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男はひとりで深夜に居る

── 今回は、過去の2018年あたりに書いたものを掲載します。

じっくりと今を生きる。

そんな感じになるといいなあと思っています。できれば10年後あたりには、そういう気持ちでいたい。

ま、気持ちだけでいいですけどね。行動的にはいつだって、今以上に動いていたいとも思っています。もっと静かに動き回れるように、今年からは、はじめてみたいです。

こうして深夜に一人で起きていることも久しぶりです。これを書いたら寝ますけどね。どんなに外で呑んだりしてきても、家でお茶漬け喰って… のような感じで、眠る前はただひとりの時間が数分でも必要になったのはいつからだろうか?と考えても、そんなこと思い出せません。

実家に帰ると、どんなに疲れているであろうとも、父がひとりで座って、なにかを読みながらとか、書きながらとか、だけどコクリコクリと居眠りをしているんですよ。時には0時とか、午前1時とかでも。その傍らでは、逆に母なんかは、今日は疲れたからもう先に寝るよって、毎日さっさと寝ちゃいます。

そんな父を背中越しに見て、眠れば良いのにと思って、わざと大きな音を立ててみたり、咳をしてみたりして、起こすのですけどね。だけど起きたらまた、何かを読み始めたりする。そしてまたコクリコクリと居眠りに落ちる。朝から働いて疲れているであろうにね。だけど、そういう毎晩なんです。

そんな気持ちがなんとなくわかるようになってきたのは、30代の終わりの頃ですかね。今では私も同じです。疲れて気がつかぬ間に眠ってしまっていることも多いですが、こうしてただ意味も無い時間を、1日の終わりに静かにそこに居る。自分がここにただ在る。

きっとお酒を飲む方は、寝酒でも呑むのでしょうけれど、私は最近はコーヒーをただ飲んで、静かにただポツンと居るんですよね。ちゃんと説明は出来ないのですけれど、そんな現象。男なんだなと。最近では思います。男性というのは、そういうものなんでしょう。きっと。

そうでない方ももちろんいるでしょうし、それをバーとかで「居る」人もいることでしょう。思えば「おじいさんの古時計」や、ただただ椅子にもたれてレコードを聴くとか、コーヒー&シガレットや、バーボン&ブルースだとか、晴れても雨でも疲れていてもそうしているような、透明な夜に、濁ってしまったような夜の薄暗い明かりの中に浮かびながら、趣味とも呼べないただ存在だけがあるひとときが、古時計のように時だけを刻む。

こうして文字に起こすと、なんとなく古い表現や感覚にも感じられてしまうかもしれないですけれど、レコード時代とかは、もう音楽を聴くということを目的として、ただ音を聴くだけの行為をしたものです。ちゃんと座って向き合って、ただそれだけのための贅沢過ぎる時間。いまのようにBGMとか、通勤中だとかの「ながら」的な音楽ではなかったですよね。

台風のような嵐の風のぶつかり合う音をショパンなんかのピアノと掛け合わせながら天然のジャズっぽい夜に窓を開けてズブロッカなんかを一口ずつ飲んでいく夜ごとのひとり音楽祭などでもいい。そんな男性のひとりの時間。(間違っても、ゲーム&チョコレートとか、アイドル&レッドブルだとか、ネット掲示板&コンビニ弁当とか、テクノでもノイズでもなんでもただ盛り上がるためだけのノリだとか、そういう最近の現代的な男子像ではないですからね… )

「ひまつぶし」とか「遊び」とは違うのですよね。それに、眠れないというわけでもないんです。実際に眠いわけですし。だけれど絵を描き続けるとか、ギターを練習するとか、小説に没頭するとか、マンガを読み始めたら止まらないだとか、映画を観るとか、そういうのでももちろん同じかもしれないですが、いまここで言いたいのは「なんかただ起きている」っていうやつなのです。特に目的もなく、なんだかただ夜なのに居るのです。

言い表せないのですが、本当はなにかがあるんですよ。いくつかのなにかが。心の中になにかがほのかに存在しているような、そんな感じなんです。それがなにかは、ハッキリとはわからなくていいものなんだと思うんですよね。わかっても言わないでしょうし、ただの憂いだとも言えませんし、ぼんやりとした喜びでもあるような、やりきれないってわけでもないですし、怒りがおさまらないわけでもない。

ただ心にあるままで、それでいいような。ああ、だからきっと男って、そういうところが女性から意味不明で嫌がられるのでしょうね。それらをちょっと聴いてよ!と、やみくもに喋り散らすわけでもないですし、別に目的があって起きているわけではないですから、説明もできませんしね。しかも、欠伸したり、居眠りをしながらも、意味も無く起きているのですから、そりゃあ女性からすれば目障りなのかもしれません。

