「闇の奥」" Heart of Darkness "J.コンラッド(改訂)~映画「地獄の黙示録」
今回は「モダニズム文学」の簡単な説明と、その先駆の一例として、コンラッド作「闇の奥」を取り上げます。
また、同小説から翻案された映画「地獄の黙示録 "Apocalypse Now"」にも、最後に少し触れておきます。
Apocalypse Now「地獄の黙示録」 監督・脚本 F.F.コッポラ(1979アメリカ)
「読みづらさ」で名を残す奇書
「闇の奥」は、ポーランド出身のイギリス作家ジョセフ・コンラッドによる中編小説です。
この作品は、今日でも、「英語で書かれた名作ランキング」上位の常連であり、英語圏の教科書で最も多く使われている作品の一つともされています。
我が国では夏目漱石が傾倒したとされ、いくつかの評論を残しています。
「文学史に残る名作」と評される当作品なのですが、「読みづらさ」においてもたいへん有名です。
原作は文庫版で200ページ程度なのですが、第一章からあまりに混沌としているため、ここで挫折してしまうケースが多いのではないでしょうか。
日本では映画版「地獄の黙示録」がよく知られていますが、こちらも原作同様にきわめて難解な作品です。
その不可解さ故か、「闇の奥」は「謎の書」として今日でも多く語られ、様々な解釈や評論が行われ続けています。
モダニズム文学の先駆
「闇の奥」の作風は、従来の写実主義小説とは全く異なったものでした。
ここでの「ものごと」は、文脈から「真理」と置きかえることができるでしょう。
つまり、彼の宣言をざっくりまとめれば、「材料を提示しますので、解釈はそちらで自由に(能動的に)行ってください」ということでしょうか。
彼が世に出た19世紀末は、「分かりやすい写実主義小説」が限界を迎え始めていた時代でした。
この世界や人間を表現するには、従来のリアリズムでは表せない領域があるものとされ、新しい文学的手法が台頭してきたのでした。
これが後に、「世界に対する信頼」を崩壊させた第一次大戦前後に起きた、「モダニズム」と呼ばれる芸術全般における新しい思潮に結実したのでした。
その代表的な作家としては、ジョイス、ウルフ、エリオット、プルーストなどが挙げられます。また、ヘミングウェイら「喪失の世代」の作家たちもここに含めることができます。
コンラッドは、この「モダニズム」文学の先駆といえる作家でした。
世に出された「タイミング」も、この作品の文学史上における重要性が高く評価されている要因と言えるかも知れません。
このように、「闇の奥」は従来の写実小説を解体再構築したような作品であるため、読解にはたいへん難儀します。
しかし、この作品には他で味わうことのできない独特の魔力があります。
あくまでも個人的なアプローチではありますが、以下にてこの作品を楽しむためのヒントの提案を試みてみます。
あらすじ
表層にある展開としては、この「カーツ救出劇」というシンプルなものです。
ただ、取り扱われている根本のテーマとしては「人種差別」や「文明批判」だけではなく、より深く観念的に、
・世界の(人間の)「闇」の「奥の奥」をつき詰めると、そこには何があるのか?
・カーツを狂気に陥れた「それ」とは何なのか?
というものが本流となっていると言えるでしょう。
なぜ読みにくいのか?
「読みにくさ」に戻りますが、この作品を難解にさせている最大の理由は以下にあるのではないでしょうか。
そもそも、根本的な課題が「闇の奥に何があるのか?」としたとき、それを「分かりやすく」描くことなど困難なのでは?
