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上司に教わり、上司を慕い、上司に失望した話

今から13年前に生まれて初めて「異動」を経験しました。
某大手医療グループに所属し、健診クリニック営業から医師採用部門へとガラッと変わり、例えるなら派出所から本店に異動になった状態でした。

当然医師採用業務なんて想像もつかない業務で、生まれたての子羊状態とはまさにこのことかと思うくらい、何にもわからないままに異動となりました。

異動の理由は、現在の担当者が退職するのでその後任としてと、私が前職で医療メーカーにおり、医師に対する営業をしていたので医師に対して免疫があるだろうと見られたことのようでした。

異動した先は、グループ病院の事務長を歴任し定年した後に配属になった男性2名と50代の女性事務1名の部門でした。

「栄転だと思っていたのに、ババを引いたかな…」

率直な感想でした笑

後任との引き継ぎも1時間程度で「あとは資料見ておいて」で終了でした。
本部の一部門でしたので、イメージとのギャップに唖然とした記憶しかありません。

実際に赴任し業務が始まると、まず仕事がありませんでした笑

私の上司2名はグループ病院で事務長を長年されて定年となった方ですので経験豊富ですが、「昔の人」なので、なかなか気難しいというか、自分の両親と同じ年齢ということもあり、初めは距離感が掴めませんでした。

言われたことが、「電話番な」「自分で仕事を見つけろ」「資料を作れ」だけでした。

医師採用部門ですので、紹介会社から電話がかかってきます。
電話番なので取りはしますが、当然何もわかりません。
「〇〇病院に□□科の先生の紹介をしたいのですが、募集していますか?」
電話口で担当者が話します。

私は折り返しの電話にして、全くわかりませんので上司に聞きます。
「この会社から電話があって、このように聞かれたのですがどう対応すればよろしいですか?」

上司「〇〇病院の事務長に聞いてみろ」

私は言われた通りに電話します。
「事務長、紹介会社から□□科の募集があるか聞かれたのですが、募集していますか?」

事務長「ああそれなら、担当者に俺に電話するように伝えておいて!」
これで仕事が終了です笑

この仕事に何の意味があるのだろうと感じたのは言うまでもありません。
これをただのメッセンジャーと言うのだろうと自虐的に感じていました。

次第に・・・

こんな日々を重ねつつ、上司の二人に同行するようになり、さまざまなグループ病院に訪問し、そこの事務長・院長・看護部長と顔合わせることが頻繁になってくるにつれて、友好的に話ができる事務長が増えてきました。

そこで感じたのは、事務長にはさまざまなタイプがいて、こちら側も気を遣って対応しなくてはならないことです。
本部の意向に完全に沿うタイプ。全て自分でやらないと気が済まないタイプ。自分でやるがトラブルを起こしがちなタイプ。医師を見る目が全くないタイプ。とりあえず医師が入れば何とかなると思っているタイプ、などなど。

後にこの経験が、私が事務長ならびにコンサルティング業務を行っていくための礎になったことは、この時の私は知る由もありませんでした。

(本当に様々な事務長がいました。なぜ事務長になれてるのかわからない人もいましたし、すごく優秀な方もいました。また折を見て書いていきたいと思います)

3ヶ月も過ぎれば一丁前の仕事ができるようになりました。
紹介会社からの電話に対応し、病院へ誘導して、面接に同行して、病院側や紹介会社と調整して採用に導く。
そんな業務が楽しくなってきました。

私自身、上司との同行の中で様々なことを学ばせていただきました。

  • 医師採用業務について(その軸となること、リスクマネジメント等)

  • 事務長とは(立ち居振る舞い、反面教師、理想像等)

  • グループの歴史や背景

  • グループ内の様々な人脈と相関図

この他にも多くのことを教えていただきました。

初めはほったらかしの指導で、その雑な指導方法に怒りさえ覚えたこともありましたが、この時は育ててもらっていると感じることができ、このグループで働いているという愛社精神や事務長という立場のプライドなんかを知ることができ、私に対しても将来に期待していただいていると感じていました。

