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【磐梯町】これからもここで仕事をしながら生活して老いて死んでいくのもいいのかなと思うくらい磐梯町が気に入ってる人

今回の磐梯町インタビュー企画のインタビュアーは、ゆいぴさんである。

「である」なんてふだんつかわない語調なんだけど、ついつい「である」とどっしり言いたくなるくらいの、インタビュー内容がこの磐梯町インタビュー企画になってるよな、なんて思う。手前みそになってしまうが。
なんだろう。当たり前の話をこれからするが、磐梯町を好きだという人たちを、磐梯町が好きなインタビュアーが話を聞いたら、そりゃほっこりするような内容に、なるだろう。もうこりゃ、自然のことだよね。
もちろん、もっと的確にその地域についての情報を明らかにするような内容、質問、インタビュー運びは、きっともっとある。なにしろゆいぴさんは、一か月前はインタビューしたことなかったし。それでも5人6人とインタビューして、こうして編集していって、そして実は本まで作ろうというのは、それはまさしく「その土地が好きだからだろう」。そこに狂いはない、そこが真だと思う。これ以上のこと、あるのか? と。
私は10年ほど広告を作って物を売る仕事をしていたけれど、化粧品のほとんどが広告費とパッケージ代という話はあるけれど、結局のとこと、広告はきらびやかに見せてしまえば勝ち、消費者は必要がないものでも買ってしまう。自分が欲しいものだと勘違いして。それだけ自分が欲しいものを見極めるというのは難しいことなのかもしれないが。
ともあれ、そういう人間の洗脳合戦の熾烈な世界がある一方で、今回の磐梯町企画のような、好きな人が好きな人を紹介する、ということのすがすがしさよ。
インプレッションがどうの、エンゲージがどうの、そういうのどうでもよくて、好きかどうかで話がしたいよね。
と思う2024年7月8日16時23分に書く無名人インタビュー827回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 中村 仁 さんです!

年齢:30代前半
性別:男
職業:磐梯町地域おこし協力隊


現在:美味しいものの力をしっかり引き出したらもっと美味しくなると思うんで。それをやっていけるように、もう少し力になれたらと思ってます。

ゆいぴ:
中村さんは今、何をしている人ですか?

中村 仁:
地域おこし協力隊で、今一番メインでやってるのは磐梯町でイタリア野菜を作っているのと、田んぼの方で有機栽培と特別栽培の圃場を管理させていただいてます。イタリア野菜に関しては今後磐梯町の特産品になるのが一つでも見えればいいかなと思って作ってます。田んぼに関しては、BLOF理論という栽培方法があって、それに忠実に則って特別栽培であったり有機栽培をした結果どうなるのか。今後のために気温とか気象データとか、どれぐらいどの肥料を使ったとか、いろいろとデータも取りながらやっています。

ゆいぴ:
イタリア野菜どうですか?作ってみて。

中村 仁:
イタリア野菜っていう言葉をちゃんと知ったのは去年の6月。トキタ種苗のグストイタリアプロジェクトの販売商談会っていうのに行ったのがきっかけで知るようになったんで。永山さん(磐梯町地域おこし協力隊)がちょうどライステラスの方で活動されてたときに、畑に場所があるから使ってみるかっていう話があったのがきっかけで実際に栽培っていう方向に動き始めました。実際本格的に栽培を始めたのは今年になってからですけど、一応去年の冬ぐらいからいろいろと計画立ててイタリア野菜研究会っていうのを作ったんで、そのメンバーと一緒に考えながらやってきてます。

ゆいぴ:
順調ですか?

中村 仁:
そうですね、苗を作って移植した分はかなり順調にいってるんですけども、それ以外の直に畑に種を蒔いた分がちょっと草に負けてきてて。苗を作って植えたところはマルチっていう上にかけるビニールがあって、それをかけてやってるんで草を抑えられているんですけど。直に蒔いた分はそれをかけてないんで草に負けてきてて、草とり頑張らないとなーと思ってるところです。

ゆいぴ:
気持ち的にはどうですか?

