2024年11月20日 指の怪我
久しぶりに、指先を切りました。
「ああ、これはやるな」と思ったら、その秒後に怪我をするのは私だけなのでしょうか。
作り置きおかずを作るために、
皮の硬い野菜を切っていたのです。
それは、夏の家庭菜園で収穫したとても小ぶりのなすです。
ぐんにゃりとまがって、Cに近い形になり、
手のひらに乗るくらいの
小さなナス。
綺麗な淡い紫色で、
ナスらしい濃い色のヘタもついていましたが、
長く、放置していたせいで、ひどく皮が分厚くなっていたのでした。
しっかり加熱調理をしないと食べられそうにありません。
スーパーで購入したナスと合わせて、調理することにしました。
最近、ナスの作り置きといえば、もっぱらこちらのレシピです。
ナスを細く切って、みりんで蒸して、梅肉であえる料理です。
作業工程が、
①ナスを細切りにする
②みりんを入れたフライパンでナスを蒸し焼きにする
③調味料であえる
という、3ステップなのに
ちゃんとした味がして、ご飯にとても合うので、
繰り返し作っています。
ここでいうちゃんとした味というのは、
手の込んだ料理のような、繊細で複雑な味、ということです。
ナスがお嫌いでなければ、おすすめです。
この作り置き料理は、
先ほどあげたようにひどく簡単な工程ですから、
やる気のない時、疲れた時にも取り組みやすいのです。
ですから、この料理で、指先を切ってしまうとは思いませんでした。
考え事をしていた、
注意が散漫だった、もちろんそうであったかもしれません。
「ナスの触り心地は、イルカに似ている、
特にこういう皮の厚い、美味しくなさそうなナスは」と思っていたような気がします。
皮の厚いなすは、包丁の刃が入りにくく、
力を込めた時に、それて、左の人差し指を切ってしまいました。
すっぱりと皮が切れた感触があります。
そして、痛い!
ピリッとする感覚があって、
その後、鮮血が滲んできました。
目が覚めるような鮮血です。
包丁とナスははたまずおいて、指を眺めると、
鮮血の向こうに、一文字の線が見えます。
これは良くない。
軽く止血をして、キズパワーパッドをはりました。
キズパワーパッドの向こうには血が滲んでいるようです。
そして、久しぶりの切り傷は
思った以上に痛みます。
「そうだった、切り傷は痛いのだ」と至極当たり前のことに思い至り、
そういえば、指を切るのは久しぶりでした。
長く人間をやっていても、
毎日切り傷が増えるような人生は送っていないので、
久しぶりで、突然のケガには動揺します。
そして、日頃、
怪我がなく、大病もせずいることが、
どれだけありがたいことか、ということに気づきます。
指をちょっと動かすと、ぴりりとします。
いつもなら、人差し指を使うところ、そっと指を空かせている自分に気がつきます。
ものを支える時、
髪を整える時、
基礎化粧品を顔につける時、
洗顔する時、
キズパワーパッドをつけた指は自分の指であって、
自分の指でないような気がします。
そのツルツルとした感触だけではななく、
少しばかり水分を含んで、膨らみ、
濁った肌色になるパッドを
どこまで信用すれば良いのか、ということなのかもしれません。
昔の絆創膏を貼った感覚とは異なります。
絆創膏はものが肌に当たっている感じがします。
キズパワーパッドは、肌が分厚くなったような感じです。
分厚い肌のこちら側は、無傷なのに、
向こう側はパックリと傷口が開いていて、痛みがあり、そのギャップが、頭を混乱させるのかもしれません。
刃物で綺麗に切れたので、キズパワーパッドを、貼って、うまくくっつけば、早く治るはずなのですが、
道具は進化しても、
人間の方がそれに追いついていないようで、
どうも、傷が気になるのです。
仕組みを納得していないところがありました。
翌日、清潔なものに変えようと、キズパワーパッドを剥がしたら、
あっという間に、傷口は開き、
鮮血は溢れ出ました。
私の血は、真紅ではなく、朱色のように見えます。
それは、私の肌の色のせいかもしれません。
急いで、血をぬぐい、キズパワーパッドを、取り替えて、
しばらく、止血をすることにしました。
昨日の止血が甘かったようや感じがあったからです。
止血をするには、心臓より高い位置において、
しばらく、傷口を抑えるのが良いとのことでした。この時、電車で移動中で、座っていました。
座っている状態の心臓より、指を上げるということは、顔の前から頭にかけての高さに、人差し指をあげることになります。
そして、止血をするのですから、その人差し指を反対の手で抑えなくてはならないのです。
というわけで、いい歳の大人が、印を結んだ指をを高く掲げて、座っているという、
大変奇妙な状況を作り出してしまいました。
一度開いた傷はひどく痛んだので、
止血を、しっかりする必要がある、と感じて、
容赦なく、指を押さえました。
また、かなり、真剣な面持ちだったことを、ご報告せねばなりません。
おそらく、あの様子に乗り合わせた人々は、
とても奇妙に感じたでしょう。
それでも、電車に乗り込んで、興奮気味に日本観光を楽しんでいる外国人観光客に見つからなかったのは幸運だったと思います。
日本の謎をひとつ増やしてしまうところでした。
その時は、必死だったのですが、
こうして思い返すと、ひどく滑稽な出来事でした。
人生というのは案外、そういうふざけたものなのかもしれません。
ただ、中に自分がいるときは、そのことに気づかないだけで…。