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「ヒーロー」と「英雄」って真逆だよな:僕のヒーローアカデミア

不図疑問に惟ったことがある。

僕のヒーローアカデミアや、その他の(例えばマーベルや特撮)に見受けられるような、「ヒーロー」というものは、「英雄」と同義なのかという疑問である。

今年の三月ごろに、このような疑問が浮かんだのだけれど、上手く言語化することが出来ずにいたので、なかなか上手にまとめあげることが出来なかった。しかし、最近日を経て、考えがまとまってきたような気がするので、ここに記しておく。

さて、厳密に区別するために、「僕のヒーローアカデミア」の「ヒーロー」と、元来の意味での「英雄」に違いがあるかを考察したいと思う。

僕のヒーローアカデミアの「ヒーロー」

では、僕のヒーローアカデミアの「ヒーロー」とは、何か?これに関しては、僕のヒーローアカデミアの公式キャラクターブック『Ultra archaive』から引用をしよう。

ヒーローとは誰もが憧れる者 ヒーローとは脚光を浴びる者 ヒーローとは考えるより先に体が動き数多の理不尽を覆していく者 ヒーローとは敵に畏怖を与え圧倒する者 ヒーローとは如何なる時にもピンチに駆けつける者 それが時代の寵児ヒーロー(堀越耕平、2016、19)

これが「僕のヒーローアカデミア」における「ヒーロー」の定義だと思われる。

その特徴を述べるまえに、「英雄」の定義を示しておこう。

『旺文社』には

【英雄】①才知・武勇の特にすぐれている人。②公卿の家格の一つ。清華。

『三省堂」には

 [英雄](名)特に武勇にすぐれ、人々から尊敬される人。[ー気取り]

とある。

『goo国語辞典』からは

えいゆう
【英雄】
1.
すぐれた才知・実力を持ち、非凡な事をなしとげる人。
 「救国の―」
2.
せいが(清華).

という風に定義されている。

さて、「ヒーロー」(僕のヒーローアカデミアの)と「英雄」の定義を示したので、考察に入りたいと思う。

英雄=労働者?

まずそもそも、「僕のヒーローアカデミア」という作品の「ヒーロー」自体が、非常に特殊な存在であると思われる。

僕のヒーローアカデミアの「ヒーロー」(以下「ヒーロー」)は、一種の社会における犯罪抑制装置。警察と捉えられることもあるかもしれない。実際の僕のヒーローアカデミアという作品では、警察の方が、「ヴィラン受け取り係」と呼称されることもある。これは、警察の、犯罪に直接かかわるような人物を確保するという役割を、「ヒーロー」が代替しているゆえであると思われる。

また「ヒーロー」の定義を示すものとして引用した文章の中に、「ヒーローとは如何なる時にもピンチに駆けつける者」というものがある。このことから、「ヒーロー」とはに現場や最前線に頻繁に関わる役割を担っており、人と人との間に生じる衝突を、諫めたり、もしくは鎮圧などを行う労働者、公務員、企業人のような存在ではないのだろうか。先ほども書いたが、この「ヒーロー」は、個性という超常現象が生じた社会において、人々の平和と均衡を保つ、一種の犯罪抑制装置。法律に代わるような(法律は存在するが)、社会の中の調停者のように感じられる。

このように記述すると、いわゆる「英雄」とはほど遠いのではないだろうか?

ヒーロー育成機関

ヒーローに憧れるすべての人へ――当校は実績と信頼のヒーロー育成校です(堀越耕平、2016、184)

「ヒーロー」は、育成される存在となっているのが、「僕のヒーローアカデミア」という世界である。よくよく考えてみると、ヒーローを支えるという機関は見かけるものの、ヒーローを(一からではないが)育て上げるというのはヒーローものの作品としては奇妙奇天烈であるし、まるで警察学校のように見える。

しかしながら、僕のヒーローアカデミアの前提となる背景を理解しておけば、「ヒーロー」はなんら不自然な存在ではない。

突如発現した「個性」。それは一部の人に付与されたものではなく、人口の大半が持ちうるもの。超常の黎明期とされる、まだ個性をもつものが少数派であった時代には、「持てるもの」と「持たざるもの」との対立が生じた。人類史に見受けられる典型的な現象である。当然、既に国家として存在する大集団の人間社会では、個人個人の衝突は必須。さらに、個性というおまけが付いてくるともなれば、混乱を避けるのが大変に難しくなるのは、火を見るよりも明らか。

仮にある国家が、一千万人の人口を抱えていたとして、個人個人の、二人同士のあらゆるやりとりは、

10000000×9999999÷2=4.9×10の13乗

つまり、約4兆9千億通りも存在する恐れがある。(ちなみに日本の人口は、まぁ知っていると思うが、一千万の十倍近く)べらぼうに多いね。

当然かどうかは分からないが、ただでさえ、個性がない状態でも国家規模の集団と言うのは、その人口に比例して、厄介事も増えてゆく。先ほども書いたが、「個性」という要素が加われば、法とは別に、現場レベルで問題を解決してくれる人物が必要になってくるのだ。個性が人体に発現した時点で、「ヒーロー」という存在はもうすでに予期されていたのかもしれない。



英雄=時代の寵児?

