見出し画像

投資#320 「生きた知識」と「死んだ知識」


書籍の情報

書名:学びとは何か―<探求人>になるために〔電子書籍版〕
著者:今井むつみ
発行所:株式会社岩波書店
発行日:2016年6月16日

書籍の抜粋


(前略)
「体で覚える」というと、スポーツや楽器の演奏、手を使った技など、実際に身体を使って行うことばかりを指すことが多い。しかし、そうとは限らない。私たちは学校で「て」「に」「を」「は」の規則を教えられて使い方を覚えてきたわけではない。子どものときからずっと、日常会話の中で使われているのを聞き、自分でその意味(どういうときに使うのか)を推測し、実際に使ってみる。これをずっと繰り返し続けることで、「て」「に」「を」「は」の使い方を覚えさせ、意識しなくても自分のそのときの意図に応じて使い分けができるようになる。つまり、その知識が体の一部となるのだ。
知識はこのように、体の一部になってこそ生きて使えるようになる。逆に言えば、体の一部になっていない知識は、使えないということである。外国語の習得で考えてみよう。外国語がうまく使えないと感じているうちは、その知識はまだ体の一部になっていないということだ。それは、「頭で知っているだけの知識」である。つまり、「頭で知っているだけの知識」は「使えない知識」、「体で覚えた知識」は「使える知識」と深く関わっていることがわかる。

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と「死んだ知識」


(前略)
「生きた知識」のわかりやすい例は、言語(母国語)の知識だ。子どもは母国語の習得をし使えるようになるために、ことばを覚える。覚えたことばを、コミュニケーションのために使う。また、覚えたことばを、さらに新しいことばを覚えたためにも使う。つまり、持っている知識が新しい知識を生むサイクルをつくっているのである。
母国語の習得の過程は熟達の過程でもある。どのような分野でも、熟達するということは、情報の選び方がうまくなり、新しい情報をすでに持っている知識の中に取り込み、知識を(単なる肥大ではなく)進化させられるようになることである。子どもの母国語の習得もまさにこの過程をたどっている。
(以下省略)

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と学び

抜粋した理由

「生きた知識」と「死んだ知識」
こういう見出しには気を引かれ
ます。

「生きた知識」とは、活用
している知識かな?

とか

「死んだ知識」とは、活用
していない知識かな?

とか

想像します。

本書には何と書いてあるので
しょうか?

―――感想1―――

私たちは学校で「て」「に」「を」「は」の規則を教えられて使い方を覚えてきたわけではない。子どものときからずっと、日常会話の中で使われているのを聞き、自分でその意味(どういうときに使うのか)を推測し、実際に使ってみる。これをずっと繰り返し続けることで、「て」「に」「を」「は」の使い方を覚えさせ、意識しなくても自分のそのときの意図に応じて使い分けができるようになる。つまり、その知識が体の一部となるのだ。

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と「死んだ知識」

ことばって知らない
人にとっては、音の
あつまりでなんの意味も
分からないですよね。

こういう音を出すと、
周りの人は、○○と
いう行動をする、

とか、

こういう音を出すと、
周りの人は、■■と
ことばを返す、

とか

試行錯誤を繰り返して、
推測して、期待する反応を
してもらうために、

特定の音をことばとして
発しているのかと
分析しました。

そして、これを意図せずに
音でコミュニケーションを
取れるようになることが
会話になると思います。

―――感想2―――


知識はこのように、体の一部になってこそ生きて使えるようになる。逆に言えば、体の一部になっていない知識は、使えないということである。

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と「死んだ知識」

「生きた知識」と「死んだ知識」
に対する答えはここにありました。

「生きた知識」は、体の一部になった
知識。

「死んだ知識」は、体の一部になって
いない知識。

でも、体の一部になっていない知識は、
体の一部になる前の段階だと思います。
「生まれる前の知識」ぐらいが
いいんじゃないかなと思います。

だって、「生きた知識」は、
体の一部になった知識なのに、
体の一部だったけど体の一部
でなくなった知識も分類と
してはありそうです。

それを「死んだ知識」と呼んでも
いいんじゃないかなと思います。

体の一部になった知識は、
もう体から離れないなら
この定義は間違っていそう
ですけれどもね。

―――感想3―――


また、覚えたことばを、さらに新しいことばを覚えたためにも使う。つまり、持っている知識が新しい知識を生むサイクルをつくっているのである。

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と学び

覚えた言葉って、
使い道はひとつでは
ないのですよね。

次の知識を入れる
ための新たな器
といいいますか、

つながりの起点になる
のですよね。

どのような分野でも、熟達するということは、情報の選び方がうまくなり、新しい情報をすでに持っている知識の中に取り込み、知識を(単なる肥大ではなく)進化させられるようになることである。

2.知識とは何だろうか?
「生きた知識」と学び

この部分も気になる
部分でした。

仕事を始めた頃は、
情報の選び方が下手で、
周りの人がセンス良く
見えてうらやましく

そして、自分自身が
恨めしくもありました。

センスがないやつだなと。

でも、熟達した人を見て、
情報の選び方がうまいの
をセンスがいいと、
思っていただけなの
ですね。

また、既存の知識が
整ってくると
覚えるのも早いし、
忘れにくいのは
このためなのでしょうね。

新しい情報を
既存の知識と結び
つけられたから。

知識を(単なる肥大ではなく)
進化させられるとは・・・

ありゃ?!

これは私ではうまく
言い表せないな・・・。

既存の知識に対して、
別の方向からスポット
ライトを当てて、

違う角度から、新たな
認識ができるのか???

まとまりません・・・。
でも、まとめに移ります(笑)

抜粋した理由にもどります。

まとめ

「生きた知識」と「死んだ知識」は、体の一部になった知識と体の一部になっていない知識


いいなと思ったら応援しよう!