中村 仁:
やっぱり何かを作って、それが目に見えた結果に少しずつでもなってきているのは、いいですね。しっかり全部できてるっていうわけではないんでしょうけど、少しずつでも成果が見えてきているっていうのはこれからのやる気にもたぶん繋がりますし。まだ収穫に至ったのは1種類だけですけど、たぶん1ヶ月後ぐらいには続々と収穫できるはずなんでそのあたりを楽しみにしながらやってます。

ゆいぴ:
田んぼのことも聞いてもいいですか?

中村 仁:
はい。

ゆいぴ:
どうですか?

中村 仁:
思ってた以上に株の張り方が、他の、慣行栽培って言うんですけど、そういうのに比べたらちょっと張りが弱いかな?と思ってるところです。でもそこの持ち主の方は去年も有機栽培やられてて、去年よりは株の張りがよく見えるって言われてたんで。去年より少しはね、取れる量が増えるのかなと思ってたりします。

ゆいぴ:
それは何がきっかけで始めたんですか?

中村 仁:
元々農協に勤めてて。そこから今度は農業法人でお米を作ってたんですよね。慣行栽培っていう普通のお米と、家畜とかの餌になる飼料用米を作ってたんで。一番長く関わってきてたのがお米作り。あとは磐梯町が水の町っていうので、その良い水で作れるお米っていうのも重視しています。それもあってやることに、というか自分自身がやりたいことでもあったし、やってます。

ゆいぴ:
始めたときってどんな気持ちだったか覚えてます?

中村 仁:
今年の有機栽培?そうですね、去年のお米より量も食味も良いものを作りたいと思って、どこまでできるか不安なところはありますけど。日々少しずつ大きくなっていってるのを喜びながら、不安を抱えながらやってます。

ゆいぴ:
さっき言ってたBLOF理論っていうのはどういうものですか?

中村 仁:
わかりやすく言ったら、植物本来が持つ力を引き出して、植物自身が元々の病気に対する免疫だったりとか、あとは虫を寄せ付けないようにするような構造とかを実際に持っていて、今までの化学肥料とかに頼ったやり方だとそれを引き出しにくくて。だからその植物自体をよく理解してそれに適した肥料とか土壌分析をしっかりして足りないものを補ってあげて、植物自体を健康に元気に育てるっていう。簡単に言ったらそういう感じ。

ゆいぴ:
なんでその理論を使おうと?

中村 仁:
元々磐梯町のさとやまの慧みブランドを立ち上げた際に、ジャパンバイオファームっていう肥料の開発してる会社があって、そこの代表がそのBLOF理論の提唱を始めた方で。磐梯町として取り組んでたBLOF理論なんで野菜の方には積極的に取り組んでたけど、米の方ももうちょっと踏み込んでもいいんじゃないっていうところもあったので。それもあって、やらせていただいてます。

ゆいぴ:
イタリア野菜も田んぼも全部ひっくるめて、どうですか?

中村 仁:
実際にイタリア野菜も結構ね、ぐんぐん育ってくれてるし。お米も地元とかで食べてきたお米よりこっちで食べさせてもらったお米の方が美味しいんで。やっぱり美味しいものの力をしっかり引き出したらもっと美味しくなると思うんで。それをやっていけるように、もう少し力になれたらと思ってます。

ゆいぴ:
それは何のために?

中村 仁:
何のために?そうですね。今まで磐梯町に来てからお世話になってる方たちもいますし、その方たちがメインで磐梯町のブランドを作っておられる方々なんで。お世話になってる分、返せるところがあるんだったら返したいし。もちろん今後自分自身も磐梯町に残ってやっていくつもりもあるから、その中の一つの仕事というか、そういうものにできたらなと思ってます。

ゆいぴ:
仕事のことでもいいですし仕事以外のことでもいいんですけど、普段やってることあります?

中村 仁:
職場と圃場ぐらいしかあんまり仕事の中で行かないから。それ以外ではあんまり。

ゆいぴ:
趣味は何ですか?

中村 仁:
料理を作るのは好きでやってたりします。あとはたまにお菓子作ったりとか、ぐらいですかね。趣味ではないけど、冬ごろから温水プールに通ったりとか。町民無料なんで週に2、3回ぐらい通ったりしてます。

ゆいぴ:
料理っていうのはどんな料理?

