
「ロスト・ジェネレーション」~ヘミングウェイとフィッツジェラルドの、ふたつの切ない短編小説(改訂)

ロスト・ジェネレーション
1920年代から世に出たヘミングウェイらの世代は、「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれています。「迷子の世代」あるいは「喪失の世代」などの訳になります。
彼らはまた、「貧乏くじ世代」とも呼ばれています。
この時代には、いくつかの大きな災いが起きました。その中で最も衝撃的だったのが、彼らが青年期の時に起きた第一戦世界大戦(1914~1918)でした。
かつてない規模のこの戦争では、人類史上初めて毒ガスや戦車などの大量殺戮兵器が戦場に持ち込まれ、世界中で1600万人を超える死者を出しました。それは、人間性への「信頼」を根本から瓦解させる出来事なのでした。
この未曾有の惨劇を目の当たりにして、「世界は『よい方向』に向かって進歩しているのだ」という従来の価値観が失われてしまったのです。
ロスト・ジェネレーションの"Lost”には、このような「根本からの喪失」という深いニュアンスが含まれているのです。
モダン化~「黄金の20年代」
おびただしい犠牲を負った第一次世界大戦でしたが、一方で戦勝国のアメリカには経済的な活況がもたらされ、1920年代は空前の好景気となりました。
この時代は「黄金の20年代」などとも呼ばれ、自動車やラジオが普及し、ニューヨークの摩天楼が次々と建てられていきました。
また、映画や音楽をはじめとした新しい文化や娯楽が花開き、「ジャズ・エイジ」とも呼ばれました。
家電の発達は女性を家事から解放し、遊びやファッションを以前よりも自由に享受できるようになりました。
こうして若者たちを中心として、人々はモダン化した都市に刹那的な快楽を求め、恋愛やパーティに興じる風潮が広がって行きました。
この時代に世に出たのが、後の文学史に名を残すことになるヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーたちでした。
文学や芸術を志す彼らの多くは、アメリカの喧騒と物質的繁栄を嫌い、パリ等に身を移しました。
新しい時代の新しい文学をつくり出すのだ、という情熱に駆られた彼らにとって、伝統と文化的な雰囲気のあるヨーロッパは、創作意欲を強く刺激する磁場となったのです。
新しい文学の開花
パリのカフェやサロンには新しい芸術を模索する芸術家たちが集まり、活況を呈していました。内外の作家のみならず、ピカソやダリも顔を出していたと言われています。
彼らは、前の時代のリアリズムから脱した、それぞれの新しいスタイルの確立を志しました。これが芸術全般における「モダニズム」でした。
中でも我が国においても人気が高いヘミングウェイは、従軍経験をもとにした長編「武器よさらば」(1929)などの名作を多く書きました。
フィッツジェラルドは、ジャズ・エイジを生きたアメリカンたちの夢と挫折を描いた長編「華麗なるギャツビー」(1925)がよく知られています。
フォークナーは、架空の土地ヨクナパトーファ郡を舞台に、「響きと怒り」(1929)をはじめとする連作によって、アメリカ南部に生きる者たちの暗い情念を実験的な手法で描きました。
ここではまず、この世代特有の「喪失感」を伝える二つの短編を紹介しておきます。

