
もう、スキは諦めた。
こんなことを書いたら、誰もスキなんてしてくれなくなるかもしれませんが、ぼくとnoteの付き合い方を見直したことについて書いています。
ぼくがnoteを始めたのは今年の7月。まだ4ヶ月ですが、最近、投稿した記事が100件を超えました。
最初は週に2回くらい、好きなことを書き込んでいるだけ。でも、各記事に1、2件のスキをもらうことで「一人でも読んでくれている人がいるんだ」と満たされた気持ちになっていました。
ところが一ヶ月もしないうちに、note編集部のお気に入りマガジンに選ばれたことで、noteとの付き合い方は大きく変わります。
これまでSNSを全くといいほど活用していなかったぼくのスマホに次々と届く「スキ」の通知に驚くとともに、脳内のアドレナリンが溢れ出して、信じられない「快感」を知ってしまいました。
もっと「スキ」がほしい。
そんな感情が先行して、毎日記事を書くようになります。とにかくスキをもらえるように、タイトルを工夫したり、スキをたくさんもらったテーマのことを書いたりもしました。
よくよく考えてみたら、危ないクスリの快感を知ってしまって、それを忘れられない禁断症状に陥っているのと同じ状態であったのかもしれません。
でももちろん、そんなしょっちゅう記事がおすすめに取り上げられるわけもなく、それ以降、大量のスキが来ることはありませんでした。
どうしたらスキをたくさんもらえるのだろう。
最近、そんな思いで頭がいっぱいになりながら「スキをもらう方法」についての記事を読んでいるなかで、ふと考えたのです。
ぼくは何のためにnoteをしていたのか。
思い直してみれば、ぼくは「人と少し違った考え方をしている」と言われることが多くて、その少し違った考えをみんなに発信したいという思いからnoteを書くようになったのだと思います。
そもそも、noteというものは
(1)書く人が発表する
(2)読んだ人が何かを得る
という、2つの要素があるのだと思います。そして、書き手の方によってそれぞれ、この(1)と(2)の割合が違います。
(2)の割合が多いほど、当然スキは増えるのだと思います。
でもぼくがnoteをしている理由は、もともと
(1)がしたくて、その結果(2)になればいいな。
だったのだと思うのです。
決して(2)のために(1)をするのではなく。
でも、いつの間にか「スキ」をもらうために記事を書くようになっていた自分がいました。
まさに、本末転倒であったのだと思います。
だから、ぼくはこれからも、いや、これからは、きちんと自分が人に伝えたいことをnoteに書いていこうと思います。だからテーマも書き方も相変わらずバラバラで、読みにくい点は申し訳ないです。
でも、それが皆さんのお役に立つことがあれば本当に嬉しいですし、ぼくの記事によって世界が少しでもよい場所になれば、と本気で思っています。
でも、それは結果であって目的ではありません。
そんな思いを絶対に忘れないよう、あえてタイトルに書かせてもらいました。
もう、スキは諦めた。
と。