中村 仁:
オシャレなのじゃなくて、実家で作ってた普通のちょっとした家庭料理みたいなものですけど。たまに休みの日は凝ってみたりとか、時間かかることをしたりはしますけど。

ゆいぴ:
それはいつから?始めたきっかけあるんですか?

中村 仁:
子供の頃から家の手伝いとかしてたし、小学校低学年の頃には包丁を持ってリンゴの皮むいたりとか。自然と家の手伝いから自分で作ったりとか、いろいろやってたんで。何かきっかけがあったってわけではたぶんないと思いますね。家の手伝いをしてたら自然にっていう感じですね。

ゆいぴ:
プールはなんで始めたんですか?

中村 仁:
プールはね、あるっていうのは知ってたけど。ちょうど1月頃に、プール行くために水着買ったんだよねっていう話を聞いて。そこからプール無料だっていうのを知って、ちょっと行ってみようかなって思いだしたのがきっかけですね。大体1月の頭、12月だっけ?でも冬ぐらいから。温水だしせっかくだから行ってみるかと思って行きだしたのがきっかけ。今も通ってます。

ゆいぴ:
それは何が目的?

中村 仁:
体動かすことですかね、目的は。行かないとちょっと気持ち悪いっていうか。元々体を動かすのは別に嫌いじゃないけど走ったりするのは好きじゃないっていうので、良かったっていうのもありますね。

ゆいぴ:
趣味じゃなくてもいいんですけど、習慣的に週に1回、月に1回これやってますみたいなのありますか?

中村 仁:
特にこれっていうのはないなあ。

ゆいぴ:
じゃあ自分はどんな性格だと思いますか?

中村 仁:
どんな性格?どう言えばいいんだろう、あんまり考えたこともないなあ。でも悩む方ではあります。性格なのかわかんないすけど。悩んで考えたことでも後悔してるとか、結構ありますから。後悔しないようにね、ポジティブに考えようとはしてるけど、どうしてもネガティブな方に考えたりとか。プラスに考えようとしてもどうしてもマイナスの方に考え方が寄っていっちゃうから。そんな感じかな。

ゆいぴ:
それは何に対して悩む?

中村 仁:
実際に磐梯町に来るのも最終的に悩んだ。ここに来たことに関しては後悔とか一切ないですけど、かなり悩んだ。3件か4件ぐらい候補もあったんで、それも悩んで。自分のやることとか、これでいいのかとか。これで合ってるかどうかわかんないけどこれでよかったのかな?って。でももうね、踏み出しちゃったしどうしようもないからプラスに考えるしかないんだけどね。なかなか上手いこと気持ちの整理がつかなかったりとか。そういうのでも、無理やり進んだりとか。なんとかしながらやってきましたけど。

ゆいぴ:
なんでそんなに悩むんですかね?物事に対して。

中村 仁:
今まで生きてきたって言っても30年程度なんすけど、あのときここをこうしてればよかったんじゃないかなって思うことがあるんで。ここをこのまま進んでいいのかな?っていう。悩むことの方がね、どんどん多くなってきてるから。悩んでて進まないぐらいだったら進めばいいのかなと思ったり。そう思いながらなんとか進んでは来てますけどっていう感じ。自分のやってることにね、自信が持てないっす。

ゆいぴ:
なんで自分のやってることに自信を持てない?

中村 仁:
仕事し始めてからいろいろあったせいだと思いますけど、あんまりここで話すことじゃないと思うんで。たぶん学生時代はまだね、マシだったとは思いますけど。仕事始めてからいろいろ、ですね。

過去:聞いた話だと赤ちゃんの時、なかなか寝ないけど軽トラで山にドライブ連れて行くとよく寝たとか、機嫌良くなったとか。

ゆいぴ:
話せる範囲でいいんですけど、過去についても聞きたいなと。子供の頃ってどんな子供でした?

中村 仁:
元気に走り回るとはたぶんちょっと違いますけど、外に出るのが好きで。よくね、おじいさんおばあさんと一緒に山の果樹園とか畑とか行ってましたね。3人兄弟なんすけど、そういうことやってたのは俺ぐらいだったんで。結構そういうのが好きだった、そんな感じです。

ゆいぴ:
それは小学生ぐらい?

