男とか、女とか、性とか。
「eriはさぁ、男と、女どっちが好き?」
川縁の音が心地よい。私達は、カンパイ、と、缶をコツンとあてた。カラカラの喉に甘いお酒が流れていく。
「男でも、女でもどっちでもいいけど、その人の色気みたいなものには弱いかもしれない。実際は男としか付き合ってこなかったから、性の対象は男なんだと思う」
関谷は、私の二つ年下の言語聴覚士の資格を持つ男の子だった。仕事帰り、私達は、時々こうして缶チューハイを一本ずつあけて、飲み切った頃には、話をやめ、真っ直ぐと家に帰るという、淡白な愚痴会を定期的に行っていた。
関谷と、私の昔話である。
私達が働いてのは、田舎の風景に溶け込んだ、古い総合病院。
古いながらも二次救急病院を謳っていて、それなりに地域医療の中枢を担っていた。
裏手には大きな川と、桜並木が続いていた。
その年の春は早すぎて、雨の影響で、ほとんど葉桜に変わり、どこか寂しげだ。
「俺さ、
先週男友達と二人で温泉旅行に行ったんだ。
そしたら、一緒に行ってたやつが、ナンパしてそのまま女の部屋に行っちゃって。
部屋使っていいからって言われてさ。ポツーンよ。寂しいのなんのって。」
職場では、女性の先輩に関谷は、いっつも怒られていて、ペコペコペコペコしている。人は良い。性格も、良い。ただ、おっとりしていて、物腰が柔らかい。患者さんは彼に心をみんな開いているし、困った時には周りを頼れる柔軟さもある。
要は、可愛らしすぎるのだ。
そんな子はいつだって、いじめの対象に変わる。
医療業界はいつだって、ピリピリしているのだ。
目標を、向上心を、休日は、勉強会だ、研修だと騒ぎ立てていた。
学習不足を見つけては、「向いてないよ、辞めたほうがいい」と、1日に何度も言われ、しまいには「じゃーま」と露骨にシカトが始まる世界。慢性的な人不足は、多重業務と、向上心オバケの巣窟が引き起こす、人間関係の悪さが原因だ。
いじめは、いじめを生み続ける。
そんな関谷みたいな、綿毛のような青年が、大抵は虐げられて、入職数ヶ月で辞めていくか、心を病んでしまう。
関谷は大抵仕事の愚痴を私に話すのだが、珍しく今日は、プライベートな話をしていた。
仕事の愚痴すら出てこなくなると、辞める兆候が始まってくる。
わたしは何となく、予期していた。
「俺もさ、何して良いかわからなくなっちゃって、そのまま散歩してたんだ。
そうしたら、めちゃくちゃ綺麗な女の人がいたんだ。
旅館の庭の橋の上に立っててさ、浴衣から色気も出てて。
思わず話しかけてた。
そのひと、夏帆さんって言うんだけど、
部屋で飲まない?って誘ってくれて。
そのままついていったんだ。」
関谷は、淡々と話していた。視線は遠く、味わうように、ゆっくりと一口ずつチューハイを流し込む。
「本当に素敵な人だったんだ。
一回りくらい年上なんだろうなってわかってたけど、このひとを無性に抱きたいと思った。
心を預けられる人だと思ったんだよ」
関谷が言いたいことは何となく、わかる。
優しい関谷が、触れたいと思う人をわたしは少し見てみたいとも思った。
普段から、女性の先輩から、しごきあげられてる様子を見ていた私にとって、そんな男の子の部分を見られることも、なんだか嬉しかった。
「体を重ねたんだ。俺もすごく緊張してて、でも興奮してるし、なんか夢中で始めてた。夏帆さんはとても優しかった」
日がだんだんと落ちてきて、橙色のポールライトが灯り始めていた。わたしは相槌だけうちながら、チューハイを飲むスピードを緩めた。
「いれたんだよ、中に。そしたら、違和感があった」
彼はチューハイを一気に飲んだ。少し咽せながら、話を続ける
「中の、収縮が足りないんだ
しばらく続けてたんだけど、やっぱり違和感があって、俺はだんだん怖くなってきた。肉質しかないんだ。
夏帆さんが、天井を見つめながら言ったんだ。気づいちゃった?って。
俺、彼女から咄嗟に離れた。
そしたら、こう言うんだよ。
この前まで、男の子だったのって。」
「それからの事はあんまり覚えてない。俺も酔ってたし、なんかごめんって言って、部屋を出た」
「あれから、夏帆さんの顔と、違和感のある肉質が体に残ってて、連絡先も交換してないし、もう、会うことも多分叶わないんだけど」
「俺は多分、彼女のこと、傷つけちゃったんだと思う。暗闇の中で、顔を覆う手のしたの表情を見ることが出来なかった。」
「男とか、女とか、肌感が合わなかったんじゃなくて、俺が未熟だったから、彼女を傷つけたことが、後からわかった。
でもさ、時間が経ってみて、彼女のこと、好きだなって、やっぱり思った。」
出会い方が変わっていたら、彼らの関係は何か変わっていたのかもしれない。綿毛みたいに優しい彼を癒してくれた夏帆さん。きっと、彼が選んだ人だ。本当に素敵な人だったんだと思う。
最近では、トランスジェンダーの議論も進んできている。そこに出口や、終着点ができているとは思わない。
男とか、女とか、性とか。
結局そんなものを取り払ったって、人は、人なのだ。
私は、缶チューハイにまた、口をつけた。たった3%のアルコールが酷く苦く感じた。
数ヶ月後、彼は、誰にも何も言わずに、退職届を出して、いなくなっていた。
あの時の葉桜と、
橙色のポールライトの暖かさと
寂しさを今も時々思い出す。