私もこの二人を尊敬し、この部署がグループに大きなメリットを与えられる組織にしようと必死に頑張っていた記憶があります。

医師採用部門としての苦悩

医師を採用したり、グループ内医師とコミュニケーションを取る機会が増えてくるにつれて、その医師から信頼をされるためには、ある程度の知識と機転や配慮、気遣いなどがないと懇意にはなれないなと感じていました。

特に私はグループ理事長の右腕である医師が上司で、その医師と大学教授や有名な医師、理事長からの指示で会う医師などが多くなり、「失礼のないようにしなくては」、「グループがいかに素晴らしいかを伝えなくては」と考え、なんならグループを代表して伝えているくらいの役割だとも勝手に感じていました。

程なく、自部署にも何名か部下が増え、その役割や重要さ、必要な知識や技量など多くのことを教え、世代交代を視野に入れられるくらいの規模になってきたところで問題が出てきました。

上司から引き継ぎ、私が大切にしてきた医師採用の理念というか信念というか、そのプライドを壊すような言動を一部の部下がするようになりました。

紹介会社からの医師紹介時には、グループ全体を把握している自部署が主導でグループ病院へ誘導し、その医師にとって最適だと思われる病院へ誘導する。
担当者とはきちんと会話をし信頼関係を築いて、他ではなく自グループへ良い医師を優先してご紹介いただく。
面接には必ず立会い、事務長・院長のサポート、医師採用の立場から病院やグループに貢献していく。
グループ内医師とも積極的に交流し、本部として信頼関係を築き、その医師の知人友人を安心して紹介いただける関係性を築く。
他のグループが自グループを羨ましく思うほど、また、理事長が他の組織から称賛されるような医師に関した取り組みを実践していくこと。

こんな想いに共感してくれていると信じて共にやってきたつもりでした…

「その医師なら〇〇病院が募集しているので直接かけてみてください」
「いや〜その募集はわからないので、各病院に問い合わせてもらえますか」
「特別来なくてもいいと言われたので面接に行きませんでした〜」

グループ内医師にも自分から関わることをせず、何度その必要性や部門の目指すべきこと、果たすべき役割を説いても、その言動に現れることがありませんでした。

痺れを切らしたのは私のすぐ下の部下で、この部署の役割を私の次に理解して実践してくれている部下Aです。
ことあるごとにAの部下に指導をしてくれていたのですが、ある時バチバチとケンカのようになってしまいます。
私は言い争いをおさめつつ、Aが言っていることが正しいのでその部下に改めて私からも丁寧に指導しました。

しかし理解してもらえず、「2人(私とA)のような行動は自分にはできない」と言って、グループを退職していきました。

その後グループ内異動で補充されてきた職員を教えては辞め、教えては異動を繰り返し、中々定着しませんでした。
今思うと厳しすぎたのかもしれません。

ただ私の上司の2人はいつも私とAの味方でした。
この意識がグループを昇華させていくのだと考えてくれて、本部の部長たちも後押しをしてくれていました。

私が異動してきて早5年が経過し、グループ内でも当部署の存在感が増してきた頃にまた大きな問題にぶつかりました。

期待と幻滅

先述の通り、私はグループに対して帰属意識と愛社精神を持っており、誰にも負けないと豪語できるほどでした。
グループが益々成長し、他と比べて負けることのない組織になれるように努力していきたいと常日頃から思っておりました。

実際に、年間50名以上の採用面接、医師同士の技術研修会の企画運営、グループ代表として大学教授への定期訪問、診療科ごとのグループ全体のカンファレンス、研修医の採用、研修医の研究発表会の運営…などなど、非常に多くの医師に関わり携わらせて頂きました。
これほど様々なことに関わらせて頂くことは普通あり得ないレベルだと感じておりますし感謝もしています。また他のどのグループでも同じ経験を一人の事務が担当することはできないだろうという自負と、それだけ経験してきたという自信も持っていました。
恐らく私は将来、グループ幹部への道もあったのではないかと思います。

が、そんな期待は、ある出来事で私がグループ全体に幻滅し失望したため儚くも破れ、愛社精神に溢れていた私にグループを去る決断をさせました。


再び、部下の言動問題が勃発していました。
その部下は指導されるAに対して、言い方が悪い等と揚げ足をとって反発し、その反抗が部署内の清掃活動のボイコットや本部内の活動など、あらゆるところに影響させてしまい、つまり「態度が悪い」部下になっていました。

