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【海士町】海士町を強さと優しさを両方持っている島だと思う公立塾の人

私は大学生の時に塾の先生をしたことがあって、アルバイトで。それは小学校の時に自分が通っていたいわゆる補習塾の、個人塾の教室だったんだけれど、家の近所だったんで先生とひさしぶりに再会して、栗林くんどう? 今暇? みたいなこと言われて、塾の先生、塾講師、アルバイトすることになったんだった。
家の1階をむりやり教室にしたような場所で、まあリビングみたいな場所だったんだけど要するに。奥にたぶんずっと使われていないアップライトのピアノがあって。
で、その教室の先生(女性)は、なんでも古物商を始めるんで忙しくなるんで私のお手伝いが欲しかった、と。ちょっと風変わりな人だったかな。青学出身で、学生時代にフランス留学していて、なんだろうね、自分の好きなものを中心に追いかける人だった、もしかしたら自分に影響をけっこう与えた人だったのかもしれない。
ともあれ中学生を教えることになりました。(補習塾ということもあり、教わること自体が苦手な子供が多くて、小学生だとまだ繊&細すぎるからね、ってことで私は中学生)。
高校受験する生徒のために、夏休み中、深夜のコンビニアルバイト明けの中、だいたい毎日、塾の鍵開けからやって、午前中、生徒に勉強教えてました。ルートとか、月の満ち欠けとかね。
まあ、それだけかな。楽しかったよ。楽しい毎日、夏休み。そして、子供と大人は、分けて考えちゃうけど、それは子供だって小さい人間だよって考えからだけれども、でもねあの子供時代の感受性というのは、子供の領分というものは、鋭く大切な特別なものだとも思う。大切な。
すべてが懐かしい。
と思う2024年4月19日9時9分に書く無名人インタビュー716回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

 今回ご参加いただいたのは たけうち さんです!

 年齢:40代後半
性別:乙女心を持ったオジサン
職業:人が育つ土をつくる人
facebook: https://www.facebook.com/okilearningcenter


現在:一つの物差しだと明確に序列がついちゃうんですけど、その1人ひとりの中にある面白い部分とか、ちょっと好きだなっていう部分を探したい

 ナカザワ:
たけうちさんは今何をされてる方でしょうか?
 
たけうち:
海士町の隠岐の國学習センターっていう、高校と連携した公立塾のセンター長をしてます。応募の際には「人が育つ土作りをしている人」と書かせてもらったんですけど、そんな自己認識で仕事をさせていただいてますね。

http://okilc.dozen.ed.jp/
※無名人イン旅ューin海士町でもお世話になりました。

ナカザワ:
普段は塾でどんな仕事をされてるんですか。
 
たけうち:
島前高校の生徒が120人ぐらい来てくれているので、その子たちの成長サポート、一緒に振り返りしたり、学びの場を作ったりしてます。
こないだ1年生とインスタライブを一緒にしたときに、普段何してるように見える?って聞いたら、なんか徘徊してますね、って言われて。夜生徒がいるときうろうろしていることが多かったりするんで、それを見て、徘徊って彼は表現したんだろうなと。
 
ナカザワ:
前提の質問になっちゃうんですけど、海士町の中には他に塾はないんですか。
 
たけうち:
高校生が通うような塾はないかなと思います。家庭教師されてる方がいらっしゃったりとか、そろばんがあったりだとかはするんですけど、いわゆる塾みたいなものはないです。
 
ナカザワ:
Facebookの投稿を拝見する限り、勉強以外のこともされているような印象なんですけど、実際子どもたちはここでどんなことを経験するんでしょうか。
 
たけうち:
説明がめちゃくちゃ難しいんですよね。
島前高校って本当に全国から生徒が集まってきて、半分ぐらいは島外の出身の子たちなんです。進路希望も学力も様々な子たちが1学年50~60人いたりするので、いろんな教科の勉強とか読み書き計算的なものは大事な前提ではあるものの、学びのきっかけっていろいろあるので彼らが島の中でいろいろ実践したりとか、その実践したものを一緒に振り返りながら経験から学んで成長していけるようにサポートしているところです。
面談しながら一緒に振り返りをしたりとか、こういうことやってみたいっていう子がいたらそれが得意な島の人と繋げたり、コーディネートしたりとか。場合によっては、伴走しながら一緒にイベントをやることもあります。
明確に時間割があるわけでもないので、日常は緩く生徒同士が主体的にいろんな企みをしてるような時間もありますね。

生徒会の生徒が打ち合わせしてたりとか。学校の、夢探究っていう探究の授業のチーム活動の打ち合わせとか、プレゼン準備をしてたりとか。でも、やるにあたってちょっとスタッフと相談しながら進めたいなような場合は相談に来てくれたりとか。
 
個別に授業的なものはあまりしてないんですけど、計画立てて、自分で進められるようにっていうサポートをしながら、テスト前とかはわかんないことがあったら質問にも答えたりしてますね。こないだは学校の先生と一緒に数学の予想問題をみんなで作ろうみたいな企画をしたんですけど。
わかりにくいですよね(笑)
 
