遠回りして見えた景色
いつも何かが足りなかった。
それは、友達。
小学校の卒業アルバムにある文集を見てみれば、「友達関係がギスギスしていた」と書く女子がちらほらいたり、いなかったり。
わたしはその内に入らず、傍観者だった。
1.中学時代
中学生に進級すると、早速目標を立てた。
.
・たくさん友達を作る
・何事にも積極的に参加する
・成績優秀で青春を謳歌する
.
残念ながらその思いは半年ほどで消えた。
__
ある日、クラスの某委員に立候補。他にも数人いたので1人1人、軽い演説をすることになった。完全なる個人戦。
饒舌でなかった私は呆気なく敗北。
人見知りだという事を完全に忘れていた私。
そして、自分の発言に自信を持てなくなる。
毎週同じような生活を繰り返す事に疲れ、
いつしか別室登校をするようになった。
いわゆる、不登校に近い状況。
教室に行かずとも学校には通っていた。
運動会も合唱コンも憂鬱。
参加できるものだけ参加した。
対応してくれたカウンセラーさんと
すごく仲良くなれたのが唯一の取り柄。
色んな悩みを真に聞いてくれて、
時には私のわがままを聞いてくれたり。
義務教育という名のラビリンスから
脱出させてくれた先生方には頭が上がらない。
「勝訴」の文字を「大感謝」に変え、先生方に見せびらかしたいくらい感謝では表せないほどのモノがある。
今もずっと。
2.高校時代
高校生になれば、色んな方面から集まる同級生に戸惑い、日々、挙動不審でいた。
ここで変わらないとまた1人になってしまう。
あえてハードルを下げ、目標は立てなかった。
高校ならではのスクーリングがあっても、
一緒に行動できる友達は少なく上辺の関係。
笑顔で振る舞ってみても、
鏡に映る自分の顔を見ればまるで人間岩。
あっという間に3年が過ぎ、
赤の他人となって解散。
卒業アルバムなんて不要。
__
そんな中、先生はいつも味方でいてくれた。
勉強に力を入れたので、
褒めてもらうことで自信を保つことができた。
先生の雑用なんてなんのその。
仕事があるのは嬉しいことであって、
恩師とは今でも連絡を取り合うほどの仲。
その先生が同級生だったらもっと充実してただろうに、など夢みたいなことを考える時期も。
__
他の生徒と軽く話を済ませ、こちらにターンが回れば私とのトークに夢中。その反面、同級生からの視線が少し怖いと感じることがあった。
.
' 先生と友達?友達はいないの?'
' 悲しい子だな、可哀想 '
.
妄想でしかないが、
こんな事を思われていたとしよう。
言いたいだけ言わせておけばいい、以上。
ここからはリアルな話。
リア充と言われるような陽キャラの集い、
通称破天荒軍団は先生たちの中で評判が悪く、
成績のために好かれようと話しかけたり
お菓子で好感度を上げる女子がちらほら。
愛想笑いで流されていたよ、と
テレパシーで必死に伝える私がいた。
__
破天荒軍団の近くに静かに居座り、
聴き耳を立て、悪事があれば報告する。
どこかの船長の優秀なオウムのような
仕事もひっそり任されていた。
軽視しないでほしい。
こういう生徒も必要だと私は思う。
__
「卒業」という大きな節目があると、
緑色のメッセージアプリを0から
初めることがルーティン化していた。
家族に迷惑をかけていたのでここで謝罪したい。
何回も出たり入ったり。
今では片手で数えるほどの人数だけ。
3.わたしを変えたモノ
ー 孤独と飢えが人間を強くする ー
長嶋一茂さんがある本で語っていた。
この本に出会い、対人関係の価値観が変わる。
運命の本。出会えたことに大感謝。
その言葉と今回の件に関しては意味は違うのだけれど、わたしは違う意味でインプットした。
「友達」という言葉に悩まされていた当時。
青春している生徒に対しヤキモチを抱える日々。
自分自身で苦を作っていたことを知った日は、呪縛から解かれたような気がして、深く眠りにつけるほど心が安定していた。
こんなにも縛られていたなんて。
もっと早く読み聞かせればよかった。
苦手ながらも学生時代を駆け抜けた自分。
そして、似たような境遇の方に拍手を送りたい。
_______
人脈が狭いって最高だ。
もし理想の恋人に条件を与えるのであれば、
私と同じようにいい意味で人脈の少ない方がいい。
そんな世界線、どこにあるのやら。
無理にグループの輪に入って孤独になるくらいなら初めから一匹狼でいた方が気楽。親友など無理に作る必要はない。
〜 夏休み終了のお知らせ 〜 新学期のはじまり 〜
もうじき、こんなアナウンスが聞こえてくる頃。
長いようで短い長期休み。
一度、友人関係を整理してみてはどうだろうか。
アオハルという言葉の意味をつい最近知った、というのはここだけの話。