自身のブロック解除の過程報告
皆様こんばんは☺🙏💖
今回は発信向けの記事に出来ればと思い書いています。
要点は絞りましたが、とても長く重い話になるので、心が辛いと言った時は読まない選択肢も🙆💖
そして、読むにもしっかり休憩しつつ読んで頂けたら嬉しいです✨
ここ2ヶ月程で、人生で何度も繰り返してきた『会話のバランスがうまくいかない。話しすぎるか、聞きすぎて言いなりになるかで、相手か自分が苦しくなる』という壁に何度もぶつかりました。
長年繰り返してきたので、意識はしている筈の事。
自分をまず安定させてから、そのタイミングで気をつけて周りとコミュニケーションをとっているつもりでも、とてもうまくやれる時が出てきた反面、やはり繰り返してしまうようで。
『クリアリング』や『ワーク』について再度学び直して実行してみる事にしました。
今回はワークについての記事になります。
わたしは機能不全家庭に育ち、9歳の頃から希死念慮を抱えながら20年生きてきました。
精神科に通い大量の薬を飲みながら、自殺未遂や自傷行為を繰り返し
小学三年生の頃から中学生卒業までの間、登校拒否や保健室登校を続け、親や保険医の強い勧めで通い始めた元不登校児向けのクラスのある高校にもロクに通えず。
定期テストを受けず、レポートを溜めに溜めて、毎年進学できないと思ったと担任に言われ、卒業の為のレポートも期日ギリギリに提出し、単位ギリギリでやっと卒業した感じです。
バイトも色々してみましたが、いつも人間関係で躓き5ヶ月ももちません。
それについて親との関係性を上司と繰り返してしまっていると感じていました。
精神科のお薬は、あくまで対処療法であり、根治寛容に至るには別のプロセスを辿る必要があると次第に強く感じるようになり、自分でも様々な事を取り入れ試すようになり、現在のスタンスがあります。
前回行ったワークは、悩みや不安をツリー化するもの。
パソコンのフォルダやファイルを見つけて、更にそこから記憶や感情を掘り下げていくものです。
前回行ったワークは『ありのまま、素のままいる事ができない。』というものでした。
根底にあったのは、家庭や躾、両親との関係でした。
今回行ったワークでは『気をつけていても時に押し付けがましかったり、伝えすぎてしまう事』についてを掘り下げてみました。
やはり辿り着いた先に『親との関係』がありました。
ここからは生々しいわたしの心の声になるので、共感しすぎて辛くなる方の為に収納したかったのですが使い方がよく解らず……。
辛くなってしまうでしたらブラウザバックお願い致します。
『わたしの気持ちはきいてもらえない』
『言えと言われて言ったのに否定され拒絶され受け入れては貰えない』
『言わなければ言わないで【なぜちゃんと言わないのか】と酷く怒られ、怖い。生命の恐怖を感じる』
などなど……(;・∀・)💧
割とボロボロの感情やトラウマを封印し
『本心を言わなければ否定も拒絶もされない。されてもさして傷つかない』
『自分の気持ちは黙って隠して、人の言うとおりに振る舞って考えて発言していればいい』
という……大まかには
防衛の為に演じる自分A
と
防衛の為に封印し見ない聞かないようにした自分B
としてわかれてしまったようでした。
そしてその矛盾や無意識下の葛藤が
『人間関係や関わり方の歪さ』
『薬では治らない心身の不調』
『自己嫌悪や自己否定、自分を大切にできないキモチ』
を生んでいる様子で。
自分にしか自分の本心がわからず、助けてあげられないのならなんとか解消してあげよう、と思い、ワークなどにも取り組み始めた次第です。
最初にツリー化のワークを行った時に、『ほんとうは自分はこう思っていたのか』と気が付いて泣いたのですが、辛さ悲しさばかりではありませんでした。