ナカザワ:
確かに…。ちなみに、山の上に高校があって、ふもとに学習センターがあるっていう位置関係だと思うんですけど、一般的な塾とは建物の見た目とか中身は結構違うなと思ったんですけど、だれでも自由に入れるんですか。
 
たけうち:
そうですね、玄関に当たるところの土間は、24時間365日、施錠してなくて。高校生じゃなくても、月謝払ってなくても、どなたでも使っていただけるフリーのコワーキングスペースみたいな場所です。日中は高校生が学校に行ってるので、地域のいろんな方がミーティングされたりとか。最近だとオンラインで使われる場面もあって。夕方になるとそこに高校生が降りてくるので、偶発的に地域の人と高校生が混ざり合って、そこから何か生まれたりすることもあります。

ナカザワ:
たけうちさん自身は隠岐の國学習センターにどのくらいの期間関わってらっしゃるんですか。
 
たけうち:
5年前の令和元年、2019年の8月に移住してきて、当時は初代のセンター長がいたんですけど、3年前かな、2021年度からセンター長を引き継がせてもらって、今センター長3年目です。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。今の生活の中で、たけうちさんがお仕事以外で時間だったりお金だったり、使ってることは他にありますか。
  
たけうち:
なんだろうな。マラソンとかが好きなので、結構走ってますっていうのが一つ。あと、お金続く使い続けてきたのは、最近やってないですけど競馬ですね。
 
ナカザワ:
走るというのは、ランニングですか。
 
たけうち:
そうですね、ジョギングしながら。こないだ大阪マラソンに出ました。コロナの間はあんまり大会がなくて出れなかったんですけど、10年ぐらい何かいろんなシティマラソンに出続けてます。
 
ナカザワ:
競馬はどういう楽しみ方をしているんですか。
 
たけうち:
島に来ても今ネットで馬券が買えるので。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
移住前は関西に住んでたので、毎週のように行ってた時期もありました。大学時代のバイト先でみんな競馬やってて。あと小学校のときに大好きだったおじいちゃんが、土曜日とか日曜日にうちに遊びに来て3時ぐらいになると競馬の中継を楽しそうに見てるっていうのが競馬に対する一番古い記憶だったりするんですけど。

でも最近は馬券買わなくても楽しくて。競馬新聞見ながらどの馬が強そうかみたいなのを予想するじゃないですか。
みんながこの馬強いよねっていう馬がそのまま勝ったらあんまり配当はよくないんですけど、「この馬今までの成績は良くないけど、こういう条件でこうなったら能力が開花するんじゃないか」っていうのを考えて、本当にその馬が頑張ってくれるとすごくお金が増える、みたいな。そういう意味では、競馬と教育を結びつけるとかすごい怒られそうなんだけど、他の人が気づいていない良さとか、可能性を引き出すっていうところが繋がってるんじゃないかっていうのを自分の中では力説してるんですけど。ただのギャンブル好きでしょみたいな感じで言われます。
 
ナカザワ:
他の人が気づいてない可能性っていうのはどうやって感じるんですか。
 
たけうち:
ロジカルな部分では、競馬新聞に載ってる前走の成績とかタイムとか見ながら。この競馬場だと走るよね、みたいな部分と、あとは実際の馬を見ながらの雰囲気、こいつやる気ありそうとか。そこを、何て言うかな、右脳と左脳を混ぜているような気がします。
わかんないですけどね、あんまりね。全然勝ってないですし。
 
ナカザワ:
生徒さんを見るときもそういうのもあるんですか。
 
たけうち:
学習センターというか、この島で教育をやってみたいなって思ったきっかけもそうなんですけど、いわゆる勉強とかって評価の基準がすごくシンプルじゃないですか。テストの点数とか。
でもやっぱり、いろんな物差しがある。評価しようとは思ってないんですけど、勉強は駄目だけど魚釣らせたらこいつすごいよなとか、そういうことがある。一つの物差しだと明確に序列がついちゃうんですけど、その1人ひとりの中にある面白い部分とか、ちょっと好きだなっていう部分を探したいな、という感覚を持ってるかもしれないなと思いますね。
 
ナカザワ:
探したい、なるほど。今の生活の中ではどういう配分で過ごされてますか。
 
たけうち:
今年はものすごい仕事の配分が多いなという感じですけど、オーソドックスな1日でいうと、学習センターって夜10時まで生徒がいるので、いわゆる勤務時間は13~22時。だから朝起きてシャワー浴びて、8時からランニングして、お昼ご飯食べて出勤して22時まで仕事して。
今冬なので何もやってないんですけど、家の前の3坪ぐらいの土地を勝手に耕して畑にしてるんですよ。朝起きて縁側から三歩出たら畑、窓の先には畑が見えてるっていう土地なので、そろそろ夏野菜を植えようかなとか、素人ながらに楽しんでます。
 