仕事に対してはそこそこやるが粗い感じで、そこを指摘されていました。
ただ明らかに態度が悪くなりすぎていて、私の上司も頭を悩ませていました。

そんな態度ですので、何かきっかけにまたAと喧嘩になってしまいました。
その後、私やその上司も飛び越えて、人事部長に「こんな部署にいたくないので異動させてくれ」と直談判しに行くという非常識な行動も取りました。
私は自分の上司も飛び越えたことに怒りましたが、本人は気にも止めません。

ある時人事部長に私が呼ばれ、事の経緯を聴取されました。
Aの言い方が悪いと言っているが、何度指導しても直さず、逆に反発している部下の問題だと思うと告げました。
その後、この騒動の結末を聞く事になりましたが、その結果は驚くべきものでした。

上司「Aを来年度から異動させることになった」

私は言いました。
「なぜAが異動なんですか?もし言動を咎められるのであれば、その上司に当たる私の責任ですから私を飛ばしてください!!」
「T事務長(上司)もAが悪くないことはわかっていますよね?それでAだけ異動は納得できません!!」

グループにとっては自部署が非常に重要なポジションであり、手前味噌ですが、私とAはこの部署にいなくてはならないキーマンでした。
志高く仕事をしている人間が、適当に仕事をしている部下に怒ったからと異動させられなくてはならないのか。
我々はグループにとっても必要とされている人間ではないのか。
そんな思いしか浮かんできませんでした。

当時の私は怒りに任せて、納得できない旨をA4用紙5枚にまとめて上司に突きつけました。
そして心のどこかで、グループの理事長、本部幹部、各病院の院長、何より自分の上司が私たちの存在を守ってくれると信じていました

数日して直属の上司に呼ばれ言われたことは、
「予定通り、Aを異動させる」ということでした。
人事部が決めたことだから仕方ないと言われました。

それなら私が人事部長に直談判してきますと伝えたところ、上司は私にこう言いました。

「人事部に反発することは天に向かって唾を吐くことと同じだ。何も変わらない。△△(私)さんはもっと自分の保身を図ったほうがいい。」


私は耳を疑いました。
まさかこんな言われ方をするとは思ってもみませんでした。
正直ショックでした。

私の口から出た言葉は色々とあった気がしますが、今となって覚えているのは「それなら辞める覚悟があるなら人事部にモノを言っても問題ないってことですね(怒)」とだけ。


数日後、同じく納得のいかないAは退職することを決めました。
その退職届を受けて、誰もAを引き止めることなく、私が信頼していてAの退職を止めてくれると期待していた理事長、本部幹部、直属の上司などは、沈黙のままAは退職となりました。

この出来事を機に私は悟りました。
「どれだけグループのためにと考え成果を出しても、何か不都合なことがあれば簡単に切り捨てられる、私たちは“駒”なんだな」と。

嘘偽りなく、私はこのグループを家族だと思って働いてきました。
嫌なことも辛いこともグループの為だと思って振り切ってきました。

まさに“長年の恋も冷める”とはこういうことだなと感じました。
この失望感で、私はその3ヶ月後にこのグループを去りました。

あれから7年・・・

あの頃の記憶は今思い出しても苦い感情が蘇ってきます。
それと合わせて、大きいグループの理論も冷静になると理解できてもきました。

しかし忘れられないのが「△△さんはもっと自分の保身を図ったほうがいい」という上司の言葉です。
テレビの世界でしかみたことないような縦社会にしかないと思っていたことが現実で起きるとは夢にも思わなかったですし、そんなテレビの世界の事でも「そんな縦社会はクソ喰らえ」だと思っていた私には耐え難いものでした。

この出来事があったおかげで、転職した先で事務長として経営をしたり、病院経営コンサルティングにも従事したりと、様々な経験につながったのではないかと今の自分であればポジティブに思えます。

過去を振り返った私の思い出話となってしまいました笑
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました!


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