「Days」東日本大震災から10年以上の時を経て岩手県釜石市で再開したアパレルショップ|懐かしき「GALILEO」
2022年夏頃、岩手県釜石市に洋服店が開店した(最近聞いた昨年の夏という話なので、2021年かもしれない)。店名を「Days」という。2023年には、岩手県宮古市にも店舗ができた。
釜石駅よりイオンタウン釜石方面に5分〜10分程度歩いた先、橋を渡り川沿いにある、真っ赤な外観のお店である。ビル自体は東日本大震災の津波に耐えていた筈であり、新築でなく修繕したものだと思われる。店に入ると、温もりを感じさせるハンドメイドの色紙(建築に携わった方々の名前が記されている)などが置かれている。
店内は店の両端にメンズ、レディースが置かれ、中央に子供服が並んでいる。大部分は子供服であり、客層は幅広いものの孫に贈る服を購入する祖父母が目立つとのことである。店主は太陽のような明るさと温もりを感じさせる人柄のアラフォーの女性である。実は自分にとって、彼女と彼女が運営する洋服店には個人的な思い入れがある。このnoteでは「Days」の紹介に併せて、少し思い出話をしたいと思う。
初体験、そして退屈な日々をわずかに彩ってくれたありがたい存在
よく知られているように、田舎においてアパレルショップと呼ばれる個人が運営する洋服店の存在は、とても珍しい。今はECが発展し、スマートフォンが普及しているため、誰もがどこに住んでいても流行の洋服やブランド品、自分の好みに合ったデザインや機能性のある洋服を手に入れられる。けれど筆者が中高生の頃は、そうではなかった。
ECがあまり発展しておらず、そもそもスマートフォンのようなものが存在しなかった。PCを持っていなければ通信販売の利用そのものが難しかった。雑誌を見て、欲しい物があれば、電話で注文して買う時代である。それで買える物であれば良いが、店頭でしか買えない物であれば諦めるよりない。
かと言って、洋服を買える店舗といえば、ショッピングセンターの洋服売り場やしまむら、リサイクルショップである。ファッションを楽しむこと自体が難しい環境だった。東京都心と比べれば雲泥の差である。テレビに映し出される都会の景色は、さながら異世界であった。
昨今、子どもの体験格差が取り沙汰される。洋服を買える店舗が限定される。それはまさに、地方に生まれたがために生じる体験格差の代表格だったのでなかろうか。もっとも、店舗がないといった現実それ自体は、今なお何ら変わっていない。
そもそも自分は洋服に興味がなかった
自分が洋服に興味を持ったのは、高校時代にプライベートでの人付き合いが生じたがための必要に迫られてのものだった。中学の頃は私服がパジャマと言われるくらいには頓着していなかったが、それでも困りはしなかった。困りはしなかったので余計に興味を持てなかった。
しかし興味を持ったところで、雑誌で見られるような洗練された洋服を買えるお店はない。頭を抱えずにいられなかった。友人達は盛岡市や仙台市のような都市圏(あくまで沿岸部の田舎からすれば、ではある)に行った際に購入していたようだが、筆者にとってそうした遠出の機会などそうあるものではない(なくても良いとは思っていた)。
一応地元にもアパレルショップがなかったわけではない。その存在を知ってはいた。ただ自分が住んでいた場所からはとても遠く、高校生の身では行くことが困難であったため、そこでの購入も難しかった。そもそもその店は高校生が買い物するような価格帯でなく、資金的に購入が難しかった。
そんな中で出会ったのが、「Days」の店主が運営していたアパレルショップである。当時は「GALILEO」という店名だった。現在の場所とは異なるが、駅から徒歩数分で行ける場所にあった点は変わっていない。当時の自分でも通える範囲のお店であった。価格帯は高校生の自分でも手が届く手頃さであり、まさに自分の理想に叶う”ショップ”だったのである。
初めての経験、退屈な日々の清涼剤
元々ショップに通う文化がなかった自分にとって、学校帰りにショップに行くというのは、まさに初体験だったし、刺激的だった。元々洋服にはさほど興味がなかったので、洋服に対する知識は皆無である(知識自体は今もほとんどない)。
どんなものが好きで、どんな合わせ方が良いかも分からない。何を着れば良いかなんて当然分からない。自分が普段どんな洋服を着ているかを説明する言葉さえ見つけられない時分だった。
だから初めてお店に入ったときは、尋常でなく緊張した。店内を見渡して、自分にとってなんとなく合いそうだとは思ったが、共通言語を持たない(と当初感じていた)店主の存在は、有り体に言って恐怖の対象だったのである。
実際問題、マイルドヤンキーっぽい雰囲気で、そんな来店客たちと陽気に語り合っていた店主の姿は、自分とは明らかに別世界の人間に思えて、正直に言えば怖かった。
しかしそんな自分の先入観やお気持ちは、杞憂だった。店主はとても気さくで、オープンマインドと言おうか同じ目線で話ができる、気の良いお姉さんだった。初めて来店した日は、本当に興味本位の訪問だったため、当然の様に何も買わずにお店を出たのだが、あたかも旧知の友人のように「またいつでも来て」といった接し方をしてくれたのを覚えている(記憶違いかもしれないが)。
何はともあれ、おかげで気軽に訪れられる場所なのだと思えたのである。それが、「GALILEO」と店主との出会いであり、そこからこのお店との付き合いが始まった。高校を卒業してからは、アルバイトで得たお金を持ち、車で一時間以上の時間をかけ、1ヶ月に1-2回程度訪れた。店主との語らいもそうだが、来店する他のお客さんとの交流も楽しかった。
来店者の多くはマイルドヤンキーっぽい雰囲気の人々で、自分とは明らかに異なるタイプの人々であったが、「GALILEO」という場を共有する仲間に違いなかった。だから抵抗なく話ができたものである。退屈と同居せざるを得ない田舎に身を置く自分にとって、「GALILEO」は清涼剤であり、自分と人を繋ぐ貴重な場だった。今思い出しても、楽しい日々だったと思えるし、かけがえのない時間だった。
「GALILEO」との別れ
その後、筆者の状況が錯綜し、「GALILEO」に余り行けない時期が続いた。そんな折に発生したのが、東日本大震災である。「GALILEO」が営業していた場所は、まさに被災地だった。「GALILEO」はどうなったろうかと心配を抱えながら、東日本大震災後釜石市を訪れたのは一年以上後になってのことだったと思う。
案の定、そこにあった筈の「GALILEO」はなくなっていた。店主はどうなったろうかと考えはするものの情報を得る手立てはない。何せ「GALILEO」で出会った人々と筆者を繋いでいたのは「GALILEO」だけだった。「GALILEO」がなければ、それまでだったのである。人間、失ってから気付くとは言ったもので、まさにこれがそうだった。おかげで自分の中ですべてが過去になってしまった。
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