
20世紀最大のチェリストの1人、パブロ・カザルス博物館へ
パブロ・カザルスを知っていますか?
ウィキペディアによると、彼は「チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる」とのこと。そのパブロ・カザルスはバルセロナの南西65キロほどのところにあるEl Vendrellという町の出身です。そして町の近くの海沿いにあるカザルスの夏の別荘が「パブロ・カザルス博物館」として公開されています。
昨年あたり、海辺をウォーキングしているときに大きなお屋敷があってなんだろうと思ったら、「パブロ・カザルス博物館」と書いてあり知りました。彼のことは知らなかったのですが、それをきっかけに調べてみると彼の生き様に感銘を受けました。
カザルスは当時単なる練習曲と考えられていたバッハ作「無伴奏チェロ組曲」の価値を再発見し世界に広めたそうです。1950年代に彼がこの曲を演奏した映像が残っています。フランスの廃墟の教会で撮影されたそう。
今回はこの博物館を訪れました。いつも歩く海沿いの道から見る博物館。

別荘のゲストルームは博物館のレストランになっており、いつも通るたびに賑わっています。

かなり大きい敷地で正面にたどり着くと「パブロ・カザルス博物館」と大きく書かれています(パブロはカタルーニャ語でパウ)。

庭園の門からの眺め。

落ち着いた青のアクセントがキュートな建物です。1911年からパブロ・カザルスがサマーハウスとして母親や兄弟、姪や甥などと過ごしたそうです。

玄関を入ってすぐの廊下には、まるでパブロ・カザルスがまだ住んでいるかのように帽子や傘が置かれています。

パブロ・カザルスがこの家で過ごしている写真が多く残っています。

カザルスの父は音楽家兼オルガン奏者で、最初に父が息子パブロに与えた弦楽器が、父と知人の手作りのこの楽器。

その数年後、12歳のころにはチェロを演奏するようになり、バルセロナの音楽学校に通い始めます。

タイルが素晴らしいバスルーム。

絵画などの芸術作品も多く収集していたそうで、いろいろなところに彼のコレクションが飾られています。

カザルスの寝室。意外と慎ましいです。

ダイニング。

窓からは砂浜と海が見えます。

目の前に海が広がるパティオに出てみました。

今はガラス張りになっていますが、カザルスが住んでいた当時にはなく、直接砂浜にアクセスできました。

当時の写真を見ると分かります。

ダイニングの隣には1930年代に増築された音楽ホールがあり、ここで客人を招いて演奏会などを行ったのでしょう。スクリーンではカザルスが行ったマスタークラスの映像が流れており、情熱的でかなりユーモアに富んだ面白い人だったことが分かります。10分ほどの映像を見ただけでこの人と話したい!と思いました。

その隣にはこんな豪華なサロン。ここで客人をもてなしたのでしょうか。

この先はカザルスの功績を称える展示スペース。
1939年にはフランコによる独裁政権に反発してフランスに亡命。それ以来カザルスはこの家に戻ることはなかったそうで、1974年まではカザルスの兄弟の家族が住んでいたそうです。亡命後生涯母国の自由と平和を訴え、スペインを国家として承認する国では一切演奏をしないとボイコット宣言。亡くなるその日までスペインの平和を訴え続け、フランコ政権から逃れてきた人たちを金銭的にも支援します。
同世代のカタルーニャ出身の芸術家と言えば、画家のサルバドールダリ。ダリは逆にフランコ政権の支持者となり、フランコ本人とも交遊を深め、私腹を肥やしたとされています。平和を求めるよりも、祖国で生きていくために独裁主義との共存を選んだダリと、祖国の平和を最優先に考え祖国から逃れ音楽の力で平和を訴え続けたカザルス。そんなカザルスを称えずにはいられません。
カザルスは後にフランスから母の生まれ育ったプエルトリコへ移住します(母の両親はカタルーニャ人)。
亡命中にはカタルーニャ州知事に推薦されたことも。

彼の平和に対する活動が称えられ受賞はしなかったもののノーベル平和賞にもノミネートされました。

アメリカのケネディ大統領の招待を受けホワイトハウスで演奏も。それ以外でも彼の功績と平和活動でいろいろな国から勲章を受け取っています。

ホワイトハウスでの演奏の写真が残っています。

そして1971年には国連平和賞が授与されました。その授賞式で彼は世界そしてスペインの平和を訴えカタルーニャの民謡「鳥の歌」を披露します。そのスピーチで彼は故郷への愛、そして平和への願いを語ります。
1939年以降故郷を訪れたのは母が亡くなった時だけだそう。故郷を愛したが故、カタルーニャに平和が訪れるまで帰らないと誓った彼。
カザルスは1973年にプエルトリコで96歳の生涯を終えました。残念ながらフランコ政権の終焉を見届けることはできませんでしたが、遺言の通りフランコ政権が終わり民主主義が訪れた後の1979年に彼の遺骨は故郷に輸送され、現在この博物館のある生まれ故郷で眠っています。
そんな彼の生涯を振り返った後は庭園へ。

庭園を囲む塀の階段を登っていくと…

海。プエルトリコの海を見ながら故郷の海に思いを馳せていたのでしょうか。

邸宅の向かいにはコンサートホールがありました。定期的にチェロを含めいろいろなコンサートを行っているよう。

その隣には小さな公園があり、モニュメントにパブロ・カザルスの言葉が刻まれています。

「バッハは奇跡だ。」
サマーハウスを博物館にしたので規模はそれほど大きくはありませんが、彼の音楽の才能だけでなく、人間的な魅力が溢れた素晴らしい博物館でした。