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ネガティブバイアスと運の錯覚
よく「うらやんは運がいいよね」と言われる。
確かに、周りの人には恵まれたし
自分の選択も上手く転ぶ方が多い気がする。
けど、比較してしまうとどうしても手放しに
運がいい!と言ってしまうのはどこか遠慮してしまう。
SNSを見れば、自分より周りの人に恵まれている人もいれば
全ての意思決定が成功しているのではないかと思えるような人だって
存在するこの世の中において、自分は運がいいと言えるのか。
とどこか客観視してしまう自分がいるのも確か。
そんなことを一瞬考えてから
「いやいや、おかげさまで
周りに恵まれた人生を歩ませてもらっています。」
と当たり障りのないことを言っている。
ここで、運というのは人と比べる必要があるのか?
という疑問が出てくる。
そもそも運がいいことによって、
どんないいことが起こったかということに関しては
圧倒的にその人に委ねられている。
自分が欲しかったものが、
amazonで在庫があっただけで運がいいと思える人もいて、
安くなっていて運がいいと思える人もいる。
そう考えると、そもそも人と比べて運がいいか悪いかを
考える必要はなく、自分が運がいいと思えば
運がいいでいいのではないかと思う。
人は、ポジティブな情報よりもネガティブな情報を
覚えている傾向にあるらしい。
これをネガティブバイアスと呼び、「ここに行くと果実が取れる!」
というプラスな情報よりも、「ここにいくと毒蛇がいる!」という
生死を分ける情報が優先的に記憶がされるからであり、
そういうのを聞くと人間はつくづく合理的だなと思ってしまう。
そう考えると、ポジティブな情報が乗っているSNSと
ネガティブな情報を優先的に覚えている日常生活を比較すると
それはほとんどの人が運が悪い人になってしまう。
圧倒的な独断と偏見を持って、
自信を持って運がいいと錯覚した方が
いいことが起きそうな気がする。
だからこそ、自分だけの幸運に感謝をし、
他人の幸運に目を奪われることなく、
自分だけの物語を紡いでいくことが、
真の幸福なのかもしれません。
ほなまた!
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