ちゃんと寝られているかい、そこのあなた。
寝ることを体が拒む気がするのはなぜなのだろうかね。
もうこの何年も健やかな入眠を送れていなかった。いや、おそらく健やか入眠など存在しないと思っていた。まるで寝なければ明日が来ないとでも思っているのかと思うほどに、ベッドに入った途端に目がパチーンと開く。天井を見つめて気がつけば2時間が経っていたというのも普通にある。おとなしく寝てくれ、と思う。
その上、一度寝てしまったら中々起きれない。けたたましく鳴るアラーム音を何度も何度も止める作業を繰りかえしてしぶしぶ起き上がるというのがいつもの朝だ。まあでも世の人間概ねこんなもんでしょ、ね。
ついに先日、ベッドの上から動けなくなってしまった。会社を休むことに。肩と足に重りでも下げたかのように体は重く、意味も分からず涙が溢れて、頭も痛いという三重苦。一体全体私が何をしたっていうんだ。人生の罰ゲームというには、あまりにもペナルティが重すぎやしないか。
生きる気力を削がれる気分だった。いっそ死んでしまった方がマシだと思えるくらいだ。この世を煮詰めたような憎悪が自己否定という形で、頭からバケツで水をかぶったかのように降り注ぐ。自分を顔を見て嫌気がさし、食欲もどこかへ飛んでいき、何も考えられなくなる。
我慢ができなくなったためひとまず精神科を予約した。いろいろ症状を話した結果、眠剤やピル、不安時に飲むお薬などを処方してもらった。ピルはこれまでも服用していたが、PMSの症状によく効くものを出してもらった。環境の変化による軽い鬱だと診断を受けた。昔からクラス替えや進学のタイミングで必ずと言っていいほど体調を崩して欠席をしていた私には、新卒+初一人暮らしは荷が重すぎたのかもしれない。人間、無理をするとちゃんと不調として表に出てくるようにできているらしい、私の体はちゃんと生きたいと言っていたらしい。
処方してもらった眠剤を飲んだ、これが初めてというわけではない。しかし、今回は薬との相性が良かったのか寝る少し前に眠気がやってきて、目覚ましの鳴る前に起きるという優秀っぷり。
数年ぶりに穏やかな睡眠だった。
精神科やメンタルクリニックが、今でも敬遠されているのが現実だと思う。こころの病が根性論や精神論では解決できないところもあるということに、まだ認知が広がっていない部分もきっとあると思う。
しかし、根性論や精神論が通用するのは叩いても叩いても心が壊れにくい人だけだ、心はガラスと同じだから。要人が乗る車の窓ガラスのような弾幕を受け止められるものも理科の実験で使うカバーガラスのように薄すぎて指圧で割れてしまうものも全てガラスと呼ぶのと同じで、心にもそれぞれの耐久値が存在する。耐久値が高いからえらいのではない、そんな個体値のみが支配している世界ではない。
あの人は大丈夫だから、自分も大丈夫。周りがやってるから自分もできないといけない。こんなこともできない私は劣っているのだ。そんなしがらみに囚われてしまっていたら、自分の本領が発揮できなくなってしまう。
お互い、のんびりやろうよ。
人生って思ったより長いし、思ったより自由だよ。
そう自分にも言い聞かせてなんとか生きていこうと思う。