ナカザワ:
午前中は自分の時間もあるんですね。
 
たけうち:
そうですね。ただ最近それが打ち合わせとか仕事で埋まってきて、QOLが下がってますね。
 
ナカザワ:
忙しいっていうのはそういうイレギュラーなことが多いっていうイメージなんですか。
 
たけうち:
魅力化構想っていうのがあって、今年はチーム全体で次の5年の構想を作る年なんですよ。
チーム内だけで作るんじゃなくていろんな学校の先生とか、教育に携わる人とか、それ以外の行政の人とも対話を繰り返しながら作っていくプロセスを経てるので、打ち合わせだったり、学校の授業の様子を見に行ったりとかっていうのもある。コアタイム以外に週3回ぐらいは午前中も何かあるなみたいな感じに最近はなってる感じですね。  

過去:子どもをどう育てるかの前に、どういう環境の中で子どもが育っていくのかっていうことの方が大事じゃないかなって視野がちょっと広がったんですね。

 ナカザワ:
たけうちさんは移住されて海士町に来たっていうことで、Iターンっていう形になるんですが、もともとはどちらからいらっしゃったんでしょうか。
 
たけうち:
兵庫県の西宮出身で、大学卒業するまでは西宮ですね。普通に西宮で生まれて、小学校入る前、幼稚園のときだから、3歳か4歳ぐらいのときに1回引っ越して、そこで中学受験して、高校まで行って。
高三のセンター試験を受けて自己採点した翌日が阪神大震災だったんですよね。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
チャリで神戸の高校に内申書取りに行ったんですよね。まあでもセンター試験ボロボロだったので、いい言い訳ができたなぐらいの感じで、1年予備校で浪人して大学入って。
一浪して志望校には入れたんですけど、全然大学行かなくなって、で6年かかって必死で卒業して、就職して。その後は、全国転勤がある会社だったので、九州、福岡、沖縄で大阪に1回戻ってきて三重に行って、海士町に。ざっくり言うとそんな感じです。
 
ナカザワ:
たけうちさんは小さい頃はどんなお子さんでしたか。
 
たけうち:
小学校ぐらいまでは運動神経が良くなかったのがコンプレックスだったな、というのはありましたね。逆上がりできないとか、50m走が10秒を切れないとか、そういうのはあったなって思いますね。
でも3人兄弟の長男だったから親が結構厳しくて、門限が早いとか。見たいテレビがあっても見せてもらえないとか、早く寝なさいとか言われて、学校で話題について行けないとかっていうのはありましたね。とはいえめっちゃいじめられたとかはなく、それなりに友達もいて楽しくはしてたんですけど、なんか根っこのところでその辺のコンプレックスとか、人と違うさみしさみたいなのは残ってるかもしれないですね。
 
ナカザワ:
そういった思いは何歳ぐらいのときから感じてたんですか。
 
たけうち:
幼稚園ぐらいまではそういうのはなかったと思うんですけど、小学校2年生とかそれぐらいぐらいはちょっとあったかな。
小学校が全然楽しくなかったとかっていう感じじゃないんですけど、でもみんながまだ野原で野球してるのに、うちだけ5時に家に帰ってきなさいって言われて1人帰らないといけないみたいな記憶は小学校1、2年生ぐらいのときの記憶としては覚えてますね。
 
ナカザワ:
その記憶は何歳ぐらいまでありますか。
 
たけうち:
結構引っ張ってた気がする。高校とかもそんな感じで、いちいち親の承認を得ているみたいなのはあったなと思って。
他の子は結構みんな買ってもらって持ってるのにうちだけないものが結構あったんですよね。小学校のとき、ファミコンとか、ビデオとかがなくて。だからそこの引け目を感じてて。中学高校になるとなんかさすがにそこまでガチガチに管理されていたわけではなかったですけど、とはいえいろいろ親に確認してるっていうマインドは残っていて。
浪人したタイミングぐらいから、だいぶ自分の意思を持って開拓していった感はあるかもしれないなと。朝まで飲んで帰りませんとか。ようやくその辺から、自分でバイトも始めてお金も何とかして、自分で判断して、自分で好きなように生きていくようになった気がしますね。
 
ナカザワ:
その自分で判断してっていうのは、最初はどんなきっかけでできるようになったんですか。
 
たけうち:
でもそれも親に相談したんだろうなって。あんまりちゃんと覚えてないですけど、予備校の友達と飲み会に行くことを、親がOKしてくれたっていうのは大きかった気がするな。
それは、嬉しかったって感情じゃないけど、行っていいんだ、許してもらえるんだみたいな、大きな記憶として残ってますね。
中高男子校だったので、大学入ると予備校の友達と合コンに明け暮れていて。実家から大学通ってたんですけど、今日はオールでカラオケ行くから帰りません、とかを徐々に開拓していって。そういうのは何となく覚えてますね。
 