それを少年と呼ぶ人もいることでしょうし、それを老いだと言う人もいるでしょうし、女性はそれを理解などする必要も無いと思う事でしょうし、この人はほんとなにもわかっちゃくれないって思うのでしょうし、そんな時間を許してくれない人もいるでしょう。意味なんてないんですよね。でもきっと、なぜか男は昔からこうなんじゃないのかって、私は思うんです。

昔なら、焚き火だったでしょうし、明かりが無ければ星や月も眺めたことでしょう。仕事等の顔や役職でもなく、父親や家庭での役割でもなく、荷物も下ろして、背中も丸めて、緩んだ顔で、微睡んだような目で、時には無駄にも真剣な面持ちで、皆賀寝静まった頃、ただひとりで深夜に居る。なんでもない男。

ひとつ我が儘を言うならば、そこに誰か女性が居てくれても嬉しいんですよね。やはりそれはそれで安心しますから。ただそこで、黙っていることを許して欲しいって思うんです。ただそこに居るということを許して欲しい。

そういう時だけは、いつもとは違っていて、気の利いた事や面白い話なんかを会話したりもしなければ、笑いながら話をしたり、楽しい場を感じ合ったりもしないかもしれませんし、まったくもって喜ばせてあげるようなこともない。

だけど、そこに居てくれて、充分に嬉しいんですよ。そんな夜に、逆にいつものように、軽快なスピードとかで話が展開してしまうなら、いっそ静かにひとりで過ごすほうがよかったりする、時折、たまにですが、そんなモードが男性にはあると思うんです。

そんな時間を許してくれたなら、その他の時間はいくらでも楽しく一緒に過ごせますよ。きっとね。もちろん全部の男性がそうではないですけどね。だけど男なんてそんなもので、そういうなにかさえあれば、あとはきっと尽くしてくれるような、そんなもんですよ。きっとですが、そんな気がします。

たとえばもしもこの世を去る時などには、そういう夜をこっそり許して欲しいものです。間違っても病室でチューブや針に繋がれながら、無理矢理ざわざわと起こされて、慌ただしく去る。なんてことは勘弁して欲しい。

そんな静かな夜を許してほしいものですね。ひとりで夜中に逝ったからと、翌朝から、いちいちお医者様や警察官を呼んで、検証だとかで引っ掻き回されては、なぜか検証確認の終えた翌日の昼頃を死亡時刻だとかにして、目の前で朗らかに死んでる私がいるのにも関わらず、まだ検証がが終えていないから意識不明です。だとか、せっかく命満ちて眠っているのを邪魔しないでほしいものです。

実に、おせっかいで、多干渉で、無責任で、優しさも知恵も無い、うんざりするほど不可思議な時代だと思っています。弁護士や行政書士の方なんかに言わせると、財産整理だけが遺書のように、分厚い顔で平然と話してきますが、そんなんだったら私は、遺書なんかよりも手紙を書きますよ。それこそ、そんな夜に、静かにひとりきりで。

もしかするとそんなことを毎晩、男性はひとり脳内で行っているかのような… って、そんなわけもないか。本当にただなんでもなく、何者でもない男がそこに居るだけなんですよね。毎日がそんなふうに終わりを迎えて、最後に、素直に微笑むことを許せるような生き方でありたいものですね。そしてただ眠る。

ほんとね。別になにも大したことを考えていたりするわけでもないんですよね。たまには深みに嵌って思考を巡らせたり、想像や妄想や、それこそスケベなイメージとかもなぜだか不定期だけど一瞬とかよぎったりもしますけれどね。あとは、急に昔のことを思い出したりとかもありますね。

子供のように、うわっこれすごいこと思い付いちゃった!とかってワクワクしながら夜を越えることもあるけれど、朝起きたらもう殆どのことは、そうでもない。そんなまるで無駄な時間なのですけれどね。だけど、なんかある気がするんですよね。

ゆるんだ部屋着などで、そりゃあもうサマになんてなっちゃいないのでしょうけどね。そんな一人の時の姿も顔も背中もね。だけど、心なのか、頭なのか、身体的な男性の特徴のなにかなのか、それをあまりわかりたくもないですが、なにかがあるんです。1日の終わりに、ある意味で毎日の人生の終わりに、そんななにかがとても大切な時間なんです。

そう、これをただただ書きながらいま、思いました。少し当てはまるかもしれない感覚を言うならば、それかもしれないです。なぜただただ眠らずに深夜にただひとりそこに居るのか、そこに目的を当てはめるとしたならば、たぶん、これかもしれません。

——— ただ眠るために。

20180112 3:30

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