中村 仁:
そうっすね。小学生の頃もだったし、俺は覚えてないけど聞いた話だと赤ちゃんの時、なかなか寝ないけど軽トラで山にドライブ連れて行くとよく寝たとか、機嫌良くなったとか。その辺ももしかしたら影響してるのかもしれないすけど。よく行ってましたね、山や畑や。

ゆいぴ:
どんな小学生でした?やってたこととか。

中村 仁:
柔道やってましたね。高学年になってからすけど、友達に誘われて始めて。それまでは特にね、何かやってたわけじゃないけどそこから中学校まではやってましたね。高校に入ってからは、入った先の高校に柔道部がなかったのでやってないっすけど。

ゆいぴ:
柔道はどうでした?

中村 仁:
ぼちぼちぐらいですかね。そんなにね、強いってほど強かったわけでもないんで。

ゆいぴ:
どう思ってました?柔道のこと。

中村 仁:
どう思ってた?でもね、楽しかったです。結構ね、きつい練習とかもありましたけど。同級生も4、5人いて一緒に頑張って団体とかはいいところまで、ちょっと上のところまでは行けたんで。まあまあって思ってたりしましたね。

ゆいぴ:
柔道以外で中学でやってたことありますか?どういう中学生活でした?

中村 仁:
部活が結構占めてたかなー。でもそれきっかけで弟とか妹とかも始めてたりしたから。あとはでも相変わらず山や畑とかには行ってたりしましたけどね。

ゆいぴ:
山や畑に行って何をしてたんですか?

中村 仁:
畑だったらね、作業手伝いだったりとか。山だと単純に散歩だったり、季節によっては山菜採ったりとか。あとまだその頃は、中学校の頃は犬がいたんで一緒に散歩したりとか、してましたね。

ゆいぴ:
山で散歩したり山菜採ったりしてるときってどんな気分なんですか?

中村 仁:
普通に楽しく、どういう気分と言われても。

ゆいぴ:
何が楽しい?

中村 仁:
人混みとかが苦手なんで。静かではないけど、あの山の感じとか好きだし、そこでちょっと中の方に入って何か収穫があったりすると嬉しいし。なんなら家に持って帰ってそれをちょっとね、料理したりするのも楽しいし。そういうのが好きでしたね。それに季節で結構ね、景色変わったりしますから。そういうのを見るのも楽しいし。その辺になってるアケビとかイチゴとか採って食べたり。あとは、小学校中学校のときぐらいまでは実家の果樹園があったんで。そこで作業しているおじいさんとかおばあさんのとこに遊びに行ったり、そういうのもしてました。

ゆいぴ:
高校時代はどうでした?

中村 仁:
高校時代は、遠い高校で、そこまで自転車で通ってたんですよね。片道10キロちょっとぐらい、往復で20キロぐらいのところへ毎日通ってたんで。寄り道する暇がなかったっていうのはあるけど。そこの授業で、鳥取の伝統芸能のしゃんしゃん傘踊りっていうのがあって。そういうのに出会ったりとかっていうのもありましたね。

ゆいぴ:
部活は?

中村 仁:
部活はやってなかった。移動に時間取られるし、なかなか入りたい部活もなかったし。たまに地元の柔道クラブに顔を出したりとかはしてましたけど。

ゆいぴ:
片道10キロの高校を選んだ理由あるんですか?

中村 仁:
えーとね、選んだ理由は、どうなんだろう。あんまり載せない方がいい、いや載せられないことはないけどあんまり。いろいろあった末の結論だから仕方ないけどね。うん、そんな感じなんすけど。

ゆいぴ:
なるほど。じゃあ傘踊りっていうのは?

中村 仁:
鳥取の雨乞いとして、かぶる方の傘でなくて雨の日にさす方の傘を使って踊る、雨乞いの踊りがあるんですよね。それがしゃんしゃん傘踊りっていって、大体お盆の頃に大きいお祭りがあるんですけど。

ゆいぴ:
傘踊りとはどういう付き合いをしてきた?