ナカザワ:
それまで許可してくれないだろうな、みたいな思いがあったんですか。
 
たけうち:
明確に、やりたかったのに親にさせてもらえなかったことはあんまり記憶はないんですよ。小学校時代、もうちょっと遅くまで遊びたいのにな、みたいなのは覚えてるんですけど、中高はそうではなかったんですけど、本当はあったけど諦めてやってなかったことももしかしてあったかもしれないなと。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
自分の中で、もうちょっといろいろチャレンジしたりとか、冒険しておけばよかったな、ということは今はあるけど、当時はそれが当たり前と思って暮らしてたので。だから自分もその中でちっちゃく生きてた。
予備校とか入るとまた変わるじゃないですか。接する友達とか仲間とか。その中で、ちょっとずつ広がっていったっていう感じかなと思いましたね、今聞かれて。
 
ナカザワ:
ちなみに浪人するという選択肢は、ご自身としては特別なことでしたか。
 
たけうち:
一応、中学受験していわゆる進学校的な中高一貫の男子校に行ってたので、95%ぐらい大学に行くから、進路で悩むっていう感じじゃなかったんですよ。それしかないよねって。他の選択肢は見えてなかったっていうか、レールに乗ってたから浪人するのは当然で、むしろ、予備校どこにする?ぐらいの感覚でした。
 
ナカザワ:
それで、浪人して大学に入って。さっきはあんまり大学行かなくなったという話だったんですけど、なぜですか。
 
たけうち:
英語が苦手で足を引っ張られ続けてた感じがあって、大学行ったらそれがないかなと思ったら、外国語、ついてくるじゃないですか。一般教養で。
第2外国語で中国語が増えたので予習復習が苦痛で。器用にノートを借りたりとかもできなかったのと、ゴールデンウィーク前ぐらいにバイトを始めて、ちょうど大学内でのツテとか繋がりができるはずのタイミングで、バイトが楽しすぎてバイトに明け暮れてたんですよね。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
6月ぐらいに久しぶりにクラスのみんなと会ってみると、人間関係の様相がちょっと変わってて。あれ、ここに俺の居場所はないかもしれない、と思ったこともあって。バイトと学外のサークルっていう二つにのめり込んでいって、そっちが楽しすぎて、気がついたら全然行かなくなっていました。
 
ナカザワ:
バイトは何をされてたんですか。
 
たけうち:
ベーカリーレストランのキッチンスタッフで。5年半ぐらいやったかな。
 
ナカザワ:
ずっと同じところですか。
 
たけうち:
そうですね。
 
ナカザワ:
なぜこのバイト始めたんですか。
 
たけうち:
何でだろう。ただ稼ぎたいとかじゃなくて、バイトすることでスキルを身につけたいのがあったかなって。料理は好きだったわけじゃないけど、料理できるとかっこいいですし。

ナカザワ:
バイトは何が楽しかったですか。
 
たけうち:
オープンキッチンで土日とか死ぬほど忙しかったんですけど、その中で自分の持ち場で、通ったオーダーをさばいていく。ピザ焼く場所とか、パスタ作るスペースとか分かれて、ハンバーグとかステーキは社員が焼くみたいな。
シェフにあたるような人がオーダーを読み上げていくんですけど、同じテーブルで頼まれたものはなるべく同時に出したいじゃないですか。だから暇なタイミングだったら、料理が上がる順番によって、この料理時間かかるから自分のところは時間差で、とか。連係プレーとかチームプレーですよね。
忙しくなってくるとそんな余裕ないからとりあえず出さないと、とはなるんですけど、チームプレーでやっていくっていうのもめちゃくちゃ楽しかったですね。
 
ナカザワ:
うんうん。
 
たけうち:
1年目のゴールデンウィークとかはオーダーが捌けずにパニックになって、みんなめっちゃ忙しいのにオープンキッチンで1人立たされて泣きそうな日もありましたけど、そのチームの中に入って自分も戦力として回していけてる、っていうことは楽しかったなと思います。
 扶養を抜けそうになるぐらいまで働いてましたから。
 
ナカザワ:
やってらっしゃったっていうサークルはどんなサークルだったんですか。
 
たけうち:
サークルは、キャンプ場のボランティアリーダーですね。海のキャンプ場に夏の間常駐して、カヌーとかヨットとかキャンプファイヤーみたいなプログラムをスタッフと一緒に安全に円滑に回すためのリーダーやってました。
 
ナカザワ:
キャンプは好きだったんですか。
 
たけうち:
キャンプは別に特別やってたっていうわけではなかったんですけど、小学校5年生のときに自然の家みたいなところに行って、泊りがけで1泊2日でオリエンテーリングしたりとか、キャンプファイヤーしたりとかっていうのがすごく楽しかった記憶がありますね。
キャンプに惹かれたっていうより、いろんな大学のメンバーが入って、ボランティアリーダーでヨットに乗れるみたいな。そういうところに惹かれて説明会に行って新歓コンパで酒飲まされて気がついたら引きずり込まれ、交通費出してあげれるから新歓のキャンプ行ってみようよっていうので遊びに行って。ボランティアでリーダーやっててヨット乗れるって美味しくない?みたいな、それぐらいでしたね。
 
