ボロボロな気持ちで入ったコンビニでラテを買ったら、おにぎりを温めている間にラテを入れてきていいですよと声をかけてもらった。
ラテを入れつつレジにおにぎりを取りに行こうとしたら、その店員さんがわざわざラテマシンのところまで届けてくれて、優しさに泣けた。
なんてありがたいんだろう。
そして、私はこういう小さな愛情のようなものに、ひどく飢えていたんだと気付かされて余計に泣けた。
家族の問題は、小さくとも一歩ずつは進んでいる。
けれど、その度にこちらの心も少しずつすり減っている。
祖母と伯父が思うままに生きたツケを、今になって払わされているのだと思う。そのことに全く関心を寄せない両親と、間にいる私。
歪でおかしな家族だと思う。
でもどの家族だって、どこかしらは歪なんだろう。
これから生まれてくる友人の子どもにはどうか、こんな思いはしてほしくないなぁと、老婆心だが幸せを祈っている。