私の境界線 貴方の境界線 共生境界線
(あくまで参考程度にね)
私が生きる上でのあらゆる物事は私が考える私のためにやる。
けどそれは他を救わない助けない気持ちを考えない協力しないとは限らない。そうは言っていない。そういう訳かはわからない。
「私が”考える”私」には、私が考えれば想えば他者がそこには入る。
他者が入り込む余地があるかは私次第。
境界線を引く。壁を作るわけではない。
強引に境界線を侵してくる人もいるけれども。
生きるためには、自分の内的世界及びそれらに関連した自分の言動や感覚などの管理者或いは主導者は自分である必要があると私は思う。
でないと、生きている感じがしないと私は思う。
貴方はどうですか?自分の境界線を守れていますか?
他者の境界線を侵していませんか?
一人の時間も好きではあるけれども、
私の中では他者も入れるつもり。面白そうだもの。
一人でいたい時に物理的にではなくて内的世界に他者が現れて煩わしいと思うこともあるけれども。
でも、何か現れたのには理由があるかもしれないからコミュニケーションをとってあげて。
おそらく、
私が”私のことでいっぱいいっぱいの時の私”ならば、
その時に”考える”ことには他者は入っていない。
私が”他者のことでいっぱいいっぱいの時の私”ならば
その時に”考える”ことには私は入っていない。
そんな時にはどうするか考えてみて。
入れたほうがいい場合もあるけれども、
余裕がない時に正直他者のことを入れられる気があまりしない。
そんな時、そんな人に余裕を提供してあげられる人に私はなれたらいいなと思う。
私は私ができる限り守ってあげる。自分の身は自分で守る。自分に一番付き合ってあげられるのも自分。
自分に寄り添えないで他者に寄り添えますか?守れますか?
そのままでは共倒れしませんか?大丈夫ですか?
沼から救い出そうとしたけど自分も埋まってしまっていませんか?
生きること、生きていることを面白がってください。