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投資#321 一流の人の文章の書き方



書籍の情報

書名:知的生活の方法 続 (講談社現代新書 538)
著者:渡部 昇一
発行所:講談社
発行日:1979年4月1日

書籍の抜粋


日本の代表的長篇作家は漱石であるが、彼がその最大の長篇小説を書いていたとき、それは機械的なものであったとみずから認めている。
これは漱石が死んだ年の八月二十一日付で久米正雄(くめまさお)と芥川龍之介に与えた手紙に出てくることであるが、日本の作家が、自分の著作活動を機械的といった稀有の例であると思うので引用しておこう。
僕は相変らず『明暗』を午前書いています。心持ちは苦痛、快楽、器械的、この三つをかねています......。(傍点筆者)
漱石は若いころは一気に書く、ということが多かった。漱石夫人の証言によると、『坊ちゃん』『草枕』などの比較的長いものでも、五日から一週間ぐらいで書き上げたし、多くは一晩か二晩、それも夕食前後から十二時ごろまでで苦もなく書いてしまったという。
しかし年を取り、長篇に取り組むようになると、そうしたインスピレーション型、一気呵成(いっきかせい)型ではいかない。毎日午前中、決まった時間に決まった分量だけ書くのだ。
そして午後は漢詩を作って、自分の世界に遊んだのである。漱石の最高傑作といわれるものが、書き方としてはもっとも機械的に、つまり非インスピレーション型でなしとげられたことは注目すべきことである。
銀行員でありかつ作家でもある山田智彦氏が、いかにしてこの両者を両立させたかの体験記(『体験的クロスオーバーのすすめ――二つの顔で生きる』講談社)も、機械的に書くことの重要さを示していておもしろい。
氏が小説を書くのは、原則として休暇のときではないという。普通ならば休みのときが文字通りの書き入れ時のように思われるが、そうではないとのことである。
休みのときは休む、そして日常生活の時間のうちに、執筆のための時間を組みこむという。これは根本的にトロロープと同じ態度である。銀行員が小説を書くというと、普通の人なら休みの時間に書くと思う。
しかしそれは素人考えなのだ。そんな飛び飛びに書くのでは、ものにならないのである。忙しい日々の中に、何時間かの時間を毎日あけて、そこでは機械的に原稿用紙のマス目を埋めるようでないといけない。
同じことは、新田次郎氏もつぎのように書いている。
<戦いだ、戦いだ>
このころは役所から帰って来て、食事をして、七時にニュースを聞いて、いざ二階への階段を登るとき、とよく云ったものだ。
自分の気持を仕事に向けるために、自分自身にはげましの言葉を掛けていたのだが、中学生の娘がこの言葉の調子を覚えこんで、私が階段に足を掛けると、戦いだ、戦いだと私の口真似をするので、それ以後は、黙って登ることにした。
七時から十一時までは原稿用紙に向ったままで階下に降りて来ることはなかった。十時ころ娘がお茶を持って来ることがあったが、黙って来て、黙って降りていった。(『小説に書けなかった自伝』新潮社)
休日ではなく勤務のある日に、自分に「戦いだ」といいきかせて、毎晩七時のニュースのあとに二階に登るという機械的な勤勉さがなかったならば、今日のもっとも人気ある長篇作家は誕生しなかったであろう。
物語詩人も小説家も画家も作曲家も、知的生産にあたっては、かつての農夫が農作物生産のために、毎日長時間、鍬(くわ)をふるい、鋤(すき)を使ったように、原稿用紙や画布や五線紙に向かってペンや絵筆を使うのである。
女流作家の曾野綾子さんとかつて対談したとき、仕事のやり方の話になったが、そのとき彼女は、右手を私に示しながら、「どう、指の骨がこんなにゴツゴツになっているでしょう」といった。
曾野さんは朝型とのことであるが、あれだけ膨大な著作の一字一字を、全部その指で力をこめて書いたといわれるのである。もっとも私の目には、その指は十分美しく見えたのである。

農夫の勤勉さ

抜粋した理由

有名な作家と比較しても
なんにもなりませんが、

作家ってこんな風に文章を
書いているんだなと

参考なったような
ならなかったような
なのですが、

おもしろかったなと思い
抜粋しました。

―――感想1―――

漱石は若いころは一気に書く、ということが多かった。漱石夫人の証言によると、『坊ちゃん』『草枕』などの比較的長いものでも、五日から一週間ぐらいで書き上げたし、多くは一晩か二晩、それも夕食前後から十二時ごろまでで苦もなく書いてしまったという。
しかし年を取り、長篇に取り組むようになると、そうしたインスピレーション型、一気呵成(いっきかせい)型ではいかない。毎日午前中、決まった時間に決まった分量だけ書くのだ。

農夫の勤勉さ

有名な本ですが、
五日から一週間ぐらいで
書き上げたというのは
驚きです。

若い頃はインスピレーションに
溢れていたのですかね。

食前後から十二時ごろまで
書けてしまうことがある
というのも驚きです。

しかし、歳を取ると、
コツコツとやるように
なったというのは、

なんだか今の私に近い??

勘違いですね(笑)

―――感想2―――


休みのときは休む、そして日常生活の時間のうちに、執筆のための時間を組みこむという。これは根本的にトロロープと同じ態度である。銀行員が小説を書くというと、普通の人なら休みの時間に書くと思う。
しかしそれは素人考えなのだ。そんな飛び飛びに書くのでは、ものにならないのである。忙しい日々の中に、何時間かの時間を毎日あけて、そこでは機械的に原稿用紙のマス目を埋めるようでないといけない。

農夫の勤勉さ

銀行員が小説を書くで、
思い出しました。

医者が小説を書くと
いうのもあると思います。

海堂尊さんです。

チーム・バチスタの栄光は、
2005年頃読んでいました。

とびとびにの時間で書いたの
ではなく、忙しい日々の中、
何時間かの時間を毎日あけて、
書いていたなのかなと想像
しました。

2005年頃は学生をして
いましたけれども、

小説をよく読んだなと思います。

そういえば、最近は、小説を
読んでいませんね・・・。

―――感想3―――


曾野さんは朝型とのことであるが、あれだけ膨大な著作の一字一字を、全部その指で力をこめて書いたといわれるのである。もっとも私の目には、その指は十分美しく見えたのである。

農夫の勤勉さ

ここは私も朝型!
と思っただけですが、

昔の方は、ペンで1字1字
書いていたのですよね。

わたしはこうして、
キーボードで文字を打ちますが、
どちらが速いでしょうか?

文字を書く方が大変だなと
思います。

指の形が変わるほど文字を
書くなんてそんなことも
できそうにありません。

蛇足ですが、キーボード
ばかり使うもんだから、

字はだんだんと書けなくなり、
字を書いていてもどんどん
汚くなっているきがします。

まずいな、これと、反省して
います。

字を丁寧に書く時間を
設けたいと思いました。

また、一流の人の文章の
書き方を学んだ気がします。

まとめ

一流の人の文章の書き方は、コツコツ


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