ナカザワ:
いろんな大学が入っててっていうのは大事だったんでしょうかね。
 
たけうち:
結構大きかったですね。僕は浪人して大学に行ったんですけど、大学の中だけにいたら俺の大学ライフは楽しくないかもしれないっていう思いがあったかもしれないです。
今喋ってて気づきましたけど、バイトもサークルもあえて大学の中にとどまらずに外にっていうのを求めてた結果、大学に居場所がなくなって行かなくなったんだなって思いましたね。そっちを選んでるじゃん、みたいな。
 
ナカザワ:
忙しい中で大学にも通い、6年間で卒業でしたっけ。
 
たけうち:
そうですね。卒業させてもらったに近いんですけど。最後何か1個単位読み替えてもらって卒業させてもらった記憶ありますもんね。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
数年前までは、内定をもらったのに大学卒業できないっていう夢見てましたもんね。けっこう追い詰められてて。卒業できなかったらいつ内定もらった会社に電話するんだろうみたいな感じだったので、その夢を見てました。
 
ナカザワ:
その後、就職だと思うんですけど、どんな経緯でお仕事を選んでたんですか。
 
たけうち:
サークルでいろんな子どもたちと接してたことがきっかけになってて。そういう意味での教育に携わりたいなと思って、前の会社に入りました。いろいろ調べると、就活で教育のジャンルだと、やっぱり塾講師とかになるんですよね。
浪人して予備校は楽しかったですけど、結局大学に行っても、え?みたいな感じの大学生活になっちゃったから、学歴志向で勉強を教えるっていう教育にあんまり興味がなくて

いろいろ探していったときに、前の会社は自分がやってたわけじゃなかったんですけど、そんなに受験受験してる感じじゃないと思って、説明会行ってみて、仕事の内容よりも、説明会で話聞く会社の人がすごいいい人が多くて、この会社だったらいいんじゃないかな、と。行ったら最終で内定もらえたので、ここでいいかっていう感じで。内定もらった時点で他の就活も全部やめましたね。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
でも大学入ったとき、ちゃんと大学のサークルを回った時期もあって。大学生協の新入生歓迎会とかで、一緒のグループなった先輩が落研の人で、落研に強烈に誘われたんですけど、あのとき落研とかに入ってたら、多分全然違う人生になってたんだろうなと思いますね。
一部上場企業とかでスーツ着てバリバリ働いてたパラレルワールドもあるかもしれない。
 大学で何を学んだかとかは1ミリも影響してないですね。教育分野に入ってから、真面目にやっとけば発達心理学とか取れたのになと思ったことはありますけどね。
 
ナカザワ:
大学の学部では何の勉強をされていたんですか。
 
たけうち:
人間科学部で、社会系と、発達系、心理学と、ボランティア人間科学っていうのがあって、2年時の後半ぐらいから三つ専攻がわかれるんですよね。その中で自分は社会学を専攻してた。勉強はしなかったけど。
 
ナカザワ:
前職で働いてから今の仕事に至るのはどんな経緯だったんですか。
 
たけうち:
前の会社は、本当に個別最適の教育を実践し続けてきていて、こっちが何か教えるっていうよりも生徒1人1人が自分のできることを主体的に学習しながら、能力を上げていくみたいな考え方だったんですね。
仕事は、間接営業みたいな感じで、担当のエリアを持って、フランチャイズの先生のサポートをしながら、普及していくのが主な業務みたいな感じなんですけど、初任地で担当させてもらった先生の教育に対する情熱とかが尋常じゃなくて。
1人1人の子どもたちが持ってる可能性の見出し方とか、もう圧倒的に信じきって愛情を持って接してる人がすごいたくさんいて、その先生たちから受けた影響が今の自分のコアになっているなって思ってるんです。

ナカザワ:
なるほど。

たけうち:
学年関係ないから小学校2年生の子が連立方程式を解いてることもあるんですよ。明確に覚えてるのは、新入社員とかってそんなできることも少ないから、キャンプリーダーやってて子どもを楽しませるのが得意なら教室でお楽しみ会やってよと言われて。それはもう得意なんで、役に立てるならばって喜んで行ったんですよ。
お楽しみ会が始まる直前は普通に勉強してたんですよ。小2の子が連立方程式解いてて、すごいなと思ったんですけど、難しくてわかんなかったのか途中で泣き始めて。先生はどうすんのかなと思ったら、「あんたはできるんだから、やりなさい」って言って怒り始めて、更にその子が号泣するみたいな。
挙句に当時60ぐらいの先生が小学校2年生の子に対して、「100点満点が取れる世界で泣くな」ってキレてて、はたから見たらすごいシーンだなと思うんですけど、最終的にやり切って100点取って、先生にハグされるぐらいの勢いで。良い表情をしてるのを見て、やっぱり自分は全然そこまで子どもの可能性を信じられてなかったなと。
ていうかこれからお楽しみ会しようっていうのにどんな空気にしてくれとんねんって思ってたんですけど。最初は。

