レジリエンス ⑥リソース
考古学者たちは化石を発掘する時、もろい化石を破損してしまわないように十分注意して、土の中からゆっくりと慎重に取り出す。
「SE療法」も同様で、トラウマ記憶の断片という不安定な危険物を、ゆっくりと慎重に取り扱わなければならない。
不用意に、過去のトラウマ記憶にアクセスすると、感覚に圧倒されたり、フラッシュバックを起こしたりする、「再トラウマ化」の危険があるからだ。
トラウマを、繰り返し詳細に再体験させると、クライアントは恐怖と生理学的過活性の状態に留置され、過去の激しい苦痛がさらに強化される。
これによってトラウマの記憶は、新たな戦慄体験と結びついて固定化されてしまう。
固定化した内面の世界によって、圧倒されている感覚が強化され「再トラウマ化」してしまうと、より激しいフラッシュバックを起こす可能性がある。
「SE療法」で出てきた感情や感覚に、圧倒されるように感じたり、身体が固まるように感じた時は、我慢や無理をしてはならない。
このような「再トラウマ化」を防ぐためには、あらかじめ決めておいた「リソース」を使って、安全地帯や現実に戻ってくることが大切だ。
「リソース(resource)」の語源は、蘇る、源にあったものが再び日の目を見る、というもので、転じて「目的に対して利用できる、ありとあらゆる資源」のことを指す。
それは、頭の中に思い浮かべるだけで、心が緩んでホッとするもの(健全で中毒性のないものに限る)。それについて語り合えば体温が上がるくらい大好きなもの。
例えば、家族や友人や大切な人の顔、ペットや動物、趣味、音楽、風景。何でもいいし、いくつでも構わない。
カウンセラーから、具体的にイメージするように言われて私は、架空の風景を思い浮かべた。
それは小高い丘で、見晴らしが良く、遥かに海が見える。
一面に菜の花のような黄色くて小さな花が咲き、時折り爽やかな風が吹き抜ける。
丘の上には一本のシンボルツリーがあり、緑の葉が生い茂っている。
黄色い花と、緑の葉と、青く輝く遠くの海と空。
あまりにも陳腐な風景だけれど、私にとってはそれが、心から安心できる景色だった。その、行ったことも見たこともない、架空の景色を思い浮かべると、なぜか不思議なほど気持ちが落ち着いた。
「名前をつけましょう」と言われて、私はその風景を「黄色い丘」と命名した。いつでもその名前を呼ぶことで、同じ映像を脳内再生することができるように、とのことだった。
まずは目をつぶって、良いもの、好きなものをイメージしてリラックスする。
安心できるイメージを、心の中にしっかりと持つことが大切だ。
そうすると徐々に頭がスッキリして、いろんなことが思い浮かんでくるようになる。
「何がいけないのだろう?」と考える代わりに「自分が望む未来を手に入れるために、何が必要なのだろう? 何が出来るのだろう? どうやったらできるのだろう?」と考える。
安全な感覚を体の中で見つけ、滞っていたエネルギーが循環しはじめると、日常生活の自己調整スキルが磨かれ、レジリエンス(自然に回復する力)が育つ。
身体感覚が安定してくると、自分の限界にも気付けるようになるので、やれそうなこと、やりたいこと、やれないこと、やりたくないこと、嫌いなもの、好きなものがわかるようになっていく。
「許容の窓(Window of Tolerance)」と呼ばれる身体感覚の許容範囲が広がっていき、今まで過剰に反応していた不快さにも、余裕を持って対処できるようになっていく。
重度のトラウマを抱えている人は、身体が凍りつくか虚脱化して、身体の中にトラウマを閉じ込めている状態だと言える。
それは身体が脳に、常に危険信号を送り続ける異常な状態で、毎日、生活しているということでもある。
長年にわたって異常な状態が続くと、危機意識が強くなり、あらゆる物の見方がどんどん否定的になる。
その結果、ネガティブな記憶ばかりが増えて、様々な不快な身体症状としても現れてくる。
「トラウマ症状を持つ人は、その衝撃を受けた時の感情や行動を、プログラムのように繰り返しているのです」とカウンセラーは言う。
例えば愛着障害は、生後すぐに受けた親の世話の手続き記憶であり、その時に学んだパターンを、良い悪いにかかわらず後の人間関係で反復してしまう現象なのだ。
これらを止めるには、自動的な身体反応を引き起こしているプログラムを書き換えることが必要だ。
従来の対話を通した心理療法では、心の中まで深く入ってくることはなかったので、身体の反応もほとんど無かった。
ところが、体に働きかけるという新しい視点を取り入れることによって、身体も心も同時に反応するようになり、トラウマを負う前の状態に戻っていくことがわかってきた。
私は、時間をかけてゆっくりと、時折り休みながら、カウンセリングを受け続けた。