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デカダンス文学の入口~引きこもり小説『さかしま』 J.K.ユイスマンス(改訂)



デカダンスとは「退廃」「衰退」を意味するフランス語です。
 
19世紀半ばを過ぎると、ヨーロッパ文学はロマン派に対抗した写実主義、自然主義が主流となりました。

科学・技術・産業、さらにはジャーナリズムの発展により、社会問題や事実・現実をありのままに描写することが要求されたのです。

しかし、そのさらなる反動として、19世紀末に向けて主にフランスで起きたのがデカダンス芸術でした。
 
その特徴は、伝統的な規範や道徳に背を向け、病的な趣味を重んじ、退廃的で人為的な美を追求する傾向にありました。 
 
デカダンスは、文学的には「象徴主義」や「世紀末芸術」とほぼ同じ括りに入れられています。

 象徴主義は、詩のジャンルで発展したスタイルです。
リアリズムとは対極にある手法で、直接に主題や内容をうたうことをせず、音楽的・暗示的に内的世界を象徴化して表現するものです。
 
その先駆は、かつてのロマン派の水脈を受け継いだボードレールでした。
彼の詩集「悪の華」は、近代詩への道を拓いたとされています。

この潮流には以降、ヴェルレーヌやランボー、マラルメらが続き、20世紀のモダニズム、シュールレアリスムへとつながっていきました。


 ユイスマンスの長篇「さかしま」は、象徴主義における小説ジャンルでは「デカダンスのバイブル」と呼ばれ、文学史上、特異な位置に置かれた作品です。 

彼は、最初はゾラが主宰する自然主義作家のサークルに属していました。
しかし、ボードレールやマラルメの感化を受け、この異端な芸術の道に転向したのでした。

邦題の「さかしま」は日本語で「常軌を逸した」を意味します。
「倒錯」と解してもよいでしょう。

仏語の原題は❝A Rebours❞~「あべこべに」です。
また、英語題は❝Against Nature❞~「自然に反する」です。

いずれの訳題もこの作品の内容に合致したタイトルと言えます。

「さかしま」の主人公デ・ゼッサントは貴族の末裔ですが、放蕩生活によって財産の多くを使い果たしてしまいます。

俗世間を極端に嫌悪する彼は、残った資産でパリ郊外に家を買い、老夫婦を召使いとして雇い、奇抜な装飾や趣味に没頭した隠遁生活を送ります。
 
作品では、偏執狂じみた嗜好による奇怪な「引きこもり生活」によって、デ・ゼッサントの精神と肉体が徐々に蝕まれていく様が、つぶさに描かれています。
 
いくつかその異様な趣味を挙げてみると、

・オレンジ色へのこだわり
デ・ゼッサントはオレンジ色に対する強いこだわりを持っており、光の加減によって変化するこの色のグラデーションやニュアンスを徹底的に研究しています。
その結果、彼は居間の内装色としてオレンジの他にブルーを加えます。暗い蝋燭光の中に浮かび上がる不思議な色彩の混濁に独り浸り、恍惚感を得るのです。

・船室を模した食堂
食堂では、小さな「船室」が再現されています。
食堂部屋の中にはもう一つ、ひと回り小さな部屋がはめ込まれており、「入れ子構造」になっています。
中の方の部屋の窓は円く、船の窓に似せてあります。そしてこの船窓の外側、つまり外側の部屋の壁と中の部屋との隙間には、薄型の巨大な水槽が設置されています。 
水槽の中では、機械仕掛の精巧な魚たちが海草の間を泳いでいます。
航海の気分を疑似的に楽しむことができる訳です。

他にも、

・甲羅の上に、金や様々な宝石が嵌め飾られた巨大な宝飾亀(亀はその重さ
 で死んでしまう)。

・オリジナルの高級デザイン本コレクション(ボードレール他)。用紙から表
 紙の素材、字体までがすべてがオーダーメイド。

・食肉植物をはじめとするグロテスクな草花のコレクション。彼はそれらを
 「梅毒」と呼んで愛でる。

・香水を自在に配合してつくり出す、香りだけのバーチャル世界。
 例えば「人口牧場」。
 まずは草原の香りをつくって部屋中に広め、その中に様々な草花や樹木な    
 どの香りを撒布することによって創出される。しかし、デ・ゼッサントは
 匂いに悪酔いして失神してしまう。
  
・・・等々、ほぼ全編に渡って彼の趣味の説明が詳細になされています。

また、過去のエピソードもいくつか語られます。それも奇矯なものばかりです。
中でも、金にものを言わせて得た情婦たちとの関係は、尋常ではありません。

例えばその一人、天才的な「腹話術師の女」との遊蕩は手が込んでいます。

デ・ゼッサントは、あらかじめ用意した計画の指示をこの女に与えます。
それは夜中、彼女の部屋にて実行されます。
以下はその「シナリオ」の一つです。

行為の最中に突然、ドアの向こうから、騒音に対して隣人が激しい苦情を浴びせてきます。ひどくしゃがれた男の声です。
しかしその声は、デ・ゼッサントの指示によって彼女が発した高度な「遠隔腹話術」によるものです。
デ・ゼッサントが情交中の「緊張を楽しむ」ために発案した、偽装のハプニングなのです。

このようにデ・ゼッサントは、現実の人間社会や自然な世界を受け入れることができず、人工的な仕掛けと想像力によって構築された「自分だけの世界」を砦としているのです。

この作品で特筆すべきは、描写の緻密さです。

ユイスマンスの筆致は、ゾラの門下で学んだ自然主義の表現技術が、形を変えて新しいスタイルに昇華されたものと言えます。

社会に貢献するためのリアリズムが主流な中にあって、発表当初この奇書はほぼ黙殺されました。
しかしやがて国内外で話題が広がり、イギリスではオスカー・ワイルドらにも強い影響を与えました。

そして象徴詩をふくめたデカダンス文学は、自由度の高い「芸術のための芸術」として、現代へと受け継がれて行くことになります。

ジョリス=カルル・ユイスマンス(1848 - 1907~フランス・小説家、美術評論家)
パリ生まれ。学業終了後に内務省に入り、晩年までそこに務める傍ら文筆活動を続けた。散文詩集「薬味箱」(1874)を発表後、1876年には小説「マルト~一娼婦の一生」がゾラに認められ、以後ゾラの弟子としてグループに参加。その後、自然主義に限界を感じ、「さかしま」(1884)で世紀末的審美眼を駆使した人工美の世界に転換を試みた。
以降、中世からの悪魔崇拝を題材とした「彼方」(1891)を書き、翌年カトリックに回心した。


2024.5.5
Planet Earth

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福田尚弘
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