以上のように考えてみると、「ヒーロー」という存在は、「個性」と非常に関連している代物であり、極めて特異な存在。まさに、時代の寵児なのである。しかし同時に、唯一無二の存在というよりかはむしろ、なるべく多く居た方が、社会にとっては好都合であると考えることもできるだろう。それは複製されたヒーローなのかもしれない。いやそうでなければ、社会が成り立たない世界であるからこそ、複製されなければならないのだろう。もし仮に、この世界に個性というものが人体に発現する様になったとしたら、同じような状況が起こり得るとも考える。それほどに、人類史における人間社会のあれこれをこの僕のヒーローアカデミアという作品は反映していると思うのだ。

しかしながら、この「ヒーロー」が「英雄」なのかと言われると、私はそうではない気がする。

確かに、特異な能力を持ち、人から尊敬されるなど、「英雄」を似通った点はいくつも見受けられるだろう。

しかしどうにも、この「ヒーロー」が、「英雄」とはどこかで異なっていると感ぜられる。

英雄としてのhero

heroの元をたどれば、「半身(demi-god)」と言われている。神話に登場する神の血を分かち持つもの。ヘラクレスや、もしくは半神とされるギルガメシュもheroかもしれない。

彼らの特徴は、その超人的な力、神とさえ称されるほどの威厳、存在感、能力、風格。「ヒーロー(僕のヒーローアカデミア)」というよりはむしろ、「英雄」と称した方が適しているようにも思われるほどの。

彼らが、毎度毎度、人々の間のいざこざや犯罪や、その他の問題の為に参るとは想像しにくいし、なにより半分であるが「神」なのだから、そういう些末な雑事には首を突っ込むようなことをするはずがないのではないか。

この「英雄(hero)」は、強者としての存在の象徴である。現代のように公平、平等、自由、民主主義というものは彼からは見受けられない。今はもう存在することすら許されないこの「英雄」は、やはり「ヒーロー」とは異なるようにしか思えない。

「ヒーロー」は、ギリシア精神を受け継いでいるものである。人々には均等に機会が設けられなければならないという民主主義的な考えの中に存在するもの。弱きを助け、強きを挫く。ギルガメシュが厭いそうな、典型的な正義の味方。弱者の戯言。しかし現代には適しているようで。(でもヒロアカは大好き…)


反転した英雄

英雄と称される人々は、とっくのとうに姿を変えてしまった。それはソクラテスが死んだときか。神が死んだときか。

僕のヒーローアカデミアという作品に登場する

雄英高校」という名が、もうすでに跡形もなく雲散霧消してしまった、「英雄」というもを暗喩し、そのある意味真逆の性質を有している「ヒーロー」というものを象徴しているようにさえ思えてくる。(なぜ堀越先生は、「英雄高校」ではなく、「雄英高校」としたのか。あれか、やっぱり「英雄高校」だと在り来りだからだろうか・・・。それとも・・・?)


「英雄」vs「ヒーロー」

では僕のヒーローアカデミアという作品に、「英雄」は登場しないのだろうかと考えたときに、その「英雄」のような、真っ先に思い浮かぶ人物がいた。


その人の名は、「オールフォーワン」。

どういうわけか、数多の個性を持ち、個性を分け与えたり、個性を奪うことも、個性を複数同時使用もできるモンスター、いやそれはもはや神に近い。

だからといって、悪事らしい悪事ばかりをはたらいていたというわけはないようだ。個性を望む者には、個性を譲渡し、個性のせいで困っている人から個性を奪う。しかしその代わりに、従属させることもしばしば。ある人は、人を利用し、自分のコマにしているだけだといった。確かにそれも間違いではないけれど、「オールフォーワン」という存在によって、助けられたと感じる人々もいないとは言い切れない。どこかの半神や王のごとく、多くの人を支配し、一時には権力をふるうほどの力を持ち合わせていたこともあるとかないとか。これはまさに古代に存在していた、初期の国家(ステート)の社会。政治と宗教的な権力が一致しているような国家の王、「オールフォーワン」は、まさにそこにおいて、王、半神、英雄であったのだ。

そこに対峙するのが、非平等な社会を認めない民主主義性格を帯びた人々、友愛、公平、平等、自由を求めた、「ワン・フォー・オール」の持ち主。

「オールフォーワン」と「ワン・フォー・オール」の衝突は、単純な勧善懲悪とも捉えられるが、私には、単なる悪対正義、不義対善のようには思えなくなってきた。それは紛れもなく、「英雄」対「ヒーロー」なのである。異なる社会的イデオロギーを持ち合わせる、互いが互いに正義であるがゆえに生じる対立。究極戦争(かっこいいから書いてみただけ)。

