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本屋さんよ永遠に

7.8月は本を大量に買った。
新書・小説合わせて30冊弱ほど。
書店で購入したものもあれば、ブックオフやAmazonで中古品を買ったものもある。

基本的に本は書店で購入したい。もちろんブックオフでもいいのだが、とにかく手にとって軽くパラパラとめくってみたり、同じ作者の別の本と比べてみたりして至高の一冊を買ったり、あるいは店員さんの愛の溢れた手書きポップに一目惚れしたり、新書ではタイトルだけで購入したり…。とにかく偶然の出会いで本を買うのが好きなのだ。

最近、高校生の弟が夏休みの読書感想文の課題本の選定について相談してきた。弟の通う高校の先生が全員1人一冊ずつ選んだ本の中から一冊選んで感想文を書くらしい。
そのリストを見せてもらって、私は迷うことなくマイケル・サンデル先生の白熱教室講義録を勧めた。
マイケル・サンデル先生の本を実は私は読んだことがなく、YouTubeに上がっている講義の動画を少しみただけなのだが、マイケル・サンデル先生の理論(考え方)はすごく面白くて、本を読むのが苦手な弟でも楽しんで読めるのではないかと思ったからだ。

うちの弟は馬鹿ではないのだが、読書に対する意欲は低く、私が熱烈にマイケル・サンデル先生を勧めたら渋々それを読んでみようか…と言った反応であったが、あまりにも渋々であったため、姉心丸出しで購入してあげることにした。(もちろん読書感想文を書き終わった後、所有権は私に移る)

ところが、マイケル・サンデル先生の白熱教室講義録が売っていないのだ。
書店を4件とブックオフ4件を回ったがいずれも売っていない。調べてみれば初版が2010年であるから、よほどのベストセラーでない限り、書店には置かれていなくてもしょうがないのかもしれない。
結局、地元の図書館に所蔵を確認したため、弟には自分で借りて読めと命じ、私はAmazonで購入して読むことにしたのだが…。


職業柄、自己研鑽のためにと先輩から勧められた本を買うことも多い。普段は書店に行く時間がないため、勧められた本をAmazonで購入している。しかし、Amazonで自分が読みたいと思って購入したのは今回が初めてであった。
検索バーにタイトルを入れて、一番上に出てきた本をカートに入れて購入、2分とかからないで本を買った。
それがなんだか気持ちが悪いと感じた。

いつも、自分が読みたい本を買うときは、書店で30分ほどかけて吟味している。目当ての作家の新作を求めて書店に入っても、他にも何か目新しい本がないかと本棚の前を行ったり来たりして、結局何冊も衝動買いしてしまうのが当たり前であった。
Amazonで2分で購入すると、購入できたのは読みたいと思ったたった一冊の本で、あれもこれもと衝動買いすることができなかった。衝動買いしたいと思う本に出会うチャンスが与えられなかったからだ。もちろん、画面の下の方にはオススメの本がいくつか表示されているが、淡々としていて、そこにはなんの感情も読み取れなくて、購入したいという衝動が一切浮かんでこないのである。

書店を4件回った。
私にとっての聖地は東京駅の丸の内口直結のオアゾに入っている丸善である。
幼稚園生の時に初めて祖父に連れられていって、好きな本をなんでも買っていいと言われた時から、私にとって本は無限に購入していいものになった思い出の書店である。
片田舎の書店はオアゾの丸善には遠く及ばない。それは仕方がない。だがしかし、あまりにも書店が少なく、そして品揃えが貧相であると思った。
オアゾの丸善には大人が脚立に乗っても届かないようなところまで本があって、一体誰が読み切れるのだろうと思うような分厚い小説から、遠い国のごく数年の出来事だけに特化した歴史書から、知りたいことが全て詰め込まれている。
しかし、地元の書店は入り口近くに有名俳優やアイドルが主演を務めた実写映画の原作が平積みされ、本屋大賞と芥川賞と直木賞と、SNSでバズった本が置かれて、あとはそれなりに名前の通った作家の本が並べられているだけ…と言っては失礼かもしれないが、そんな印象を受ける。
そして明らかに新書や小説よりも漫画や雑誌が多く、人の足も漫画や雑誌コーナーに向いている。
入り口でなんとなく平積みされたコーナーを見て、漫画を買って帰ってしまうお客さんが多いのだ。

本を本屋で買う時代ではなくなってきているのかもしれない…と感じてしまった。
読みたい本はスマホで2分で買える。
よほど読書が好きでなければそれだけで十分なのだろうか。
もはや、紙の本を買わずに電子書籍を購入したり、文字情報よりもYouTubeなどを好むことが当たり前になり、紙の本の価値は落ちていると言わざるを得ない状況なのだろうか。
というか、きっとそうなのだろう。
電車内で読書をしている人よりも、電車内でスマホをいじっている人の方が圧倒的に多いのだから。

もちろん紙の本が良くて電子書籍が悪いわけではないし、このnoteだって本とは言えないが悪いものではない。
ただ、なんだか寂しさを感じてしまう。
このまま時代が進んでいったら、本屋さんはなくなってしまうのかもしれない。エコの観点で紙の本をやめようなんてことになるかもしれない。

紙の本だからこその良さがあると思っている。
読んでいるページから、起承転結のどのあたりにいるのかを知ることができたり、長すぎる小説をここまで読めたのだと誇らしく思ったり、読み終わった本で埋まっていく本棚を眺めたり。
紙の本だから何度も読み返して、刻まれて、好きになれる言葉にであって、その好きを誰かに伝えられると思っている。
そして、物理的に存在しているが故に、私が無くさない限りその本の存在は永遠に保証されるのだ。
忘れかけた頃に再びその本を見つけて読み返して、またあの素敵な言葉と再会できる。それは本当に幸せなことだと思うのだ。
だから私は紙の本が好きで、なくなって欲しくない。

紙の本は売れなくなっているのかもしれない。
地元の書店は10年前よりも減った。
棚の本が少なくなったとも思う。
もしかしたらオアゾの丸善も本以外のものに力を入れてしまう日が来るのかもしれない。

本は嗜好品だ。
本がなくても死ぬことはない。
でも、本を読むことで生きながらえることはできるかもしれない。
本を読むことで世界の見え方が変わって、生き方が変わるかもしれない。
それでも本は嗜好品だ。
値上がりしたら買わない人が増えるかもしれない。
電子書籍を好む人が増えるかもしれない。
本よりも動画を好む人が増えるかもしれない。
それでも私は、これまでの人生を何十冊、何百冊もの本に支えられてきた。本を読むことでありがとうの意味が一つではないことを知ったし、さようならが悲しい言葉ではないことも知った。
世界が平和でないことも、明日を生きることが困難な子どもがいることも、消費と浪費を繰り返す人がいることも、神様がいることも、神様がいないことも、私の一言が世界を変える可能性があることも知った。

だからお願い。
本屋さんよ、永遠に。

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