ヘミングウェイ「雨の中の猫」
ヘミングウェイの作品は、装飾がそぎ落とされた短い文章を重ねて行く「ハードボイルド」のスタイルが特徴です。
「もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、海上に漂う氷山の八分の一のみを書けばよいのだ」という彼の「氷山理論」は有名です。
短編集「われらの時代」に収められた「雨の中の猫」~Cat in the Rain(1924)という数ページの短編には、彼のそのスタイルが凝縮されています。
若いアメリカ人夫婦がイタリアに滞在しています。雨が降っています。妻はホテルの部屋の窓から外を眺めていると、広場のテーブルの下にうずくまる子猫を見つけます。
「拾いに行く」と妻が言います。ベッドで本を読んでいる夫が「ぼくがいってやろうか」と返しますが、彼女は自分で拾いにいきます。
フロントで、老支配人が彼女に一礼します。威厳をたたえた容姿と、いつも役に立とうする誠実な振る舞いに彼女は好感を抱きます。
彼女は外に出て子猫をさがします。ふと気づくと、メイドが傘をかざしてくれています。「猫がいたのよ・・・」と妻は言いまずが、子猫の姿はありません。
部屋に戻り、いらだった妻は夫に対して愚痴を言い始めます。「膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす子猫がほしい」「銀器が揃ったテーブルで食事がしたい」「新しいドレスが何着かほしい」などなど。夫はうんざりし、読書に戻ってしまいます。
妻は再び窓の外を眺めます。その時、「支配人から申しつかりました」とメイドが部屋を訪れます。メイドが携えていたのは・・・話は、意外な結末によって切り捨てられるように終わります。
物語の中で何が起きているのか、読者は歩幅の広い行間を想像しながら読解することが求められます。そこが読者によってはヘミングウェイ小説の読みにくさであり、愉しさでもあります。
フィッツジェラルド「残り火」
ヨーロッパを舞台にした作品を多く書いたヘミングウェイに対して、フィッツジェラルドは、アメリカのバブル時代を生きた若者たちの恋愛や狂乱、そして破滅を精緻に描き出します。

彼の作品は、村上春樹氏によっていくつか翻訳されていますが、その中の「マイ・ロスト・シティ」という短編集がフィッツジェラルドを初めて読む方にはお勧めです。
中でも「残り火」~The Lees of Happiness(1922)は、フィッツジェラルド独特のスタイルが表れた、たいへん深く切ない味わいの一編です。
若い夫婦ロクサンヌとジェフリーは、1920年頃のシカゴ近郊で気ままな新婚生活を始めます。ジェフリーの親友ハリーもたまに訪れ、三人は楽しい時を過ごします。
しかしジェフリーは突然、病気で意識不明の植物人間になってしまいます。
ロクサンヌはジェフリーの看病に専念しますが、やがて彼は他界します。
彼女はそのままずっと、同じ家に独りで暮らし続けます。
ハリーがある日、ロクサンヌを訪ねて来ます。そして二人で夕食をとりながら昔の思い出を語り合います。
人生はあまりに速く過ぎ去っていった。しかしそれが残して行ったものは苦い思いではなく、悲しみを見つめる心だった。幻滅ではなく、痛みだけであった。
これはその夜、二人が家の玄関先で別れる場面での数行です。
少し分かりづらい表現ですが、とても大切だった人の不在を共有する二人の心情が浮かび上がって来る、フィッツジェラルドらしい描写です。
パーティーの終焉、そして第二次世界大戦
「ロスト・ジェネレーション」は、その後も社会の大きな荒波に何度も巻き込まれることになります。
バブルに浮かれたジャズ・エイジは1929年の大恐慌によって終止符が打たれました。繁栄から一転して、四人に一人が職を失うほどの大不況が訪れたのです。
そして世界は、前の大戦をはるかに上回る破壊規模の、第二次世界大戦へとなだれ込んで行きます。
フィッツジェラルドは金銭トラブルにまみれ、アルコールに溺れた末に44年の破滅的な生涯を閉じました。
ヘミングウェイは第二次大戦後も執筆を続け、「老人と海」(1952)などの名作を遺しましたが、後に自ら命を絶ちました。
フォークナーはアメリカ南部を舞台とした大作群を残しました。ノーベル賞受賞後、彼は1955年に来日を果たし、日本文学への期待をこめた講演を行っています。
ロストジェネレーションの作家たちは、20代を第一次世界大戦に蹂躙され、40歳頃に空前の繁栄とその反動(大恐慌)を体験し、さらに第二次大戦に遭遇しました。
その約30年の激震の時代を、彼らはタイプライターを叩き続けそれぞれ道を駆け抜け、文学史上に輝く多くの名作を放って行ったのでした。
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彼らの子供らは、ケルアック(1922‐1969)らの「ビート・ジェネレーション」世代にあたります。
ビートニクたちは青年期に第二次大戦の当事者となりました。
また、その後もさらに深刻化してゆく「冷戦」の時代を生き、新たな激動の中で彼ら独自の新しい文学を切り拓いて行ったのでした。⇒ビート文学の入口「オン・ザ・ロード」

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