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レジリエンス ⑩なりたい自分
「あなたはこれから、どうなりたいですか? どんな人でありたいですか?」
そう、カウンセラーに問われても、最初の頃は、ありきたりな答えしか浮かばなかった。
「幸せになりたい」
「苦しみや怒りのない毎日を送りたい」
「笑って生きていきたい」
そんな陳腐で抽象的な言葉でしか、表現できなかった私の未来像が、やがて治療が進むにつれて変化しはじめる。
「苦しみや怒りに気付いて受け入れたい」
「自分のために生きたい」
「自分で、自分を、認めて肯定したい」
私は、なりたい自分の姿を「楽しんで創作表現をしている私」と定めた。
思えば私は幼少期から、もうずっと長い間、誰かに肯定や承認してもらうことばかりを欲して生きてきた。
母が亡くなって以降は、過度な罪悪感や、人が去っていく恐怖心を抱え、さらにたくさんの肯定や承認が欲しかったのだと思う。けれども人は誰も、そう都合良く肯定してはくれない。
そのうち、ちょっとやそこらの肯定や承認では飽き足らず、称賛されなければ意味がない、と思い詰めるようになっていった。「わかりやすいトロフィーがなければ承認されたことにはならない」のだと。
「自分軸」と「他人軸」などと言われても、退屈な説教にしか聞こえなかった。
そんな私が子どもを授かった時、自分の想像を遥かに超えて、たくさんの人に祝福してもらうことができた。
それは私がこれまで、学業や仕事でどれほど努力しても、結果を出しても、決して得られなかった種類の祝福だった。
仕事を辞めて結婚し、複数人子どもを産み、子育てに専念する。それが当時の、世間の同調圧力に従った、正しい生き方のモデルケースだったのだ。
けれども、そんな蜜月はすぐに終わる。
子どもの生育に何か不都合があれば、途端に世間は手のひらを返し、母親一人に集中砲火を浴びせるのだ。
どれほど自分を犠牲にしても、身を削るように心を注いでも、子どもに問題行動があれば、母親は一人、容赦なく責められる。
周りには誰も味方がおらず、まったく利害のない人までも、これだから今時の親は⋯⋯などと言い募る。
子どもが突然キレて暴れた時、私は本当は、大きな交通事故に遭ったような衝撃を受けて、激しく傷付き、またしても凍りついたのだと、今ならわかる。
けれども私は、その自然な感情を無視して押し殺し、母親としての正しい行いや振る舞いをすることに、思考を瞬時に切り替えた。
私は何度も、子どもとの話し合いを試み、無視されても怒鳴られても、声を掛け続けた。以前と何一つ変わっていないかのように食事や弁当を準備し、手を抜かずに掃除や洗濯をした。
平静を装ってはいたけれど、心の内では「このまま子どもが死んでしまうのではないか」という思いが消えず、私は心底、恐ろしくて、震えが止まらなかった。
「もう学校へも、塾へも、二度と行かない!」と、子どもは叫ぶ。
「わかった。それでもいいよ」とは、私にはどうしても言えない。
そんな勇気は、一欠片もなかった。
私は、ただただ狼狽え、怯えていた。この一連の騒動を、なかったことにしたかった。願わくば、ずっと目を背けていたかった。
カウンセラーは主に「EMDR療法」「SE療法」を用いて、あの日、あの瞬間に凍りついてしまった私をゆっくりと、少しずつ溶かしてくれた。
その出来事は起こってしまったのだし、その原因は、私の無自覚な「情緒的ネグレクト」の「虐待の連鎖」によるところが大きい。
さらに発達障害の特性を、今ほどの知識を持って理解してはいなかったのだから、子どもに対しての誤った対応も多かったのだろう。
治療を通して私は、「あの日以前の、可愛い子どもたちと無邪気にじゃれ合っていた日々は、もう二度と戻らない」ことを、少しずつ受け入れはじめた。
現在の子どもの気持を、私の力で変えることはできない。
けれども未来は誰にもわからないし、いずれまた「大人対子ども」ではなく「大人対大人」の新たな関係を築ける日が来るかもしれない。
トラウマ体験を正当に評価して受け入れることは、誤った考えや、過度な罪悪感を捨てることであり、自分で自分を認めることに他ならないのだ。
なりたい自分を明確にイメージし、新しい考えを身に付ける。
今はまだ、ほんの一歩を踏み出したところに過ぎない。
またすぐに引き返してしまうかもしれないし、道の途中で蹲ってしまうかもしれない。それでも構わない。
レジリエンスを信じて、私はたぶん、何度でも立ち上がって歩き出す。
なりたい自分になるために。
ここまで、自分の体験を元に「SE療法」「EMDR療法」「認知処理療法」について書いてきました。
素人の俄か勉強で書いたものです。専門家でもなければ、高等教育を受けたわけでもなく、どこまで書けたのか自信はありません。
詳しい方から見れば、もしかすると明らかな誤りがあるかもしれません。
もしも記事の中で、そのような偏った解釈や、誤った記述にお気付きの方がおられましたら、コメント欄でお知らせくださると幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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