愚民群衆を育てる方法


偽善の押し売りとまではいかなくとも、大多数の人を一つの考えで縛り、尚且つ社会の中で一つの不穏な考えや動きを起こさせる現代の病気の一つとも言える現象「炎上」。

メディアで取り上げられる物に食い付くか、それに対して吐き気を覚え見たり聞いたりするのも拒否をするのも個人の勝手であるが私としては完全に後者なのだが問題なのは何故人は「あの人が言っているから絶対に正しい」と思えるのであろうかと言う疑問である。

ここのSNS利用が当たり前になってしまったこの時代の中で日々流される情報や発言、態度の詳細。

それがあたかも「本人の行儀」と客観視出来ない状況元であろうとも人はいとも簡単に悪者か、否かをなぜこうも容易く決断を下せるのであろうか。

陰謀論とはいかなくとも愚かな人間がここ最近で人の目に見えるようになったこの元凶がメディア、それもテレビそのものと察する一つの説を今回話します。

何もSNSを使うなとは言わなくとも、つまらない事やどうでもいい事を「記事」にして人々の興味を引く書き出しで読む人の脳をストップさせ、尚且つストップさせた人を"ある行為"で発言をさせるために動かそうとしている。

そう…SNSでこのニュースについてコメントやご意見がありましたらつぶやこうと言う物だ。即ち、芸能人のどうでも良いニュースに対して人々に意見を話してもらうと言うメディア企業の策略である。

有力とされる専門家のコメントを参考に調べてみるのも良いが、ゴシップ記事にしろ社会問題にしろ立ち入るに危ういと察せるのではないだろうかとも思えるが、皆がそれを出来ると思ったら大間違いである。
残念な事だが、ニュースになるのが「正しい情報」だとそのまま疑わずに鵜呑みにしてしまうどうしようもない人も居るのも事実なのである。

正直に言って、各個人のニュースに対する私見コメントを流したところで事件の関連者に届くわけもなく、届いたところで「変わる」事は無い。

これはあくまで推測でありますが、人は自分よりも頭良いなと思った人の意見にはコロッと意見を同調して持論を捨ててしまう事が多いのではないかと思われます。

最近増えている「論破」と言う令和の文化も、両者間での持論の中でどちらが「上」なのかを競い合う風習も、テレビが仕掛けた「愚か者を育てるための道具」に過ぎないのです。

論破文化に対しての私の持論と致しましては「どちらが正しいとか、嘘ついていないか…そんな事は哲学者が決めれば良いのでは無いだろうか」と言う物です。

まあそこまで言うならそんなテレビなどアホの見る物であり、踊らされるのが嫌ならば元から捨てろとも思えますけれどね。