『やっとわかった、わかってあげられた』というような感覚もあり、なんだか胸のあたりの緊張や詰まりがとれたような『ホッ』とした感覚。
『辛かったんだね』って好きなだけ泣いて、自分の好きな事心地いい事で自分を満たして、お風呂にゆっくり入ってしっかり眠って。
そうしただけなのに、不思議とどんどん自分を縛っていた『〜らしくしなきゃ』の枷が外れていきました。
『お姉ちゃんらしくしなきゃ』
『女のコらしくしなきゃ』
『親が恥ずかしくないように普通にしなきゃ』
『周りを気遣わせないように常に笑顔でポジティブで元気でイイコでいなくちゃ』
『大人らしくしなくちゃ』
『年齢らしくしなくちゃ』
全部、外れてきました。
『好きでお姉ちゃんに生まれてきたんじゃない。もっと甘えたかったよね。下の子達のお世話したくない時、親のお手伝いしたくない時、沢山あったのに頑張ってきたんだよね。もう甘えたい時は甘えていいし、したくない事は断わっていいんだよ。』
『女のコのつもりなかったよね。男のコのつもりもなかったから、ずっと肉体の違和感も一人称の違和感も、この国に男女の選択肢しかなかったのしんどかったよね。肉体にメス入れるくらいしんどかったんだよね。親にも長年否定と拒絶されて辛かったね。どちらでもあってどちらでもない、ありのままのわたしでいていいよ。私でも僕でも俺でも、その時使いたいようにしていいよ。辛かったら他人の迷惑を考えて飲み込まずにさらっと笑って言っていいんだよ。』
『親の為に祖父母の為に周りに褒められるイイコで居続けるの大変だったよね。ワルイコでもいいよ。自分だけは自分の味方でいるよ』
『常に笑顔でポジティブで元気でイイコで居続けるのは、自分のSOSに嘘を重ねる事だったね。短所がなく完璧で、喜怒哀楽の喜楽しかない人なんていないんだから。泣いて怒ってもいいよ。しょんぼり落ち込んでもいいよ。完璧じゃなくていいよ。』
『子どもらしくして受け止めて貰う経験なく、大人らしくしようと無理して感情を沢山押し殺してしまって辛かったよね。大人だって好き嫌いも、やりたいやりたくないも、あって当たり前なのに。大人だって楽しければ全身使ってはしゃいで笑っていいよ。悲しけりゃわんわん声出して泣いていいよ。明日やれる事なら無理に今日やらなくていいよ。』
『好きな服、好きなアクセサリーや小物、髪型も、持ってるものも使う物も、【らしくない】で我慢したら何も嬉しくも楽しくもなくなっちゃってたね。何が好きだったのかもわからなくなって、ショッピングが義務になって、苦しかったよね。らしさより、好きなもの買おうね。』
2回のワークのテーマの根底に共通のトラウマエピソードと『機能不全家庭』があって。
合わせて出した自分宛てのメッセージが、今現在こう。
今日は朝から認知症の祖母と可愛い猫の今後の話し含めて揉めに揉めてしまい。
今迄だったら我慢できてたのに『怒っちゃった、泣いちゃった』って少し落ち込んでたけど、きっとこれで良かった。
今迄表に出せなかった感情を出してもいい相手の前で出した、出せるようになっただけ。
むしろ進歩では。
祖母の件で実家の他の家族も結構困っていて、猫の暮らしの件もあるし祖母本人も困ってるし。
家族で動ける人が私しかいないので、猫のお迎えの支度を更に整えつつ、祖母の主治医や地域包括支援センターに話を繋いで、諸々導入できるよう流れ作ってから施設に帰ります。
これは、『やらなきゃ』というより『やりたい、今の自分なら頑張ればできる』と思ったからやる事。
焦らず、自分ファーストで勞りながらね。
助けて貰える所には、ちゃんと頼りながらね。
今日のおつとめはこれで一区切り。
個人の為にも全体の為にもなれそうな選択ができたかなと思える。
お読み頂きありがとうございました🙏💖