オールフォーワンvsワン・フォー・オール

「英雄」対「ヒーロー」

このような図が、私にははっきりと見えてしまう。



ボクノヒーローアカデミア

「英雄」vs「ヒーロー」。この二項対立が(私の中では)成立してしまった。

つまり、「僕のヒーローアカデミア」という作品は、「僕の『ヒーロー』アカデミアであっても、「僕の『英雄』アカデミア」と絶対的にイコールではない。もしこれが完全に一緒だとするなら、「英雄」対「ヒーロー」という構図は成立しなくなるし、この僕のヒーローアカデミアという世界における、二つの大きな勢力の対立を無視しているような気がして、極めて不自然に感じられる。(もしかしたら、「ヒーロー」と「英雄」は同じではないかもしれないが、「ヒーロー」の裏返し的なものが「英雄」なのかもしれない。)

確か、ヒロアカの24巻「All it takes is one bad day」では、僕のヒーローアカデミアの表紙を取ると、「僕のヴィランアカデミア」という表紙が印刷されていた。確かにこれは正しいのかもしれない。「ヒーロー」に対して、死柄木弔率いる敵連合(ヴィラン連合)は、「ヴィラン」なのかもしれない。

しかし私が、「ヒーロー」という言葉を巡って考察してくる中で、その「ヴィラン」という呼称は、ただ表層的なもの。薄い、カルピスの原液ではなく、もう薄められているのをさらに薄めたもの以上に薄いようなもの。それほどに空虚なもの。より深くを見てみれば、それは少し違う正義を背負ったもの同士の戦い。

もちろん、「ヒーロー」対「ヒーロー」でもなければ、「英雄」対「英雄」でもない。

繰り返すが、「英雄」対「ヒーロー」のように見えてしまう。オールフォーワンの後継である「死柄木弔」と、ワン・フォー・オールの継承者である「緑谷出久」は、悪vs善ではない。そう簡単に割り切れる物語ではないのだ、この「僕のヒーローアカデミア」という物語は。

英語だと同じ単語”hero"に収斂してしまう「ヒーロー」と「英雄」も、日本語だからというわけではないが、見方を変えれば、全く異なる概念を表しているように見える。となると、「英雄」の対概念であり、且つ「ヒーロー」という意味を持つような日本語が欲しくなる。しかし調べてみても、「悪党」だとか、「脇役」だとか、「ヒロイン」のような文言ばかり。まぁそれもそうかもしれない。このどこぞの素浪人の考察の中での、ある意味で新しい概念なのかもしれないのだから。

「英雄」の対概念であり、且つ「ヒーロー」という意味を持つような日本語、つまりオールフォーワンのような存在の対であり、オールマイトのような存在を表す単語。

う~ん・・・。

「お人好し」とか「世話焼き」みたいな言葉しか思いつかない。趣旨は大して間違ってはいないだろうが。

しかし。あまりカッコよくはない。

それに余計なお節介は「ヒーロー」の本質であると、つまり「ヒーロー」は極めて非営利的な営みであると言っていた。そうだ。「ヒーロー」は、ニーチェが病理だと切り捨てるような現代の病人の一種だ。善きにつけ悪しきにつけ、平穏、静穏、平静を求めるものが「ヒーロー」ではないか・・・!?

不動者、静者、雄静・・・なかなかいいものが思いつかない。

少し話が逸れたので、閑話休題。

さて

「僕のヒーローアカデミア」。これは緑谷出久が最高のヒーローになる物語である。しかし、「ヒーロー」という文言の裏には、その対概念的な「英雄」という言葉が隠れているのではないか。表は、いや表か裏なんてわからない。この「僕のヒーローアカデミア」という物語は、死柄木弔から見た「僕のヴィランアカデミア」という解り易い名の「僕の英雄アカデミア」なのかもしれない。


いやいや。少々書きすぎただろうか。どうも、好きなモノのことになると、文字を産み出す手が止まらなくなるようだ。


まとめのようなもの

ここまで、タイトルにあるように、「英雄」という言葉と、「ヒーロー」という言葉の違いに注目して記事を書いてきた。

もしかしたら、「英雄」も「ヒーロー」も同じように見える人もいるかもしれない。これは青二才の稚拙な考察に過ぎないかもしれない。まぁ、自分が書いていて楽しい文章を書いているだけだから、論理はボロボロである恐れもある。

さて、あなたはどう考えるだろうか。僕のヒーローアカデミアに限らず、現代のヒーローや英雄とされているものは、本当に「英雄」なのか。それは現代の病理にある意味で侵されてはいないだろうか・・・?

「英雄」と「ヒーロー」って真逆だと思わないか?


とまぁ実際こんなことどうでもよく、

僕のヒーローアカデミアという作品に対して、私がどれほど熱意を傾けているかが伝われば、畢竟それでいいのだけれど。


今日も大学生は惟っている。



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引用文献

守随憲治、今泉忠義、松村明.(1965).旺文社 国語辞典.株式会社旺文社

見坊豪紀、市川孝、飛田良文、山崎誠、飯間浩明、塩田雄大.(2015).三省堂国語辞典 第七版.三省堂

堀越耕平.(2016).僕のヒーローアカデミア公式キャラクターブック Ultra arcaive.株式会社集英社

©NTT Resonant Inc..「英雄(えいゆう) の意味」.https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%8B%B1%E9%9B%84/(2020年5月22日アクセス)


p.s. ページトップのイラストは、ワンフォーオールの発動をイメージして描いてみました。




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