そういう子たちって、僕のイメージでは周りの子たちを見下したりとかもあるのかなと思ってたんですけど、勉強の時間が終わってしまったら他の2年生と一緒になってすごい楽しみながらお楽しみ会も参加してくれて。
本当に個別にやっていくと、周りとの比較とかじゃなく、自分自身を認められるようになっていくんだな。小学校2年生に対してそこまで本気でそんなふうに接してくれる大人がいるってすごいな、と。
 
で、自分もそういうふうになりたいなと。いくつか直営の教室があるので、キャリアのどこかで自分で教室やれたらいいなっていうのをふわっと書いたら、1回目の異動でそれが叶って。福岡の直営の教室を入社3年目から6年ぐらいさせてもらったんですよ。
 
ナカザワ:
はい。
 
たけうち:
それもすごく大きな転機で、さっきお話したように、どっちかって言うと高校出るまでは親の顔色を伺いながら承認を求めてやっていくとか、そういう感じだったんですよ。
でも、当時28ぐらいですけど、自分が教室長になったときに、パートのスタッフさんが8人いるようなところで教室を任されると、全部自分で判断しないといけないじゃないですか。
明らかにさっきまでキャーキャー言ってた子が、ちょっと今日のプリントが難しいからお腹痛いって言っている、みたいな。
ウソつけ…って思うんですけど、でも万が一本当だったら?じゃあ帰す?帰さない?とかっていう判断を自分でしないといけない。
やっぱそこで正解とかそういうのなく自分でやっていくのがすごい大事なんだなっていうのも学んだし、いろんな親御さんと接する中で、嬉しい体験もしたし、やっぱり親御さんの影響ってすごい大きいよねみたいな体感があって。
 
6年そこでやった後に沖縄に転勤になったんですね。それまでもいろいろ担当してて、北九州の都市部の教室もあれば田舎の漁師町みたいなところだったりとか、沖縄行ったりとかっていう中で、教育にずっと携わってきたけど、子どもをどう育てるかの前に、どういう環境の中で子どもが育っていくのかっていうことの方が大事じゃないかなって視野がちょっと広がったんですね。それまでは子どもが好きっていうところでやってたのが、親御さんがどんな親御さんなのかとか、周りにどんな大人がいるのかっていう意識がめばえ初めて。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
たけうち:
沖縄も良かったんですよね。自然と調和していて、台風がきたら諦めるみたいな、人間が全部コントロールするんじゃない世界観がすごく良くて、いまだに1年に1回は帰りたい場所ですね。
 
どっちかっていうと、大学までは目標に向けて逆算して中学受験をして、とか、浪人のときも勉強して、自分の意思で未来を切り開きながら目標を叶えていくっていう生き方だったんです。でも自分で教室をやったときに、それまで子どもたちは大好きだったんですけど、こんなに世の中に自分の思い通りにならないものがあるんだっていう衝撃を受けた。子どもたちの前に完全敗北するんですよ。とはいえ何もしないわけではなく、相手も尊重しながら、自分のスタンスを崩さずに、自分にやり切れるところはやりきった上で、子どもの変化を願う、みたいな感覚をつけざるを得なくなって。
そこから、人事を尽くして天命を待つというスタンスになって。そんなこんなで、その後本社に転勤になって、ちょっと上司と全然合わなくなって、体調崩して休職寸前に追い込まれたんです。
そのときにご縁があって海士町に旅行で1回来ていて。
 
ナカザワ:
うんうん。
 
たけうち:
旅行で来たときに前のプロジェクトリーダーと、誘ってくれた後輩が知り合いだったので、港に着いた瞬間に旅行のはずだったのに学習センターに連れられ、案内してもらってプロジェクトのプレゼンを受けるみたいな。
そのときは移住を考えてなかったので3年間ぐらい、関係人口的にイベントがあったりしたらちょくちょく顔を出していて、海士町ってやっぱり面白い大人が多いし、この環境で教育ができるって面白そうだなと。
それでいろいろタイミングがあって、2018年の末ぐらいに移住しませんかって言われて。前の仕事を片付けて8月にこっちに来たんですよね。 