中村 仁:
そこの高校自体の連っていって、グループみたいなやつね、みんなで集団になって踊る。高校のときも出てたし、途中大学でもちょっと予定合わなくて出れなかったりしたこともあったんすけどやってて。社会人になってからも、傘踊りをやってたんすよね。コロナ禍になる2、3年ぐらい前から新しくそのグループというか連を作るからっていうので人を集めてて。知り合いからちょうど声がかかったんで、またやり始めて。

ゆいぴ:
なんでそんなに続けていたんですか?

中村 仁:
単純に面白かった。ダンスとかそういう踊るのはたぶんあんまりだけど、傘を使って踊るのは思った以上に楽しかったっていうか。一緒にやってる人とも気があったし、うん。

ゆいぴ:
なんか魅力あります?傘踊りの魅力。

中村 仁:
傘自体が赤と青と金と銀で装飾してあって、さらに鈴もついてるんで。それをやっぱり音楽に合わせて、みんなが揃って踊るっていうのが一体感があって気持ちいい。4曲あって、基本的な踊りが2つと連の独自の踊りが2つ、っていうのでそのお祭りのときは踊るんすけど。大体2時間ぐらいずっと踊りっぱなしなんですよね。毎年そのために練習してーってやってましたね。仕事が終わってから行って。

ゆいぴ:
2時間ぶっ通し?

中村 仁:
休憩は挟んだりしますし、途中で休憩所みたいなのに一旦入って出てっていうのがあるんで。本当に2時間丸々ってわけじゃないんすけど、ほぼ2時間ずっと踊りますね。たぶんYouTubeでしゃんしゃん傘踊りで検索すれば出てくると思いますけど。

ゆいぴ:
高校卒業した後はどうでした?

中村 仁:
そのまま地元の大学に行ってましたね。そこでゼミに入ってからは地域の里山づくりとか。その大学の近くに団地みたいなところがあったんすよね、結構新しいめの。そこの子供たちを相手に山のイベントだったりとか、そういうのをやったりとかしてましたね。

ゆいぴ:
それは自発的にやってたんですか?

中村 仁:
自発的なのもあるし、地域のイベントにスタッフで参加させてもらったりとかもありますし。

ゆいぴ:
何を思ってそのイベントに携わってたんですか?

中村 仁:
元々ね、そのゼミの先輩たちがいろいろやってたのもありますし。集まったメンバーは交流とかコミュニケーションとかに関わったりするのが好きなメンバーがかなり多かったんで、自然とやるぞ!っていう感じ。やってたら、自分たちでもちょっと主催してやってみようかっていう感じで、自分たちの主催でやってみたりとか。そう簡単じゃなかったっすけど。

ゆいぴ:
何が簡単じゃなかった?

中村 仁:
やっぱりなかなかね、人が集まらなかったりとか、思ってる通りに進行できなかったりとかね。なかなか難しい部分があるなーって。

ゆいぴ:
他に大学時代やってたことありますか?

中村 仁:
大学時代だと、そこのゼミの専攻が森林経営だったんで。山の適正な木の密度計測みたいな森の健康診断っていうのがあったんですけど、そういうのだったりとか。土日とかの休みの日に間伐のボランティアに行ったりとか、そういうのもやってましたね。

ゆいぴ:
大学卒業してから、今に至るまでっていうのはどういう流れで?

中村 仁:
就職をそのままして、それが地元の農協だったんですね。そこでは6年間ずっと営農経済課で、野菜だったり米だったりの関わるところで、栽培指導とか生産部会の事務局とか、そういうのもやったりしましたし。ライスセンターの管理責任者も2年ぐらいやったりしてましたね。そこでいろいろやってたら自分でやりたいという欲求がどうしても出てきて、辞めて。そこから3年間、今度は農業法人に勤めて実際にお米作り3年間やって。その後に磐梯町に来たっていう感じです。

ゆいぴ:
農協と農業法人に勤めた約9年間はどうでした?

