いつか思い出せなくなった時のために
定期的に通うようになった歯科の帰り。
麻酔の切れる頃、歯茎の鈍痛に襲われた。さっきまで動きが鈍いだけで何も感じていなかったのに。じーんとした鈍痛はだんだんと意志のあるズキズキとした痛みに変わっていく。そこでようやく、さっきまでの治療は麻酔が効いていたから痛くなかったんだと気がついた。
何を当たり前のことを今更、と言われそうな話だ。
けれど私はそんな当たり前のことをすっかり忘れていた。最初からそれほど痛くない、くらいの気持ちになっていたんだと思う。
こんな風に、文字通り麻痺しているから気づかずにいることって案外沢山あるような気がする。慣れてしまって感覚が麻痺しているだけで、本当は大変だったり辛かったり、きっとその逆もあるだろう。本当は幸せに感じていたはずなのに当たり前のように思ってしまう、なんてことも珍しくない。
何より怖いのは、元々の感覚を忘れてしまっていることだと思う。新鮮な感覚は次第に色褪せていき、だんだんとそれが『普通』になっていく。良くも悪くも忘れてしまうのだ。もちろん忘れることは健康的に生きていく上で大事なことだと思う。私が今穏やかに毎日を送れているのもそのおかげだ。
でも、本来なら忘れられていくであろうその感覚も出来るだけ残しておきたい。そう強く思った。
何かの時に思い出せるように、その時の自分とそれを読み返す自分とで相対的に考えることができるように、こうやって文字にして残しておきたい。そういえばnoteを始める時にも同じようなことを考えていたんだった。そのこともすっかり忘れていた。
だからやっぱりnoteはこれからも続けようと思う。
やめようと思っていたわけではないが、頻度について迷っていた。当初の目標である365日を達成し、自分にとって、この先のちょうど良いい塩梅が分からなくなっていたのだ。でも、noteを続ける理由の一つを今日はっきりと思い出せたことで、もうしばらく毎日更新を続けようと決心がついた。このタイミングで思い出せてよかった。
きっと今感じていることもしばらくすると忘れてしまう。言語化することもできなくなるくらい、溶けて私の一部として馴染んでいくんだろう。その時にまた思い出せるように、これからも綴っていきたい。