未来:コントロールできないものとの向き合い方を、自分も変容しながら磨いてきたので、同じプロセスを自分に対してもやっていくんだろうな

ナカザワ:
人生の中で、これは成し遂げたいという大きな夢だったり、ビジョンみたいなものはありますか。
 
たけうち:
自分が出会った人が、自分らしく幸せに生きられることに貢献できたらいいなっていうのがビジョンですかね。
 
ナカザワ:
短期的な目標としては、やりたいことはありますか。
 
たけうち:
どう表現していいかわからないんですけど、何となく、今の世界なのか日本なのか、漠然と将来に対する不安感があるじゃなあですか。自分もそうなんですけど。
海士町の「ないものはない」じゃないけど、あるものに目を向けていくと満たされてるはずなのに、将来の不安にとらわれながら、あんまり笑顔で生きられない状況がありそうだなと。課題を解決しようとそこを突破していく考え方も必要なんですけど、ちょっとしたきっかけで認識の仕方が変わることで、もう少し人は幸せに生きられるんじゃないかなっていう気がしていて。
今接してるのは主に高校生なんですけど、やっぱり彼らの感性はすごいんですよね。話す中で、自分自身が影響を受けてきてる教育観がちょっとアップデートされるっていうか。右肩上がりの成長とかじゃなくて、既にあるものを見た方がいいんじゃないかなって思っているので。
全然直近の目標じゃないんですけど。

ナカザワ:
いえいえ。

たけうち:
ただただ、1人ひとりを認めながら、こういうところ俺は好きだわ、とか、ここいいよね、と言い続けて、1人ひとりの生徒が自分のことを好きになったり、ちょっと認められていったら、一周まわってすごいことが起きるんじゃないかなと思うんですよね。
あんまり大きな目標があるわけではないですし、それをやり続けたらどうなるかとかも全然わからないんですけど、それをやり続けるとすごくいい感じになっていくんじゃないかっていう、根拠のない直感みたいなものがある。
その世界を見てみたいっていうか、ある意味実験してる感じに近いかもしれないですけど。その場その場で1人1人を認めながらいろいろやって。失敗したら、次どうしようか考えて、できたらハイタッチして。高校生と酒は飲めないんですけど、一緒になんかやって打ち上げをして、乾杯して、みたいな場面をいっぱい作っていけたらいいかなっていう感じですね。

結局チームで何かやって打ち上げやるのが好きなんだろうなと思います。レストランのバイトの話もそうですし。
 
ナカザワ:
なるほど。高校生を通して可能性だったりとか、いろんな人の成長とか変化とかに、向き合っていく。
 
たけうち:
そうですね。土を耕す人と言ったんですけど、耕すっていうよりもその土壌を作っていく人、と思っていて。土がしっかりしてたら、ほっといても育つじゃないですか、野菜って。
自分も畑をやってたりするんですけど。野菜をつくるときに野菜に直接アプローチするってないじゃないですか。
 
ナカザワ:
確かに。
 
たけうち:
土作りしたりとか、虫に食われたら虫を取り除くとか。何が野菜を大きくするかっていうと、野菜が自分で大きくなるわけで。そういうことをやっていきたいですね。
 
ナカザワ:
たけうちさんが思う、人が育つ土っていうのはどういうものですか。
 
たけうち:
いろんな要素はあると思うんですけど、圧倒的に自分の存在を肯定してくれるっていうか、受容される、認められる、みたいなものが何か大前提としてありそうだな。と思っていて。
根っこはそれしかないかもしれないですね。

いろんなタイミングとかきっかけがあるから、ちょっと1人では勇気が出ないっていうときに背中を押してくれるとか。失敗して落ち込んでるときに共感してくれるとか。いろんな寄り添い方のパターンはあるかもしれないですけど、そこは自分が全通りできるとも思ってないし、たとえばリーダータイプで引っ張っていく人とか、いろんなタイプの人がいることで、より多くの人の居場所ができる。
あんまり、「これだ」っても定めるよりは、それぞれの人がそれぞれらしく多様に繋がりながらいる方が、豊かな土壌になりそうだなとは思ってます。やっぱりその人の根っこのところを否定せずに受容し合うっていうことだったりとか、信頼し合うということが、一番底のところにはありそうな気がします。
 
ナカザワ:
そんな環境を作るためにこれからやりたいことや、これから作りたい環境はありますか。
 
たけうち:
明確に外にアクションしていきたいっていうのはあんまり出てこないんですけど、最近思ってるのは、いろんな生徒とか子どもたちと接する中で、出会った生徒に対しては、お前いいかげんにしろよって思う相手に対しても、愛を持って接するっていうか、嫌いにならない。それができるようになってきたなっていう感覚はあるんです。
でも、自分自身に対してそれができてるかっていうと、ちょっとやっぱり、違うんですよね。だからそれと同じように自分自身と関係性を築き直せると、自分のあり方が変わっていくんじゃないかな、という気がしていて。

いろいろ内面のことも勉強しながら自分自身のことは自分でコントロールできるって思ってたんですけど、自分の中にもいろんなペルソナがあって、全部コントロールはできないっていうことに気づきました。本当の意味でのセルフマネージメントといいますか。さっきお話したように、教室をやったときに、子どもをコントロールしようとしてうまくいかなかった敗北感と、同じ感覚で自分と付き合っていけるようになれたら、自分が何となく思い描いてる目指した世界が立ち現れてくるんじゃないかなという気がしています。
時間はかかるけど、学習センターを今後どう作っていくっていうか、みんなと一緒に実験しながら楽しんでいくのと同じ感じで、自分と向き合えるといいんじゃないかなと思ってますね。
 
