#すっぱいチェリー🍒第3話「玉手箱を開けたら世の中が見えた」
「それでもカッコよかったよ!」
その言葉は宇利盛男(うりもりお)にではなく、
隣にいた男の子にかけられた言葉だった。
年長組になった盛男は劇の発表会で、浦島太郎
役に抜擢された。この頃は、おっぱい星人とし
てよりも、他の友達より意外に走るのが速くて、
少し目立った存在になっていた。そんな自信か
らか、みんなの前に出ることも好きになって
いた。
盛男が主演の浦島太郎の劇の練習が始まった。
盛男は張り切って練習した。とにかく大きな声
でセリフを言うようにしたのと、手や腕の使い
方を先生のアドバイス通りに大きくした。
2、3回の劇の練習を終えた後、
担任の的場先生から、
「次から、K君も浦島太郎になります」。
と突然告げられた。
理由も知らされぬまま、その日から、浦島太郎
のW主演スタイルとなった。K君は、園児の中
でもイケメンとして、周りから一目置かれる存
在だった。自分の中に、何かモヤモヤした気持
ちがあったが、幼心には理解しきれず、とにか
く任された役に集中することにした。
先に練習を始めていたので、パイセン浦島太郎
として、笑顔でK君とタイミングを合わせなが
ら、当日まで協力し合った。K君はうまくいか
ないと不貞腐れたが、なんとか練習の遅れを
取り戻し、もう1人の浦島太郎となった。
そして劇の発表会の当日を迎えることとなった。
盛男もK君も、緊張しながらも練習通りのパフ
ォーマンスを発揮できた。太郎2人の息も合っ
ていて順調に劇は進んでいった。
いよいよ劇は終盤を迎えた。最後の玉手箱を
あけて、おじいちゃん太郎になる時に、草む
らの中に隠れて、綿に両面テープを付けて作
られた髭を、まゆと、鼻の下、そして輪ゴム
のついた髭を両耳にかけ、顎髭を蓄えた姿で、
再び舞台に立つシーン。そのラストシーンで
あることが起こってしまった。
K君は最後に焦ってしまったたのか、ちゃんと
髭をくっつけられず、片耳にぶらんとかかった
髭のみで、全ての髭がその場で落ちてしまった
のだ。会場から一瞬、
「あ〜あっ‥」
という声が漏れたが、最後のセリフを言って、
拍手喝采のもと、無事に幕は降りた。
K君は、幕が降りた後すぐに、その場で落ちた
ヒゲたちを、まるで無かったことにするかのよ
うに、悔しそうに何度も蹴って、床に散らかし
た。そしてみんなのいる座席へゆっくりと歩き
出した。どう声をかけていいか分からず、とに
かく私も足早に席へ向かった。
浦島太郎のお帰りだ。
私がK君より先に席に着くと、
周りの男友達の1人が、
「盛男くん、よかったよ」
と声をかけてくれた。嬉しかった。
次に少し不貞腐れた表情の
K君がゆっくり歩いて、席に座った。
「K君、よく頑張ったよ、カッコよかったよ!」
「K君、最後までやり切ったね!」。
「K君、誰よりも浦島太郎だったよ!」。
たくさんの女子たちが、K君に近寄り、励まし
の言葉をかけ出した。W主演の浦島太郎のはず
なのに、保育園女子が声をかけに行くのは、K
君の浦島太郎の方ばかり。なんなら、初恋のま
きちゃんもM君の方に群がっていた。それはま
るで、ヒーローのような扱いだった。
白い髭を落としたことなど、関係なかった。
そこで盛男は感覚的に理解した。
女子たちは、イケメンが大好きなんだと。
思えば盛男の人生で、何かの主役になれたのは、
この劇が最後だった。
(やがて進学することになる田梨木高校では、
文化祭の劇で主役となったが、当日、腹痛で
出演できずに終わることとなる)
この出来事を境に、盛男はなんとなく自信を
無くし、自然とみんなの前に出るのを避ける
ようになっていくのであった。