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少し違った感覚を受け入れてみる

妻が言う。

「 あんたが好きな、月見バーガー、そろそろ出るみたいやで〜! 」

私が好きなのは、グラタンコロッケバーガーだ。

この下り、

毎年恒例となっていて、

「 あら、グラタンのほう?そやったそやった、ははは〜 」

と、毎年恒例のリアクションまでくれるのだが、

今ではもう、わざと言っているようにも思える。

結局、シーズンに1つは月見バーガーを食べることになる。

妻と、「 たまに食べると美味しいな〜 」という、ひと会話が増える。


思えば私の母親(おかん)も、

昔、

「 回転焼き買ってきたで〜!あんたが好きな白あんやで〜 ! 」

私は普通のあんこが好きだ。

おかんに毎回言う。

「 いやいや、普通のでいいねんて!

 なんでわざわざ捻りを加えるんっ! 」と。

「 あ、そう・・・ 」

と、少しキョトンとしたおかんの顔を何度も見せられた覚えがある。

結局、嫌いじゃないなと食べてしまう。

「 おかん、白あんもいいけど、黒いほうと半分ずつにしてな〜 」

という、ひと会話になったものだ。


少し昔の話であるが、

働く会社のデイサービスで関わる、認知症のある高齢者の方が、

デイサービス利用中に気分が悪くなったとのことで、

私が近所の診療所まで付き添った。

診療所の待合スペースには、結構な人が椅子に座っていたが、

私と高齢者の方は席を譲ってもらえて、

診察室に呼ばれるまで、

一緒に座って待っていた。

病院なので、待合スペースは基本的には静かであった。

少し気分もマシになってこられたようで、

小声で私に話しかけてくださる。

「 ごめんな、病院まで連れてきてくれて 。

  ところで、にいちゃんはどこに住んでるんや? 」

私は小声で答える。

「 〇〇町です 」。

すると高齢者の方はとても驚いた様子で、

自然と大きな声で私に問いかける。

「 えっ、城下町っ!!。

  最近じゃあ、めずらしいな〜 」。

その高齢者の方が発する「 城下町っ!!」と言うワードが、

診療所の廊下内を響き渡り、

そこにいた患者さん達が一斉に私達のほうを注目する。

私が小さい声で、

「 城下町じゃなくて、〇〇町ですっ‼︎‼︎ 」

と高齢者の方に伝え直すが、

声が小さすぎて伝わらないのか、

「 城下町か〜、ええところに住んでるの〜 」

と高齢者の方は胸の高まりが抑えられない様子。

いよいよ周りがクスクスと笑いだした。

城下町に住んでいる奴というのは、

どういう奴かを確かめるように視線が更に集まる。

繰り返し訂正するが、

結局伝わることはなく、

私は城下町に住んでいることになった。

それから、

ちょっと城下町に興味が湧いて、図書館で調べたりすることもあった。

「 昔の城下町ってこんな感じやってんて〜 」

と、家族での食卓のひと会話になったし、

この診療所でのやり取りで、家族から笑いをとることもできた。


時に人というのは、

話を脳の中で自分勝手に変換させたり、

聞き取り間違いをしたりして、

本当のことから、

ちょっとズレて理解することがある。

その、ちょっとズレた理解の内容を聞いた側の人は、

「 えっ、違うやん 」

と否定する。

それが一般的である。

でも、私は思う。

すごく重要な内容についてのズレでなければ、

なるべくそのズレを、

決してバカにしたり、否定したりするのではなく、

どうせなら、

受け入れてみてもいいのではないかと思う。

私の妻や私のおかんが、

なぜそんな変換をすることになるのか、

仕組みはよくわからないが、

人間は不思議だなと思うし、

何回言っても、

変換したものが修正しにくいこともあるのが、

なんだか面白いと思うのである。

その少しのズレや、少し違った感覚を、

受け入れてみることで、

相手は受け入れられたことで安心できるし、

自分にとっても新しい気づきができて、

少し世界が広がる可能性もある。

例えば、認知症の方の行動もそうだ。

デイサービスに来る認知症のある方は、

デイサービスに来るという感覚ではなく、

「 仕事のために出勤する 」という感覚で

来所される方もいる。

それを否定するのではなく、

受け入れることで、

認知症の方は安心できる場所だと感じられるし、

受けいれた側も、

「 仕事のような過ごしができたら、

  もっとイキイキされるのかもしれない 」

と、新しい発想に辿り着く可能性もある。


自分が思う感覚を、

まずは大切にすることが、

大事なのには変わりがないのだが、

時には少し違った感覚を受け入れることも、

自分の世界を広げる上で、大切な方法の1つだと思う。


共に、少しの感覚の違いを受け入れられる社会になれば、

受け入れる感覚が普通になれば、

それぞれがもっと豊かな人生が送れるようになると思う。


月見バーガーの宣伝用ののぼり旗を見かけて、

ふと、そんなことを思ったお昼時だった。


私の住まいは城下町

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