テツガクの小部屋23 アリストテレス①
・イデア論批判
アリストテレスは、普遍が個物から離れて存在するのは不可能であると考えた。命題の形で表現すれば、個物が主語であり、普遍はその述語たるべきものであるが、プラトンのように考えれば、述語がそれだけで存立しておらねばならないことになるからである。このことはソクラテス、カリアス、クリティアスといった個々の人間(主語)が全く存在していなくても「人間」(述語)はあるという、それ自体奇妙な思想であるが、それに加えて、もし述語がこのように独立した存在と考えられるなら、否定的な述語、例えば「非人間」「非存在」に関してもそのイデア(存在)が想定されねばならないことになろう。
またプラトンのように考えれば、人工物や関係に関してもイデアが想定されねばならないことになる。さらにまた、個物としての人間とイデアとしての人間の間にも類関係が生まれるがゆえに、それら両者の間にも第三の人間がイデアとして設定されねばならなくなり、かくして無数のイデアが想定されねばならないという不都合も生じてくる。これを「第三の人間の議論」という。
また同一のものに対して多くのイデアが想定されることになる。例えば同じ人間に対して「動物」「二足」「人間自体」のイデアが存在することになる。
これを要するに、プラトンのしたことは、存在するものの数を二倍にしさえすればそのものの原因が説明できると考えて、説明されるものと同数の他の存在を持ち込んだだけのことであるという。これがプラトン哲学に対するアリストテレスの総括である。
参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