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投資#383 答えるのが辛い・・・


書籍の情報


書名:仕事なんて生きがいにするな 生きる意味を再び考える
著者:泉谷閑示
発行所:株式会社幻冬舎
発行日:平成29年1月

書籍の抜粋


(前略)
通常この「中年の危機」は、文字通り中年である四十代後半から六十代前半あたりにかけて起こってくるものですが、近年では、この種の苦悩が二十代辺りまで若年化してきているのではないかという印象があります。中には稀に、十代後半からという早熟なケースにお目にかかることもあります。
さて、このような「中年の危機」の若年化は、なぜ起こったのでしょうか。一つには、「社会的自己実現」の空疎化ということがあるのではないかと、私は考えています。
現代の若い人々は、情報化が進んだことによって、大人たちが表面上演じている「社会的自己」すなわち「役割的自己」について、その舞台裏の空想な実態を、かなり早い段階から知ることができる環境にあります。そのために、昔の世代のように楽観的で希望に満ちた将来像を描いたり、夢に向かって無邪気に進むことができにくくなっているのではないかと思われます。それゆえ、物質的困窮の有無にかかわらず、ハングリー・モチベーションを原動力にしてひたむきに「社会的自己実現」を目指すような生き方自体が、もはや時代錯誤な昔話のごとく響くようになってしまったのです。
これにより、現代の若い世代は「青年期の危機」が言わばスキップされることになって、一足飛びに「中年期の危機」と同質の苦悩に直面しているのではないかと考えられるのです。つまり、将来どんな仕事に就くべきかといった「社会的自己実現」について苦悩することよりも、もう一つ深い層の「生きることの意味を求める」という実存的な飢えの方が、若い世代にとってはむしろ切実な問題となってきているわけです。
もちろん今日の若者たちも、ある年齢になれば進路や就職の問題に思い悩むのは昔と変わらないのですが、しかしそこで悩んでいる内容は、以前とはかなり質の異なるものに変わってきているようです。
従来は「なりたいものになれるかどうか」「就きたい仕事に就けるか」という内容が多かったのですが、近年では「何がしたいのか分からない」「できれば面倒なことはしたくないが、やらなければならないとしたら何をするか」「なぜ働かなければならないのか」といったものに変化してきているのです。
このように「なぜ働かなければならないのか」という問いを突きつけられた時に、ハングリー・モチベーションの価値観で生きてきた大人たちは、その場はどうにか取り繕うにしても、正直なところ、答えに窮してしまうことが多いでしょう。なぜなら、自身がそのような疑問を一度も抱いたことがないからです。
こんな場面でハングリー・モチベーションで生きてきた大人が口にするのは、しばしば「メシが食えなければ始まらないだろう」「贅沢病だ」「働かざるもの食うべからず」「人間として働くのが当たり前だろう」等々の、恫喝もどきのセリフだったりします。しかしこれは、「なぜ働かなければならないのか」という問いに対する答えになっていないのみならず、ハングリー・モチベーションで生きてきた人間の「思考停止」を露呈してしまうことになり、まったく説得力を持ちません。
このような価値観の完全なるすれ違いが、親子間をはじめとして、学校や職場など、あちらこちらで展開されているのが現代の実情ではないでしょうか。私も臨床において「言葉が通じない」というクライアントの嘆きをよく耳にしますが、それもこのような価値観の相違が原因になっていることがほとんどなのです。

第1章 生きる意味を見失った現代人
「中年の危機」の若年化

抜粋した理由

「中年の危機」
この言葉を
目にするだけで
飛びつくように
なりました(笑)

四十代後半から
六十代前半あたり
とあるので、

まだ早いかなと
思い直しもしました。

―――感想1―――

そういえば、「青年の危機」
ってなんだっけなと思い、

調べてみようと思い
ましたが、文中に
説明がありました。

将来どんな仕事に就くべきかといった「社会的自己実現」について苦悩すること

第1章 生きる意味を見失った現代人
「中年の危機」の若年化

そういえば、
20代前半は
そういうことに
ついて悩みました。

どんな仕事がいいか。

やはり、学科や専攻
を考慮して、
開発や研究の
仕事がいいか。

それとも、
大学に残り、
アカデミックな
道を目指すか。

などなど
大いに悩んだ気が
します。

でも、悩んだ甲斐
があって、仕事は
面白いと思える
ものに出会えたと
思っています。

悩み方次第で、
いい仕事に
巡り会えると
いった単純な
ものではないのですがね。

―――感想2―――

中年の危機は
というと、文中から
探すならば、
これらでしょうか。

もう一つ深い層の「生きることの意味を求める」という実存的な飢え

第1章 生きる意味を見失った現代人
「中年の危機」の若年化

「何がしたいのか分からない」「できれば面倒なことはしたくないが、やらなければならないとしたら何をするか」「なぜ働かなければならないのか」

第1章 生きる意味を見失った現代人
「中年の危機」の若年化

哲学的な問いで
昔、ギリシャで
散々考えられた
ものもあるのでは
ないかと思います。

人生の折り返し
地点に近づいて
いて、

年齢的にこれら
を考えるよな
と思います。

特に、
「生きることの意味を求める」
「なぜ働かなければならないのか」
です。

ここらへんにも
注目しながら、
本書を読んでいきたいと
思います。

ちなみに、答えを
探しています。

―――感想3―――

このように「なぜ働かなければならないのか」という問いを突きつけられた時に、ハングリー・モチベーションの価値観で生きてきた大人たちは、その場はどうにか取り繕うにしても、正直なところ、答えに窮してしまうことが多いでしょう。なぜなら、自身がそのような疑問を一度も抱いたことがないからです。

第1章 生きる意味を見失った現代人
「中年の危機」の若年化

確かに答えに
窮してしまいます。

「メシが食えなければ始まらないだろう」
というのもありますし、

マズローの5段階欲求
を効率的に満たせる
のが、仕事だとも
思っています。

「メシが食えなければ始まらないだろう」
は、生理的欲求を
挙げているだけかなと
思います。

では、なぜ、
これら5つの欲求を
満たそうとする
のか?

ですが、満たすと
一時的ですが、
幸福感が得られる
からでしょうか。

なんで、幸福感を
求めるのかと
言われたら、

幸福と対をなす、
不幸や苦痛が
欲しいとは思わず、
むしろ逃げたい
からでしょうか。

そうすると、
消去法で、
幸福を選んでいるか?

と問われると、
そうなのかも
しれません。

そもそも
人間は苦痛を避ける
よう遺伝子に
プログラムされて
いるからか?

浅はかですね・・・。

自身がそのような疑問を
一度も抱いたことがない
と答えるのが辛いですね
・・・・。

まとめ

答えるのが辛い・・・


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