中村 仁:
知識を持って指導するのと自分でやるのはね、違いがあって。戸惑うことも結構ありました。機械の使い方とかやり方はわかってても実際使ってみたら、これこうなんだーと驚くようなこともあって。知識があっても実際にやるのは全く別物だなってすごく感じることがありましたね。

ゆいぴ:
ふーん。

中村 仁:
わかっててもうまくいかないっすよね、なかなか。頭ではわかってるけど結果として目の前に出ないっていう、ちょっともどかしいっすね。だから農業法人の3年間はその辺のすり合わせみたいなところもありましたね。でも一般的な化学肥料とか農薬とかをちゃんと使ってやる栽培だったんで。こっちに来てから全部じゃないですけど共通する部分もあるんで、活かせる部分は活かしながらやっています。

ゆいぴ:
なんで自分でやりたいなと思ったんですか?

中村 仁:
やっぱりいろいろな生産者と関わってきて、自分が教える側より自分で作る方が楽しいんじゃないかって思ったんですよね。良い顔して野菜作ってる方いっぱいおられたんで。自分で作った方がいいのかな、やっぱ楽しそうだなって。それだったら1回作る方にも回ってみたいなっていう。家の手伝いとかじゃなくて仕事として。自分の食べるための、食べていくために何かを作るっていうのは経験しておいた方がいいよなって思って。

ゆいぴ:
そこからなんで磐梯町に?

中村 仁:
磐梯町に来たのは、最初はね、いろいろ探してはいたんすけど。そういうのを募集してるサイトに登録してて、磐梯町含めて3件か4件ぐらいからどうですか来ませんかっていう話がきてたんすよね。その中でプッシュが一番すごかったのが磐梯町だったんすよ。それがきっかけで磐梯町にしました。

ゆいぴ:
地元は?

中村 仁:
鳥取です。鳥取県。

ゆいぴ:
鳥取から福島に来るっていうのは自分の中でありだったんですか?

中村 仁:
全然ありでした。正直なかなか帰れない方がたぶん、都合がよかったのかな。

ゆいぴ:
それはなんで?

中村 仁:
いやあだってね、帰りたくなって簡単に帰れたらね、すぐそっちに逃げちゃいそうな気がしたから。でも実際来てみるとね、意外と。初めて家出たんですけど別にホームシックになることもなく、こっちの磐梯町の方も良い人ばっかりだったんで。楽しくいろいろやらせてもらってるし。なので結果としてはかなり良かったっすね、ここに来て。

未来:そういうのが好きなのは変わってないから。たぶんこれからも変わらないと思うから。もしかしたら離れるかもしれないけど、離れたとしても最終的にそこに帰ってきそうな気がするから。

ゆいぴ:
この先5年10年、さらに20年30年と最後に自分が死ぬってところまで考えて、未来に対してどういうイメージを持っていますか?

中村 仁:
近い将来は、たぶん2年3年じゃ厳しいと思うんすけど、5年10年でってなるとやっぱり自分で作った野菜だったり米だったりで自分の飯が食えるようになりたいですね。たぶんそれができないとちゃんと農業として、就農してちゃんと飯食えないと、成功したというか一人前になったみたいな感じにはならないだろうなって思って。目標としてはそうなりたいですね。死ぬ前までね、小さくてもいいから畑も田んぼも関わりながら死んでいくのかなと思ったりしますけどね。動けなくなるまで、あんまり迷惑かからない範囲でね。「またいるよあのおじいさん」ってみんながなるくらいがちょうどいいのかなって思ってたりはします。

ゆいぴ:
なんで生涯、畑や田んぼに関わりたいって思うんですか?

中村 仁:
子供の頃から関わってきてたからね。別に農業に関わってなかったとしても、農業に関わる仕事してなかったとしても、土いじりはたぶんしてたと思うから。どっちにしろそんな感じで最後まで生きてるんだろうなと何となく思ったからっすね。

ゆいぴ:
なんで土いじりはしてるだろうなって?

中村 仁:
小学生の頃から考えるともう20何年やってることはね、仕事か遊びすぎてるかの差はあれどずっと変わってないから。そういうのが好きなのは変わってないから。たぶんこれからも変わらないと思うから。もしかしたら離れるかもしれないけど、離れたとしても最終的にそこに帰ってきそうな気がするから。

ゆいぴ:
農業に対してどう思ってるんですか?

