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創作SF 「名前の無い店」


「人の作ったおにぎりなんて食べたことない」と、1人が言う。
つるりとした卵形の顔で、短めの髪型だ。顔にかかる前髪は、波打つようにセットされている。特徴らしい特徴はそれ以外なく、ただ整っているという印象だ。
「おにぎりは、作ったではなく、握る、握ったというのが正しいと思う」とその隣のもう1人がいう。
こちらも同様に、特徴らしい特徴が見当たらない、すんなりとした顔である。ただ、髪はもう少し長い。
「そういう話ではない。人の作ったおにぎりを食べるのは初めてだって言う、感想。おにぎりについての動詞の話ではない」
「うるさいなぁ…。ほら。出来上がるところだ」
二人の目の前には、木製のカウンターを挟んで、ふっくらとした手で、白米を握っている女性がいる。上背はさほどなく、灰色と白が混じり合った短めの髪に、白い三角巾を被り、白い割烹着を着用している。海苔をさっとおにぎりに巻きつけ、皿に置く。
そして、ボウルの水で手を濯ぐ。
右手で、左手の窪みに塩をひとつまみ置き、その後、しゃもじで、おひつの白米をよそい、左手に乗せる。しゃもじを、お櫃に戻し、右手をボウルの水で清めてから、そっと左手の白米に重ねる。手のひらに乗った白米に少し窪みを作り、具を乗せる。
具は、皿の上にある、種類の異なる赤いものである。
「あれは梅干しだ」
「あっちは鮭だね。焼いてある」
「昆布にしても良かったかもしれないが、まずは王道で行こうと思ってね」
「昆布も王道に入るだろう。そういう意味で言うと、ツナマヨを…」
カウンター越しに立つ女性は、2人の会話が聞こえていないかのように、具の上に少しだけ白米を乗せて、軽く握り、海苔を巻きつけた。淡々としたその動きに、2人は会話を止めて見入る。飽きず、その所作を眺める。
おにぎりは2つずつ皿に乗せられ、2人の前に供された。
さらに2人の前には、汁物の入った椀が置かれる。
「ああ、豚汁だ」
「おにぎりには豚汁に限る」
おにぎりを握っていた女性はふんわりと笑って、軽く会釈をする。それを合図に、2人は食事を始めた。一口食べてはうなり、二口食べては顔を見合わせて、あれやこれやと語らう。
最後に、椀に入った汁物を飲み干し、ほうっと息をつく。
「おにぎりはうまいなぁ」
「やっぱり、米だなぁ」
「人が握るからうまいんだよなぁ」
「ふるさとの味だ」