この作品の読解を難しくさせている理由は、他にもいくつかあります。
以後の他の作家たちによるモダニズム作品の多くに見られる要素が多々あるため、挙げておきます。
・語り手のマーロウが、だらだらと話している設定であり、それが体系立てたものでないため、思いつきや飛躍が多い
・そのマーロウが「たまたま耳にした話」や人づてに聞いた話の断片等が多
い
つまり、コラージュのようなかたちで出来事や考えが提示されているのです。また、以下も挙げられます。
・マーロウ自身、自分におきたことを含め、状況が理解できていない~特に肝心なカーツの身に起きたことが具体的に(マーロウに)伝えられていない。
・マーロウ自身、嘘つきのきらいがある。(実際、話の最後で大きな「嘘」をつく)
また、著者は、序盤で自ら宣言しています。
さらに第一章で以下のようにほぼ「ギブアップ」すらしています。
つまり、この作品はまとまりのよい話ではなく、「得体の知れないもの」の謎解きとして読者に提示されているのです。
ですので、作中のヒントをもとに読者がそれぞれの印象・視点から「答」を考える。そんな作品ではないかと思われます。
道具立てとヒント(例・第一章)
内容をすっきりと整理しながら説明できるような小説ではないので、まずは第一章を例にとってヒントとなりそうな材料を挙げておきます。
この作品の「難関」とされる第一章は、約 70ページの長さです。
この章は、いきなり描写が重く、マーロウの独白も支離滅裂な感があるため、読むのをやめたくなります。
その上、この先を読み解くための象徴となる小道具やヒントが伏線として多く登場するのも、読みにくさの要因となっています。「後で読み返せばOK」ぐらいで先に進むのがよいかと思われます。
雇用主との面談のため、マーロウはベルギーのブリュッセルにある本社に赴きます。
以下はややランダムになりますが、第一章における作品解釈の上での「ヒント」と思われるところを一部拾ってみます。
・西洋文明の側の道具立てや描写は、概ね「死」や「空っぽ」のイメージで
覆われています。
例えば「骨」
~象牙・・ドミノ駒、ピアノなど
~本社での面接場面。採用検査として、なぜか頭蓋骨の測定が行われる
他にも何かの暗示のような部分
~本社建物を「白い墓」と表している、
~フロアの入口には、編み物をする二人の老婆が座っている。
・叔母の口利きがあったため、マーロウは難なく採用されるものの、それは 格差社会の底辺に属する危険な任務でした。
赤痢やマラリアに罹患するのは日常的なことでした。また、前任者は現地人ともめて殺されてしまったというのです。その後釜としてマーロウが採用されたのでした。
ポーランドからの移民だったマーロウには、当時他にありつけそうな仕事がなかったのでした。
カーツもまた、低い身分からエリートへ成りあがった者でした。
マーロウはどこか西洋文明を鼻で笑っている感があります。
「語りながらのポーズが東洋の座禅を想起させる」、というところも、どこか暗示的です。
そして彼の説明は、終始歯切れが悪く、分かりづらいまま続きます。
マーロウの話は、カーツのことへと移行しながら、先へ進みます。
"Wilderness"~圧倒的な力の源
奥地へ進むにつれて、マーロウが徐々に、密林の魔性に魅入られれていくようすが多く描かれていきます・・・カーツに同化してゆくように。
この作品では、"Wilderness" という言葉が再三使われます。
意味としては荒野、荒地、未開地、密林などですが、ここでは「自然の、圧倒的な力の源」と解釈できるでしょう
この小説を理解する上でのキーワードとも言える"Wilderness"への言及と描写がなされてる箇所をいくつか挙げておきます。
このように、"Wilderness" が作中、ひんぱんに描写されます。
その「自然の、圧倒的な力の源」とはどのようなものなのか、、、
以上は、あくまでも筆者の勝手な解釈です。読者によっては、この作品から全く別の釣果が得られるかも知れません。
例えば、ニーチェの「超人」思想とカーツを関連づける見方も面白いかも知れません。
どの抜粋をご覧いただいても分かるように、大変に抽象的な描写が多いので、やはりとっつきにくい作品ではあります。
しかし、人と世界の「闇の奥」はどうなっているのか、
その奥の奥に魅せられてしまい、あげくに狂ってしまったカーツが見てしまったものは何だったのか・・・
読後、脳裏に深い謎が残り、いつまでも消えない作品です。
ジョセフ・コンラッド(1857- 1924~英国、小説家)
ベルディチェフ(ポーランド)生まれ。
4歳の時、父の流刑で北ロシアに行く。7歳で母を11歳で父を失い、16歳の時マルセイユに行き船員となり、1886年英国に帰化する。各国の船に乗り航海しながら小説を書き始める。’94年健康を損ね船員生活をやめ創作に専念する。’95年「オールメイアの阿房宮」を出版し、’97年「ナーシサスの黒人」で批評家に認められ、1912年「運命」で作家的成功を収める。人間心理の底流に迫る倫理的作家であり、20世紀英国小説の開拓者である。
参考・映画「地獄の黙示録」について
”Apocalypse Now”「地獄の黙示録」(1979 アメリカ)
サーフィン好きなヘリ部隊隊長の指揮により、「快適にサーフィンをするため」だけに河口一帯をナパーム弾で焼き払うなど、空疎な戦闘がリアルに描かれています。
設定は、原作から約70年を隔てた1969年東西冷戦~ベトナム戦争に置き換えられており、スペクタクル化はされているものの、根本的なところは原作に忠実につくられていると感じます。
ただ個人的には、原作と比べて西洋文明側の「闇」に描写の重きが置かれているように思いました。