中村 仁:
うーん。難しいな。

ゆいぴ:
じゃあ農業や畑はどういう存在ですか?中村さんにとって。

中村 仁:
仕事し始めてからもそうだけど、やっぱ仕事の一部としても生活の一部としても関わってきてたから。たぶんどう頑張ってもこれから切り離せることはないんだろうなと思ってますね。

ゆいぴ:
もし、幼い頃から果樹園もない、山に行く機会もない、畑に関わる機会もない、っていう過去を歩んでいたら今どんな人生になっていると思いますか?

中村 仁:
中学校ぐらいからお菓子作り好きだったんで。高校卒業してから、選択肢の一つにパティシエもあったんですよね。製菓の専門学校に行ってっていう。もしかしたらそっち行ってたかもしんないっすね。

ゆいぴ:
パティシエの道に進まなかった理由ってあるんですか?

中村 仁:
まだ下に2人、弟も妹もいたし。大学通うにしても金銭面でとか、いろいろあってね。そういうのもあってちょっと断念した部分もあるんで。自分でバイトで稼いでやるって宣言できればよかったんすけどそういうのもできなかったんで、結局行かない選択肢を選んだんですけど。もしそういうのがなかったら、もしかしたら覚悟決めてそっちの方に行ってたかもしれないかなと思ってます。

ゆいぴ:
どんな農家になりたい?

中村 仁:
どんな農家?自分が美味しく食えるものを作って、それをみんなに楽しんでもらいたいですよね。自分が美味しく食べれないものを作って喜んでもらえるかって言ったら、そうは思わないんで。どうせ作るんだったらそういう風にやりたいっすね。

ゆいぴ:
中村さんにとって磐梯町ってどんな存在ですか?

中村 仁:
正直こっちに、磐梯町に来て、地元から初めて出たんすけど結構馴染めるというか。空気感が合ってるような気がするんで。ここで生活してこれからもね、ここで仕事をしながら老いて死んでいくのもいいのかなと思ったりするぐらいには気に入ってるところです。

ゆいぴ:
磐梯町に抱いている思いとか気持ちとか感情とかありますか?

中村 仁:
関わってきた以上はちゃんと当初の目標通り就農して、農業で食っていきたいと思ってるんで。これからもいろんな人にお世話になりながら、その分これから来る人とかにも返していけたらいいなとは思ったりしてます。

ゆいぴ:
最後に言い残したいことっていうのを聞いてるんですけど、遺言みたいになってもいいし、読者へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でもいいんですけど、何か最後に言いたいことありますか?

中村 仁:
最後に言い残したいこと?うーん、思いつかないなあ。インタビューの感想でもいいですか?

ゆいぴ:
何でもいいですよ。

中村 仁:
正直こうやって自分のことについていろいろとインタビューを受けるのって初めてだったんで、結構緊張してたんですけど。意外とね、そこまで緊張することもなく、いろいろ話できたかなと思っています。

ゆいぴ:
ちなみに。もし今この部屋を出たら死ぬってなったら何を言い残します?

中村 仁:
いや、特にないかな。まだ残すほど何もできてないから。部屋出て死ぬんだったら、そのまま死にます。

ゆいぴ:
なるほど、ありがとうございます。

あとがき

天気のいい日に外に出て磐梯山を見上げると「ああ、良いなあ」って思うんですよね。田んぼや畑が青々とし始めた町の風景を眺めると「ここにいるために生まれてきたんだ」って思うんですよね。生まれて26年、海沿いにしか住んだことないのに。農業を営んでるわけでもないのに。山や畑や田んぼに幸せを感じる時があります。不思議なもので。
インタビュー中はできるだけ自分の考えや感情を表に出さないよう気を付けているんですけど、たまに泣きそうになってしまう時があって。参加者がすっごい良いこと言ったとか、感動的なエピソード話したとかではなく。ふと勝手に、あなたの心に触れた気がする、と思う瞬間があるんです。今回のインタビューはそんな瞬間が何度もあって涙をこらえるのが大変でした。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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