ナカザワ:
それはどうしたらできるようになるんでしょうか。
 
たけうち:
15年ぐらい前、もう来年20年になるんですけど、教室を持たせてもらって、コントロールできないものとの向き合い方を、自分も変容しながら磨いてきたので、同じプロセスを自分に対してもやっていくんだろうなっていう感じですね。
自分の場合はいつまでにこうなりたいとかっていう期限を切るのはあまり得意じゃなき。とはいえ、やっぱり人口が減ってたりとか、地域のいろんな危機もあるのでそんなこと悠長に言ってらんないっていう未来が来るかもしれないんですけど、来たら来たときで必死に頑張るし、それが来ないためにできることは今からやりはじめる。自分は何かそういうスタンスで、やっていけるといいかなと思ってますね。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。たけうちさんにとって海士町っていうのはどんな場所ですか。
 
たけうち:
謎のエネルギーはあるなと思っていて。元々、世界に2個しかない海上カルデラがあって、その火山のエネルギーもあるかもしれないですし、エネルギーとか言うとスピリチュアルな感じになっていっちゃうんだけど、元々の風土として、後鳥羽上皇が流されてきたりとか、北前船の寄港地になってたりとか、歴史的に外のものを取り入れながら、進化していくっていうような風土があるんだろうなと。
でもめっちゃ不便じゃないですか。
個人的に今一番居心地がいいなと思ってるのは、人事を尽くして天命を待つ、じゃないですけど、全部人間がコントロールしをしてやろうっていう話でもなく、とはいえ全部しょうがないよねって諦めて小さくまとまっていくとかっていう感じでもないところ。
「ないものはない」とかにも現れると思うんですけど、ないけど、必要なものは全部ある。変な強がりとかじゃなく心の底からそう思ってる人が多いなっていう感じがあって。
何かそのしたたかさとか、なんていうんだろうな。全部が全部思い通りにしてやろうってなるとちょっと傲慢な感じがするんだけど、その気持ちはいい感じに手放していながら、でも卑屈になってどうせ田舎だからさ、とかっていう感じでもなく。強かに、自分たちで楽しみは作っていくっていうマインドがある。
そのバランスが自分にとって心地いいんだろうなと思うし、自分もそういう人になりたいなって感じさせてくれる場所ですね。
 
ある意味でいろんな人を受け入れてくれる懐の深さとか、優しさもあるんだけど、自然の環境とかそういうところでは、自立していかないと生きていけない厳しさみたいなのもある。強さと優しさを両方持っている島。 
良い意味で緊張感っていうか、自分もちょっと背筋が伸びるところもあったり、そういう風土からエネルギーをもらいながら、いろんなことをさせてもらってるなというふうに思います。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。途中でご自身でもおっしゃってたんですけど、大学で何に出会うかで、今の現在地も全然違ったんだろうなとは思うんですけど、こうだったらよかったのになとかもっとこうすればよかったなみたいな思いっていうのはあるんですか。
 
たけうち:
大きな人生の流れに関してはないですね。今ここにいるのが一番最適じゃないかなと。あのときあの子に告白しとけばどうなったかなみたいなちっちゃいのはあるんですけど(笑)
 
海士町に移住して学習センターで仕事をさせてもらってるっていう現在地までのプロセスに関しては、別のパターンを考えないことはないんですけど、そっちが良かったかなっていう感覚はないですね。
  
ナカザワ:
なるほど、ありがとうございます。 

あとがき

無名人イン旅ューin海士町番外編のようなたけうちさんインタビューでした。
こちらの企画で実際に海士町を訪れ、たけうちさんがセンター長を務めている学習センターにもお邪魔し、高校生インタビューを実施いたしました。そして、このインタビューは東京に戻ってから、通常の無名人インタビューとして実施したものです。
https://note.com/unknowninterview/m/m881e09801086
今回のインタビューで思い出したんですが、私、学習塾とか予備校とかに通ったことがなかったんです。
ちゃんと高校行って普通に勉強しているのに「受験するのに塾行かないの?」といわれることへの反骨精神と、あとは普通に決められたことをやらなきゃいけないのがめんどくさかったので、大学受験の時も、補修にフルで通いつめて、ほとんど話したことない先生に過去問の採点押しつけたりして、今考えるとめちゃくちゃ面倒くさい生徒でした。

「学習塾」というものに惹かれる気持ちは今も昔もないのですが、大人になってみて、そして、今回のインタビューもさせていただいて、高校生のときに家でも学校でもない居場所があるということはすごく価値があることだなと思いました。
特に学習センターは、試験の点数を上げることではなくて、あらゆる学ぶことの支援をすることが目的の施設。私が高校性のとき、そんな場所に出会えていたら、そもそも進路自体も変わっていたのかもしれないなと、あるはずのない「もし」を考えてしまいました。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

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