しばらくすると、2人は椅子から立ち上がり、扉の前で振り返る。三角巾の女性はまたふんわり笑って頭を下げた。
扉近かなりの桁の数字、6桁以上の数字が扉近くの壁に点灯する。2人はそれを目線だけで確認し、至極当然といった感じで、店を出て行った。
店の扉が閉まるや否や、店内は真っ白な空間に変わる。先ほどまであったカウンターや椅子は壁や床と同化してしまった。家具の全ては真っ白な空間の一部が盛り上がってできていたものだったのだ。
そしてその上に質感や映像を投写されていたものであったらしい。
今、白い空間の中には、部屋同様に白い人形の機体がひとつと、その横で気だるそうに壁にもたれて、座っている少女と男が残された。
少女は黒髪をツインテールにしており、手のひらに乗るサイズの長方形の箱から出たストローのようなものを吸っている。少女の表情には、野生味のようなものがあり、先ほどまでいた客たちにあった画一化された穏やかさは微塵もなかった。
隣に座る男は少女より年上で、やせて、鼠色の開襟シャツと同色同素材のズボンを身にまとっていた。髪が目元まで伸びており、無精髭が生えている。目は落ち窪んでいて顔色はすぐれない。こちらも先ほどまでの客が決して持ちえないだろうすすけた雰囲気を纏っている。
「どうだった?仕事、やれそう?」と少女は左隣に座る男に尋ねる。
「さっき料理をしていたのは、これっすか」と男は自らの左に立つ機体を指す。
機体と言えば聞こえはいいが、白い柱に白い丸いボールが乗っていて、白い機械製のアームがついてるだけだ。
「そうだね。彼らの要望は、「1990年代ごろまでによく見られた、ステレオタイプの外見や所作をしている、ある年齢以上の女性に作ってもらったおにぎりを食べたい」というものだったから、それに相応しい外見と動きをしてもらった」
「今はただの白い機体ですけど」
男は機体を眺めるために首を伸ばす。
「客の要望に合わせて、外観は変わるからね。老若男女…今の世界には存在しないようなステレオタイプな外見を要求されることが多いから、その都度変えているんだ。今回はまあ、簡単な方でよかったよ。実在した人物を要求されたわけじゃない。イメージだから簡単だった」
「…この機体、料理ができるんすね」
「料理?」少女がバカにしたように笑った。
「そんなものできるわけないだろう」
「でも、おにぎりと豚汁を出してたでしょう。さっきの。出すだけじゃなくて、作ってました」
男はおにぎりを握る仕草をしてみせる。少女は、軽くかぶりをふった。
「現世界で料理をするということは、飢えるより難しい。あれはままごとだ。そもそも、料理のやり方を知っているやつもほとんどいないし、材料もそう簡単に手が入るわけではない。精製されたものを、さらに精製して、食べるのはエネルギーの無駄だ。食べられるものをそのまま出したのを、それらしく見せただけだよ」
「…うまいっていってましたけどね」
「…笑わすな。あいつらは偉そうに知ったかぶりをしていただけだ。あれは、米ではないし、中に入っていたものも、梅を塩漬けにした梅干しというものではないし、鮭という魚を焼いたものではない。」
少女は、手を振って、壁におにぎりの映像を出す。
「どれも入手不可能だ。アレは、合成炭水化物に、赤い着色料を合成食物繊維や合成タンパク質につけた紛い物を入れたものだ豚汁に至っては、お湯に色がついているだけだな。そもそもあいつらがおにぎりと豚汁を食べた経験などないんだよ」
少女はまくしたてて、ふっと、目を細める。笑っているのかもしれない。
「梅干しっていうのはなぁ、酸っぱいらしい。標準値以上に塩辛く酸っぱい。それを知ってるのはそのデータに不法にアクセスしてるからだ。実際に口にしたことはない。あいつらだってそう、昔の映画だとか、ドラマ、アニメを見て、そう言う食べ物があるとしっているだけだ。実際に体験したわけじゃない。だから、ここで出すのも大体それっぽかったらいいんだよ。違いがわかるわけない」
少女は、偉そうに言ったままひっくり返ったが、部屋は自動的に背もたれを繰り出し、少女の姿勢を元の座位に近く戻す。
「なんで…おにぎりと豚汁なんですかねぇ…」
男は何故か噛み締めるようにいう。
「妙な感傷はいらない。食べた思い出があるってことはほとんどあり得ないから」
「そういうもんですか」
「そういうものだな。ここにくる客のほとんどに実際の料理を口にした経験はない。だから、憧れかな。おにぎりと豚汁が出てくる何かを見たんだろう。それか遺伝子検査でもして、おにぎりと豚汁の文化がある人種の遺伝子が自分に存在することが分かったんじゃないかな。最近流行りだろう。自分がどんな文化の末裔か調べるの。それに伴って、自分のご先祖が食べたものを食べるというのが流行り出したのかもしれない。」
少女は呆れたような、面白がるような口調で言う。
「食べたことないものをありがたがって食べるのに、そんな理由がいるんですか」
「脱法スレスレで、わざわざ高い金を払って食事をするんだ。しかし、その通りの食材も調理法も失われている。だとしたらせめて、そこには、ストーリーがいるだろう。うまいと感じるための物語が」
「そんなもんですかねぇ」
「古き良き時代に対する憧れは強い。だから金になる。それだけだよ」
「古き良き時代の頃だって、回る寿司は人間じゃなくて機械が握ってましたけどね」
男はため息をつきつつ、そういって、天井を見上げた。
「…。ああ、そうだった、忘れていたよ。君はおにぎりも豚汁も寿司も食べたことある人間だったな。人間と機械じゃ、味が違うのか?」
「まあ…そうだと思ってましたけど、今になるとわかんねえっすね。食感とか、口の中での崩れ方とかが違う気はするんですけどね」
「それは味ではなくて、構造上の違いというものでは?」
「料理は構造の違いが味の違いにつながるんですよ…多分」
少女は男の言葉に初めて皮肉っぽさのない驚きの表情を浮かべた。
男はその表情に少し動揺したように目を泳がせる。
「料理に建築的な要素があるというのは初めて知ったよ。君はこの仕事に適任だ。君の仕事は客からのオーダーに応えて、店の内装と食事をそれっぽく用意して提供することだ。必要に応じては、接客もだな。これまでは、データにアクセスしてなんとかやってきたけど、段々色んなジャンルのオーダーが来てて困っていた。経験がある君がいると助かる」
少女はきっぱりと言い切った。
「食べたことないものも多いですけど」
男はぼそぼそと言う。
「いいんだ。私よりはずっと食事の経験と知識がある。もしかしたら料理の経験もあるのか?」
「目玉焼きくらいなら」
「物騒な名前だが、たしかたまご料理だったな、それは」
「そうです」
「料理名がそうやって出てくるんだから、万が一食べたことがなくても、データを探すのも容易だろう。これまでは、一回の営業のたびに、調べ物の山だったんだ。名称がまず馴染みがないからな。効率的な営業とは言えない」
「どうでしょうねぇ。そこまでの知識が俺にあるなんて思えませんけど」
少女はニヤニヤした後、サッと立ち上がった。手に持っていた長方形の箱をツルツルした素材の服のポケットにしまう。
「まあ良いじゃないか。行くところもないんだろうし、ここで働けば」
「…そうですね。でも未来には労働なんて、ないと思ってましたよ」
「労働の意味が、君と私とでは多分違うと思うな、多分。その説明は長くなりそうだから、また今度。それより、君が寝泊まりする場所を紹介しよう」
「ここに住み込みじゃないんですか」
「ここはこれから清掃作業だ。痕跡を消す必要がある。寝泊まりはできない」
少女は扉を開けて、一歩足を踏み出した。そして楽しげにいう。
「その後、横流しの廃棄寸前パウチか何かで一杯やろう」
男は少女に続いて、外へ出ようとして、完全に白い部屋を振り返った。
「この店の名前は何ですか?」
「名前なんてない」
「それは不便だ。呼びにくいっすね」
「だって呼ばれないからね」
少女は当然のようにいう。
男が「呼ばれないのか」とひとりごちた。
扉は音もなく閉まった。
天井から、空っぽの部屋に、霧状の洗浄液が散布される。清掃用ロボットがその上をきっちりと走る。
棒立ちだった機体も壁の中に格納された。
しばらくすると、真っ白な部屋には、無音と暗闇が満ちた。


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